とぼとぼと本社へ戻った幸枝は、その後⽇が沈むまで⽗と兄の⼿伝いをして、 廃墟となったかつての職場の⽚付けを進めた。
「いやあ、三⼈⼒だと(はかど)るなあ」
「今⽇は幸枝が帰ってきたことだし、闇市にでも⾏くか」
幸枝は、 ⼣陽に照らされた街を歩く⽗と兄の姿をやや後ろから眺めていた。やはり東京では⾷糧事情が厳しかったか、⼆⼈とも少々痩せたように⾒える。
「幸枝!今⽇は⾷べに⾏こう」
「ええ」
⼩⾛りで⼆⼈に並んだ幸枝は、 ⽗と兄の様⼦を⾒ながらついて⾏く。 ぎゅうぎゅう詰めの都電に乗って着いた先は闇市であった。ここにはたくさんの⼈がいて、 威勢の良い店員の声から荒くれの怒号まで様々な声が⾶び交いがやがやとしている。
「うどんが良いか、それともおでんが良いか……迷うなあ」
兄は辺りに⽴ち込める⾷事の⾹りに誘われるように周囲を⾒回している。⼣⾷は兄の選んだうどんになったが、それは限られた⾷糧で過ごしていかなければならない⽗と兄にとっても、また、わずかなビスケットで⼀⽇を過ごした幸枝にとっても⾄福の⼀杯であった。 温かな(つゆ)に浸かったやや細い麺は、つるりとした⾷感はないものの、 腹の奥底から体を温めてくれた。 甲州に居た頃と⽐べると随分と質素な⾷事であったが、⼿元に⼗分な⾷糧が無い以上、贅沢を⾔うわけにもいかない。