その階段へと片足を踏み入れると、木々の隙間から差し込む陽光がスポットライトのように地面を照らしているのが見える。少し高さのある階段を一段ずつ登り続けると、徐々に標高は高くなり、涼しげな気流が吹きつけてくるのを感じ始める。登り切るときには林の木々が突然途絶えて、頭上に雲ひとつない薄青(うすあお)の空の広がる開放的な場所が現れた。
そこから見える景色に引き込まれるように歩みを進めた幸枝の目は爛々(らんらん)としている。左下には日々を過ごす屋敷、ここに来るまでに通ってきた醸造所が見えて、その隣の小路(こみち)を挟んだ反対側には、正面から右手側にかけて果樹園が果てしなく広がっている。その中央には線路が走り、もっと奥のほうには人々の暮らす町が見え、そこから先は、さらに遠くまで山々が広がる。春先の山はまだ緑が薄く、所々に桜が咲いているのか桃色の差した斜面が見えている。辺り一面を見渡す幸枝の背中を押すように追い風が吹き寄せ、その風と共に、屋敷の玄関で香った花と草木の香りが一気に押し寄せてくる。幸枝はふわりと香る石楠花の甘さに陶酔(とうすい)したような気になって、思わず背後を振り返った。きっと辺り一面にあの白と桃色の花が咲き誇っている。
「おまん、誰け?」
くるりと振り返ったところには思ったとおりの花々の咲き誇る低木が並んでいたが、何よりも目に入ったのは、木で造られた長椅子の上に胡座(あぐら)をかいて座る青年の姿であった。その青年は坊主頭によく焼けた肌の中肉中背という、特に捉えどころのない姿であるが、どうやらその口ぶりからは妙な苛立(いらだ)ちのようなものが感じられる。