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 その日、体育の授業が終わったあとだった。
 凛は一足先に着替えを終え、教室に戻る途中、ふと屋上への階段前で足を止めた。

 ドアが少し開いていた。誰かがいる。

 警戒しつつ静かに階段を上がると、そこには制服姿のまま、風に吹かれる悠翔の姿があった。


 「……どうした」

 「わっ……!」


 振り返った悠翔が驚いて、小さく跳ねる。
 その姿があまりに子鹿のようで、凛は思わず笑いそうになった。


 「き、神代さん……急に現れないでくださいよ、びっくりしますって……」

 「足音を立ててはSP失格だ」

 「そ、それはそうですけど……SPじゃなくて、クラスメイトでいてくれてもいいんですよ?」


 凛は一瞬、言葉に詰まった。

 悠翔は、空を見上げながらぽつりと呟いた。


 「……僕、なんでここに来たのかなって、たまに思うんです。
 周りはみんな優しいけど、やっぱりどこか、浮いてるっていうか……」

 「浮いてるんじゃない。目立ってるだけだ」

 「それ、褒めてます?」

 「……事実を述べただけだ」


 くすっと悠翔が笑った。
 その音が、風の音より心に染みた。


 「でも、神代さんがいると、ちょっとだけ安心します。なんだろう、心が静かになるんです」

 「……それは、警護対象として?」

 「それもあるけど……たぶん、違う」


 悠翔はそう言って、凛の瞳をまっすぐに見つめた。
 その瞬間、凛の心臓が跳ねる。


 (だめだ。これは、任務ではない感情だ)


 冷静な判断力。制御された心。
 すべてを突き破って、悠翔という存在が、凛の中に入り込んでくる。

 彼の笑顔も、寂しげな背中も、守りたくなる。
 それは“任務”を超えた、本能だった。