春は、香りとともに。




 「……どうして……」

 「……あなたを、大切に想っているからです。今夜はまだ、ここまでにします」

 (“まだ”――)


 その言葉の意味に、胸がぎゅっとなる。


 ふたりは、ふたたび布団に横たわった。
 手のひらは重ねたまま、指先を絡めるようにして。


 「……先生の、心臓の音、聴こえます」

 「……それは、あなたのせいです」


 志野子は笑って、それでも、目元がじんわり熱くなった。


 「こんな夜が、来るなんて。思ってもいませんでした」

 「わたしもです。……けれど、今こうしていられる。
  それだけで、明日がくるのが、楽しみに思えるようになりました」


 部屋はまだ、深い夜の底にあった。

 けれど志野子のまぶたは、まだ下りてこない。
 心臓の音ばかりが、耳の奥で大きく響いていた。