幸枝は正博に対しても当然、これまでの男達と同じことを考えているだろうと思っていた。秘密裏の危険な仕事を頼んできた割には冷酷で人のことなど気にしていないような主計中佐や、見せかけの優しさで自らの身勝手さを取り繕った少尉、その他大勢の軍人とは違って仕事相手に過ぎない少女に関心を示しただけに、その中尉が何を目論んでいるのか、話しながらに頭の片隅で常に考えていたのである。初めて会ったその日から、目に見えた誠実さや初対面とは思えないほどの気がけように怪しさを見出しつつも、それまでの(おご)った態度を見せなかった彼ことがかえって気になり、そして心の奥底で着実に惹かれていた。彼はこれまで幸枝の出会ったどんな男よりも真っ直ぐな目で彼女を見ていたのである。幸枝もそれに気がついていた、だからこそ正博とともにあの仕事を続けたかったというのは本心であったのだが、優しくされすぎるとかえって不安になるもので、その感情は浅草の夏の晩のことで張り裂けるほどに大きくなった。その晩は正博が居なければ死んでいたかもしれない、九死に一生を得たのであったが、その翌日が良くなかった。その晩に命を奪うこともできたと告げる彼の目は酷く鋭く、また声は獅子の唸るごとく低いものであったから、幸枝は(たちま)ち恐れ(おのの)いて、昨晩自分を殺さなかったのはまだ生かしておいたほうが利益を得られるからだとか、そもそもずっと前から自分を狙っていたのかも知れず、これまでのことも全て演技や嘘だったのではないかと考えてしまったのである。