一方の実は、幸枝の全てを見透かしたような視線と発言にぎょっとして、通い慣れた筈の高所で足が(すく)むような気分になった。のんびりと休憩を過ごしているところに断りもなくやって来た女に対して、意地悪で方言を使ったことが見通されている。その話す内容は特に挑発的なものでも嫌がらせでもないつもりだったが、彼女はそう捉えたらしい。つい自分が主導権を握ったと思い切ってこの女について忘れていたが、よくよく考えてみれば、何番目の息子かは分からないが長津家の誰かの伝手で此処へ来た人間、海軍との繋がりがあることは明白であるのに、自ら醸造所のことを話した所為(せい)で醸造所の役割や軍属という立場までをも言い当てられてしまった。猫のように鋭い視線が温和な少女を軽く出し抜いてやろうと画策した青年の心に突き刺さる。鎌をかけられたことにも気が付かずころりと言い漏らしてしまったことに落ち込む余裕を与えないほどに、実は幸枝のその洞察力と狡猾(こうかつ)さに圧倒されてしまった。
「はは……お詫びと言っちゃあ悪いですが、醸造所を見ていきますか」
実の口調は方言でもなく、綴方を読む時のようなふらついた言葉遣いでもない、ごく普通の話し方で溜息混じりに話した。その語尾には嘲笑(あざわら)うかのような諦念(ていねん)が見え隠れしている。
「いいえ、突然お邪魔してはご迷惑になりますわ。その代わり、海軍のかたがお見えになるときにお伺いしますから、何時(いつ)になるか教えてくださいます?」
自らの思考の全てが筒抜けになったように感じた実はいよいよ有耶無耶(うやむや)な返事をする訳にもいかず、
「来週の火曜日に来ますよ、昼頃に。屋敷にお迎えに上がりましょうか」
と無用の提案までをも出したが、幸枝は淡々とした声で、
「ええ、ではその頃に私のほうからお伺いしますので」
とだけ言い残して山を降りていった。