35年が過ぎた今、宗門問題を語る人は居なくなった。 それどころか富士大石寺は無い物と思われている。
そして大御本尊のことも完全に忘れ去られているようだ。 そのままでいいのだろうか?
宗門問題当時、安倍日顕は御本尊を偽物だと切り捨てた。 でありながら聖本堂を破壊した時には別所に移しているのである。
偽物であるならばなぜ別所に移す必要が有ったのだろうか? それは謎。
この1991年、4月には地方選挙が行われた。 公明党だって候補者を出している選挙である。
「大衆と共に生き、大衆の中に死んでいく。」と言われる公明党である。 縁も所縁も無いぼくにだって支援の手は伸びてくる。
「どっかに頼めそうな人は居ないのか?」 でも大阪に引っ越して1年。
これといって頼める当ては無い。 それでも頼まないと退転していると思われてしまう。
そんなプレッシャーの中で名簿を開いてみた。 まったく知らない人でも飛び込む以外には無い。
何が何だか分からないままに飛び込んでやっとの思いで3人頼んだことを覚えている。 通りすがりに出し抜けに公明党をお願いするんだ。
そうでもしないと頼める人が見付からない。 今から思えば異常だった。
見ず知らずの赤の他人にいきなり頼むんだ。 落下傘部隊になった気分だった。
それから35年が経った。 この間にうさん臭さがどんどん露呈していく。
そしてぼくは投票すらしなくなったんだ。 ノルマを課せられていたあの頃が懐かしくさえ思う。
会合で会館に行くと候補者が立っていて支援を呼び掛ける挨拶をする。
投票日は各地区の拠点に集まって集計やら連れ出し屋ら結果報告やらをする。 投票終了の6時までみんな揃って心配している。
秋谷会長が「選挙支援は活動の一部だ。」と明言するまでそれは続いたんだ。 ぼくはずっとおかしいと思っていた。
この1990年問題が起きる前、1979問題というやつが起きていた。
ある幹部が宗門を批判した。 それを逆手に取った宗門は池田会長の退陣を強烈に求めてきた。
昭和53年に勃発した問題は年を越していよいよ抜きがたい所にまで進んでしまって池田会長は止む無く辞職を選んだ。 この頃、ぼくは小学4年から5年になる頃である。
施設に入っていたぼくは毎週夜に聞こえてくる不思議な声を聞いていた。 拝んでいるような歌っているような、、、。
しかもそれは全員が男である。 その当時は正体不明でただただうるさい騒音としか思えなかった。
でも自分が入信してみるとやっとその正体が分かったから驚いた。 それは実は男子部の拠点から漏れてくる勤行の声だったのだ。
一般の会員は我が身を削る思いで祈っていたし戦っていた。 しかし本部の幹部たちは戦意を失っていた。
「時流だからしょうがないんですよ。 時流には逆らえません。」 池田会長にそう言い切った幹部はその後どうしただろう?
聖教新聞は「池田会長が勇退された。」と書き立てたが真実は決断の後の辞職だったわけだ。 弟子が師匠を守らなかった。
池田会長はそのまま名誉会長になった。 しかし聖教新聞紙上にも出てこない。
指導する機会すら無い。 宗門は悉く池田会長の権威を剥奪して掛かったわけだ。
その闇の中、名誉会長は決心して動き始める。 それが『人間革命』の最下位だった。
既に10巻まで書かれていたこの小説を12巻まで増版したのである。 誰もが目を丸くした。
「こんなことをしてもいいんですか?」 宗門の弾圧は免れがたい状況だった。
そして名誉会長は全国へ指導の手を伸ばしていった。 その中で起きたのが今回の事件である。
突然に噴き上げた黒い炎に会員は激怒した。 そして「今度こそ」という思いで立ち上がった。
その一方で学会を離れて宗門に付く人たちも多く表れた。
「部員さんを守って馬鹿な学会から切り離します!」 寺に行って元気に吠えた女子部長が居た。 地区組織丸ごと居なくなった組織も有る。
登山する金を集めるために豆腐を売り歩いていたおじさんは市電に飛び込んで死んでしまった。 あちらこちらで様々なエピソードが舞い踊った。
その末の破門通知である。 皆は「魂の独立記念日だ!」と歓喜の声を挙げた。
ところがどうだろう? 日本の景気はこの頃から底を撃ち抜かれたように没落するのである。 バブルの夢は一瞬で消え去ってしまった。
ゴルフ会員権までが破格で売りさばかれ、毎日のように1万円札が飛び交い、就職する学生はこれ以上無いくらいの接待を受けた好景気が一気に萎んでしまった。
このバブル期を象徴するような事件が1989年に起きている。 一つは竹藪事件だろう。
竹藪の中から多額の現金が見付かったというのである。 マスコミは「創価学会の裏金か?」なんて平気で書き立てたもんだ。
そうこうしていたら大分で日蓮正宗の僧侶が誘拐される事件が起きた。 この時、犯人が学会本部に要求した身代金は6億円。
それを躊躇せずに用意して会長と理事長が大分へ飛んだというから世間の人たちは空いた口が塞がらなかった。
「池田さんって金持ちなんだなあ。」 あちらこちらでそう言っているのを聞いたくらいである。
まあね、毎年財務で多額の金を集めているのだからそれくらいは簡単に用意できるだろう。
いったい、どれくらいの人がいくらくらい送金しているのか分かったもんではない。 しかも日本全国の金融機関が対象である。
数十億と見積もってもいいくらいの金額が毎年振り込まれてくるのである。 しかし創価学会は在家の団体である。
聖職者でもなければ宗教学者でもない。 僧侶でもなければ、、、。
日蓮大聖人の御書を紐解くと釈迦に土餅を供養して大王と生まれた子供たちの逸話とか釈迦の弟子たちにご飯を供養して倉いっぱいの宝物を施された長者の話とかいうのが出てくる。
確かに供養は大事かもしれない。 しかしそれは現在には合わないように思われてしまうのだが、、、。
創価学会への献金は御本尊への供養だとよく言われる。 であるならばそれ相応に功徳を得た会員が全国から出てこなくてはいけない。
これだけ何十年も続いているのだからそろそろ富豪が出てきてもおかしくない。 しかし出てこない。
それだけみんなが当たり前の年中行事として財務活動を捉えているのではないだろうか? 「また今年もこの季節が来たぞ。」
幹部の間でもそのような話を聞くのである。 全ての活動が年中行事化してマンネリになっているようだ。
それは恐ろしいことだと思う。
そして大御本尊のことも完全に忘れ去られているようだ。 そのままでいいのだろうか?
宗門問題当時、安倍日顕は御本尊を偽物だと切り捨てた。 でありながら聖本堂を破壊した時には別所に移しているのである。
偽物であるならばなぜ別所に移す必要が有ったのだろうか? それは謎。
この1991年、4月には地方選挙が行われた。 公明党だって候補者を出している選挙である。
「大衆と共に生き、大衆の中に死んでいく。」と言われる公明党である。 縁も所縁も無いぼくにだって支援の手は伸びてくる。
「どっかに頼めそうな人は居ないのか?」 でも大阪に引っ越して1年。
これといって頼める当ては無い。 それでも頼まないと退転していると思われてしまう。
そんなプレッシャーの中で名簿を開いてみた。 まったく知らない人でも飛び込む以外には無い。
何が何だか分からないままに飛び込んでやっとの思いで3人頼んだことを覚えている。 通りすがりに出し抜けに公明党をお願いするんだ。
そうでもしないと頼める人が見付からない。 今から思えば異常だった。
見ず知らずの赤の他人にいきなり頼むんだ。 落下傘部隊になった気分だった。
それから35年が経った。 この間にうさん臭さがどんどん露呈していく。
そしてぼくは投票すらしなくなったんだ。 ノルマを課せられていたあの頃が懐かしくさえ思う。
会合で会館に行くと候補者が立っていて支援を呼び掛ける挨拶をする。
投票日は各地区の拠点に集まって集計やら連れ出し屋ら結果報告やらをする。 投票終了の6時までみんな揃って心配している。
秋谷会長が「選挙支援は活動の一部だ。」と明言するまでそれは続いたんだ。 ぼくはずっとおかしいと思っていた。
この1990年問題が起きる前、1979問題というやつが起きていた。
ある幹部が宗門を批判した。 それを逆手に取った宗門は池田会長の退陣を強烈に求めてきた。
昭和53年に勃発した問題は年を越していよいよ抜きがたい所にまで進んでしまって池田会長は止む無く辞職を選んだ。 この頃、ぼくは小学4年から5年になる頃である。
施設に入っていたぼくは毎週夜に聞こえてくる不思議な声を聞いていた。 拝んでいるような歌っているような、、、。
しかもそれは全員が男である。 その当時は正体不明でただただうるさい騒音としか思えなかった。
でも自分が入信してみるとやっとその正体が分かったから驚いた。 それは実は男子部の拠点から漏れてくる勤行の声だったのだ。
一般の会員は我が身を削る思いで祈っていたし戦っていた。 しかし本部の幹部たちは戦意を失っていた。
「時流だからしょうがないんですよ。 時流には逆らえません。」 池田会長にそう言い切った幹部はその後どうしただろう?
聖教新聞は「池田会長が勇退された。」と書き立てたが真実は決断の後の辞職だったわけだ。 弟子が師匠を守らなかった。
池田会長はそのまま名誉会長になった。 しかし聖教新聞紙上にも出てこない。
指導する機会すら無い。 宗門は悉く池田会長の権威を剥奪して掛かったわけだ。
その闇の中、名誉会長は決心して動き始める。 それが『人間革命』の最下位だった。
既に10巻まで書かれていたこの小説を12巻まで増版したのである。 誰もが目を丸くした。
「こんなことをしてもいいんですか?」 宗門の弾圧は免れがたい状況だった。
そして名誉会長は全国へ指導の手を伸ばしていった。 その中で起きたのが今回の事件である。
突然に噴き上げた黒い炎に会員は激怒した。 そして「今度こそ」という思いで立ち上がった。
その一方で学会を離れて宗門に付く人たちも多く表れた。
「部員さんを守って馬鹿な学会から切り離します!」 寺に行って元気に吠えた女子部長が居た。 地区組織丸ごと居なくなった組織も有る。
登山する金を集めるために豆腐を売り歩いていたおじさんは市電に飛び込んで死んでしまった。 あちらこちらで様々なエピソードが舞い踊った。
その末の破門通知である。 皆は「魂の独立記念日だ!」と歓喜の声を挙げた。
ところがどうだろう? 日本の景気はこの頃から底を撃ち抜かれたように没落するのである。 バブルの夢は一瞬で消え去ってしまった。
ゴルフ会員権までが破格で売りさばかれ、毎日のように1万円札が飛び交い、就職する学生はこれ以上無いくらいの接待を受けた好景気が一気に萎んでしまった。
このバブル期を象徴するような事件が1989年に起きている。 一つは竹藪事件だろう。
竹藪の中から多額の現金が見付かったというのである。 マスコミは「創価学会の裏金か?」なんて平気で書き立てたもんだ。
そうこうしていたら大分で日蓮正宗の僧侶が誘拐される事件が起きた。 この時、犯人が学会本部に要求した身代金は6億円。
それを躊躇せずに用意して会長と理事長が大分へ飛んだというから世間の人たちは空いた口が塞がらなかった。
「池田さんって金持ちなんだなあ。」 あちらこちらでそう言っているのを聞いたくらいである。
まあね、毎年財務で多額の金を集めているのだからそれくらいは簡単に用意できるだろう。
いったい、どれくらいの人がいくらくらい送金しているのか分かったもんではない。 しかも日本全国の金融機関が対象である。
数十億と見積もってもいいくらいの金額が毎年振り込まれてくるのである。 しかし創価学会は在家の団体である。
聖職者でもなければ宗教学者でもない。 僧侶でもなければ、、、。
日蓮大聖人の御書を紐解くと釈迦に土餅を供養して大王と生まれた子供たちの逸話とか釈迦の弟子たちにご飯を供養して倉いっぱいの宝物を施された長者の話とかいうのが出てくる。
確かに供養は大事かもしれない。 しかしそれは現在には合わないように思われてしまうのだが、、、。
創価学会への献金は御本尊への供養だとよく言われる。 であるならばそれ相応に功徳を得た会員が全国から出てこなくてはいけない。
これだけ何十年も続いているのだからそろそろ富豪が出てきてもおかしくない。 しかし出てこない。
それだけみんなが当たり前の年中行事として財務活動を捉えているのではないだろうか? 「また今年もこの季節が来たぞ。」
幹部の間でもそのような話を聞くのである。 全ての活動が年中行事化してマンネリになっているようだ。
それは恐ろしいことだと思う。



