石楠花の恋路

「気にしないで。私もあなたと境遇は全く違うけれど、少しだけ似た状況だったわ……私はね、小さい時に母が(いえ)を出て行って、それから暫くして父の再婚相手が(うち)にやってきたけれど私のことは全く気にも留めなくて、私は父と兄と女中さんに助けられて育って、女学生と娘と妹と社長夫人の代わりと……いくつもの立場を抱えて、女学校を出てからは父の会社に入って仕事をするようになって。正直なところを言うと、休むにも休めなくて、仕事はどんどん入ってくるし追いつくのに精一杯で、身も心も崩れる寸前で働いていたけれど、休みたいとか辛いとか、そんな弱気なことは言っていられなくて……うちは重工業の会社だからね。とにかく部品と工員を調達して工場を動かして、期日迄に納品して……辛くなったら、口に出して良いのよ。他のお客さんには話しちゃいけなくても、私には話して良いわ」
幸枝の心の中には(かつ)ての朧月夜の海軍士官の姿が浮かんでいる。辛い時には誰かを頼れと、自分でも良いからと言った彼の声は優しく、真心からの言葉であることは明瞭であった。その表情に一切の笑みはなかったが、気がけてくれていることは言葉の端々から分かっていた。しかし、そうかと思えば途端に涼しい顔をして「軍人らしく」振る舞っていたのが彼である。