夜探偵事務所


第九章:準備運動


​深妙寺・境内
本堂の方角から断続的に凄まじい破壊音が響き渡る。ドォン!と何かが壁に叩きつけられる鈍い音。ガシャァン!と仏具か何かが砕け散る甲高い音。その音は中で繰り広げられている戦いの壮絶さを物語っていた。
​二つの堂の間に立つ滝沢はポケットに両手を突っ込んだまま忌々しげに本堂を見つめる。
「……本堂の中で一体何が起こってやがる。このままじゃ寺ごとぶっ壊れちまうぞ」
​不意に滝沢の全身の筋肉が微かに緊張した。
空気の流れがほんの少しだけ変わった。殺気はない。だがこの聖域にそぐわない俗世の澱んだ気配が三つ。
​滝沢はタバコの煙を細く吐き出しながらゆっくりと視線を動かす。
護摩堂の入り口。ちょうど死角になる辺り。息を殺して佇む三人の男。一人は見覚えのある作業着姿の男。残りの二人は見るからに柄の悪いチンピラ風の男たちだ。三人は護摩堂の扉をこじ開けようと道具を漁りながら何やら小声で話している。
​次の瞬間滝沢の存在はその場から完全に消えた。
殺し屋としての彼の極意。気配と殺気を完全に「無」へと落とし闇に溶け込む技術。砂利を踏む音ひとつ立てず彼は三人の男の背後へとまるで亡霊のように回り込んだ。
​「おいお前ら」
地の底から響くような静かな声が三人の背後から響いた。
​「「「!?」」」
三人は同時に飛び上がらんばかりに驚き振り返る。そこに立っていたのは先ほどまでいなかったはずの長身の男。滝沢だった。
​「な、なんだてめぇは!」
チンピラの一人(①)が虚勢を張りながら滝沢の胸ぐらを掴みかかった。
だがその手が夜の衣服に触れたか触れないかの刹那。
​「うぉっ!?」
チンピラ①の体は自分の意志とは無関係に宙を舞っていた。滝沢が男の腕を掴み体勢を崩すと同時にその巨体を軽々と背負い投げたのだ。受け身も取れず地面に叩きつけられた男は「ぐえっ」と蛙が潰れたような声を上げて悶絶する。
​「この野郎!」
それを見て逆上したもう一人のチンピラ(②)が力任せの拳を滝沢の顔面に叩き込もうと殴りかかる。
滝沢はそれを避ける素振りも見せず殴りかかってきた腕を最小限の動きで内側から受け流した。
そしてすれ違いざまその腕を両手で掴むと躊躇なく逆方向へ捻り上げる。
​ゴキッ!
境内に響く破壊音に混じりひときわ生々しい骨の砕ける音がした。
「ぎあああああああ!」
チンピラ②はあらぬ方向に曲がった自分の腕を見て絶叫しその場に崩れ落ちた。
​「て、てめぇ……!」
地面に転がっていたチンピラ①が憎悪に顔を歪ませながら立ち上がる。その手にはキラリと光るナイフが握られていた。
「殺してやる!」
男は決死の形相で滝沢の腹をえぐろうと突進してくる。
​だが滝沢の動きはもはや喧嘩のそれではない。**軍の特殊部隊などが学ぶ近接格闘術――CQC。その無駄なく洗練された動きで、**ナイフを持つ手首を外側から払い上げる。
男の手からすっぽ抜けたナイフは綺麗な放物線を描いて宙を舞い数メートル先の木の幹に突き刺さった。
​武器を失い体勢を崩した男の顎に滝沢の重い鉄槌のような拳がめり込む。一撃。それだけでチンピラ①の意識は完全に断ち切られ巨体は崩れ落ちた。
​「ひぃっ……!」
その全てを目の当たりにした作業着姿の男は完全に戦意を喪失していた。恐怖に引きつった顔で滝沢に背を向けると一目散に逃げ出そうとする。
しかしその行く手にはすでに滝沢が回り込んでいた。いつの間に。まるで瞬間移動でもしたかのように。
​「もう帰るのか?」
絶望に染まる男の顔を覗き込み滝沢はニィッと悪魔のように笑う。
「まだ遊びの途中だろ?」
​言葉と同時に放たれた拳は作業着の男の体を的確に捉えた。
男の体は冗談のように数メートル後方まで吹っ飛ばされ白目を剥いて地面に叩きつけられた。ピクリとも動かない。
​「……なんだ?もう終わりかよ」
あっという間に静かになった境内で滝沢は心底がっかりした様子で呟く。
「準備運動にもなりゃしねぇ」
そしてつまらなそうに首を一つコキリと鳴らした。