「生き残りの為だ!先代が此処甲州で始めたこの醸造所を戦争で無くす訳にはいかない。今は醸造所が生き残るために、飲めやしないワインを造って()ててでもやってゆかなければならない。確かにそれは辛いものですが、戦争が終わったらきっともっと美味いワインを造るのだと……その一心でやっているんです」
強い語気で返した実の声に驚いた幸枝は、思わず一歩引いて肩を竦めた。そんなに強く仰らなくても良いじゃありませんかと言いたい気持は山々であったが、苦し紛れに告げる実の姿を見ていると何も言えずただ立ち尽くすほかないように感じた。
「……すみません、つい……」
実は幸枝に一歩近づき手を差し伸べたが、幸枝はその手から逃げるように身体を背ける。
「いいえ、私のほうこそ無礼を申し上げましたわ。もう時間ですので」
逃げるようにその場を去る女の後ろ姿を見た実は、
「伊坂さん、待ってくれよ!」
と呼び止めたが、彼女はそれを聞かなかったことにしているのか、一度も振り返ることなく丘を駆け降りていった。
丘から続く林を出た幸枝は、ただ何も考えず俯きがちで、屋敷までの道のりを早足で戻って行った。一歩ずつ歩みを進めるごとに、実の声が脳裏に焼きついたように繰り返し聴こえてくる。あらゆる人に優しくされてきた幸枝にとって、声を荒げられることは慣れていないことであったし、のんびりとした田舎で過ごしているとなお、些細なことでも衝撃を受けてしまうのであった。視界がだんだん(うる)んでくる。一秒でも振り返れば、実が背後から追ってきているのが見えるかもしれない。自分でもこんな風に他者を恐れ怯えることがあって良いものかと思ったが、あの情熱混じりの怒りにすっかり圧倒されてしまった。