春が終わり夏の足音が近づき始めると、屋敷にいても子どもたちの声の聞こえてくることが多くなった。世間では援農や学童疎開が続き、辺りの畑や果樹園に子どもたちが手伝いに出ているらしい。時折使用人とともに町へ出ると、確かに子どもの姿が増えているように感じる。
父からは相変わらず毎月手紙が届くが、正博からの手紙はあまり来なくなった。二ヶ月に一通程度であるが、その分便箋の枚数は増えて、これまでと変わらぬ落ち着いた筆跡で、日々のことが綴られている。幸枝は徐々に甲州の気候にも慣れて、病気や怪我もなく、また気を落とすこともなく慎ましく暮らしている。都会のように刺激の少ない田舎の風土にも嫌気が差さなくなり、これはこれで良いものだと割り切って、のんびりと過ごしていた。雨の日が増え日の照らない昼もそこそこにあるが、幸枝にとってはかえってそれが気の落ち着く時間になっていた。此処に居れば、都会の喧騒や人の目、噂、目論見(もくろみ)──あらゆる面倒なことを忘れられる。また、暖かく天気の良い日は、裏の林や石楠花の丘へも出向く。林に行けば鳥の声が聞こえ、丘へ行けば美しい景色、たまに醸造所の青年と偶然出会うのであった。
「また来ましたね、伊坂さん」
青年はいつも石楠花の低木の手前の岩に座っている。
「村松さん、あなたこそ今日もいらっしゃるんですね」
春に丘上(きゅうじょう)で咲き誇っていた石楠花の姿はとうに消え、丘を覆う木々の緑は深まってすでに夏の装いを見せている。見下ろした果樹園には小さな人影が増え、木々の下でその影が(うごめ)いているのが見える。