春は、香りとともに。




 ***
 

「……帯は、何色がよろしいでしょうか」


 香袋を仕舞い終えたあと、志野子がぽつりと訊ねた。
 仕立てる浴衣に合わせる帯についてだった。


「そうですね。あなたの手持ちのものに合わせてはどうですか?」

「……いえ。せっかくなら、先生に選んでいただけたらと思って」


 惟道は少し驚いた顔をした。
 だがすぐに、真剣な面持ちに戻り、庭の紫陽花を一瞥して言った。


「――椿色、はどうでしょう。
 深い赤に、青みが差したような。香の煙にも似合うと思います」

「椿……色」


 志野子は、かすかに唇を引き結んだ。


「……あの、椿色は、以前、わたしの母がとても好んでいた色で……。いえ、忘れてください。ご提案は嬉しいのです」


 そう言った彼女の声に、微かな揺らぎがあった。

 惟道はすぐに悟った。
 椿という言葉が、彼女の記憶に触れてしまったのだと。


「……失礼しました。では、薄葡萄はどうでしょうか。
 椿よりもやわらかく、けれど品のある色です」


 志野子は目を伏せて、小さく頷いた。


「……ありがとうございます。先生のお気遣い、沁みました」