「ご存知ないと思うけれど、私はね、とある大きな重工業の会社に勤めているんです。あらゆるもののの製造や修理を請け負っているわ……当然、ワインの生産が奨励されているのも知っていますし、あなたが軍属の立場であることも容易に想像がつきます。甲府に海軍の研究所があるそうですね、御宅にも時々海軍のかたがお見えになるとか……はっきり申し上げますけれど、私があなたの言葉を分からないのを良いことに間違ったことを(おっしゃ)るなんてことはないと信じていますからね。私が余所者(よそもの)であることに違いはありませんけれども……このようなことを申し上げたくは無いのですが、私には後楯(うしろだて)がありますから」
幸枝は実際、年が明けてすぐに届いた正博からの手紙で次のようなことを知らされていた。田舎は都会に比べると他所から来た人間を排斥(はいせき)する傾向にある、自分達は有難いことに町の人々にも歓迎されているし君も自分を頼って甲州へ行ったのだから闇雲に無礼なことをする者は無いだろうが、自分が隣に付いていられる訳ではないから心配だ、万が一のことがあれば甲府にある海軍の研究所の者を頼るといい、内密の話になるが、その研究所では集音器の研究をしていて自分達を知る者も居る、長津と名前を出せばきっと直ぐに応対してくれる、と。さらに、屋敷の近くの醸造所にも時々研究所の者が行くだろうから、その時にでも挨拶しておくといい、此方(こちら)からも連絡しておこうとも書かれていた。この手紙を読んだ時の幸枝は、やはり彼は心配しすぎている、過保護だと思いながら、機密情報を易々(やすやす)私信(ししん)に書いて良いのだろうか、それとも既に幾つもの「内密」を抱えている仲での私信だからこそ書いているのだろうかなどと考えるばかりで、実際にこの事柄を口にする日が来るとは夢にも思わないまま冬を越した。