場の空気が、ひやりと冷えた。
 カイルは剣を帯びていないにもかかわらず、背筋を真っ直ぐに伸ばしていた。
 ただ、その視線だけで、ユリウスの手元が止まる。

 

「……面白い婚約者だな。お前の好みは変わっていたか?」

「昔から、強い花が好きだった」

 




 その言葉に、セシリアの指がピクリと動く。
 彼女の完璧な笑顔が、わずかにひび割れた。

 

 食事が進むにつれ、空気は少しずつ不穏なものになっていく。
 だが、決定的な“異変”は、ワインが注がれた瞬間に起こった。

 

「……この香り……おかしい」

 

 リシェルが手を伸ばしかけたグラスから、ふわりと甘い香りが漂った。
 それは──前世の、あの夜に嗅いだものと同じだった。

 

「下がってッ!」

 

 カイルが彼女のグラスを弾いた瞬間、ワインは床にこぼれ、
 その染みが、淡く紫色に変色した。

 周囲が息を呑む中、カイルが立ち上がる。
 そして、ユリウスを真っ直ぐに見据えた。

 

「……これは、どういうことだ」

「さあ。毒など、使われているとでも?」

「俺は“君”のやり方を知っている。
 君が手を汚さずに人を殺す方法を──そして、正義の仮面で蓋をする術を」

 

 空気が凍りつく。
 ユリウスは表情を崩さないまま、手を組み、嘆息した。

 

「弟よ、君がその娘にどれほど肩入れしていようと、
 “血”は争えないのだよ。君も、王族ならばわかるだろう?」

「……違う」

 

 その一言と同時に、剣が抜かれた。

 守衛が駆け寄るよりも早く、カイルの手は空を切り裂き、
 ユリウスの頬の仮面を、一閃で断ち切った。

 仮面の奥の笑顔が崩れる。

 

「俺はもう、誰かの操り人形ではない。
 この人を“守る”と、俺は自分で選んだんだ」

 

 リシェルの肩を、そっと包むその手は、温かかった。

 その瞬間だった。
 リシェルの胸に、再び“組紐の光”が生まれる。

 今度は赤ではなく、銀と紅が絡み合った紐──
 それは、カイルの心と彼女の心を結ぶ、“誓いの紐”。