日蓮正宗には檀徒の団体と信徒の団体が在った。 信徒団体が創価学会である。
そこの名誉会長である池田先生は檀徒団体の総代表も兼ねていた。 それをいきなり罷免したのである。
それだけかと思いきや宗門はさらなる攻撃を仕掛けてきた。 会員の登山禁止である。
日蓮正宗の大石寺は静岡県の富士宮に在る。 総本山であるからそこに詣でることを登山と言う。
名誉会長を切ったのだから会員も同様だと言うのだ。 これにはみんなが驚いた。
登山禁止は学会員だけでなく地域経済にも破滅的な影響を及ぼしてしまった。
登山するために誂えられていた臨時列車の運行が停止され、富士宮駅から大石寺に向かっていたピストンバスも営業できなくなってしまった。
登山列車の運行が無くなったおかげで国鉄が用意した長いホームも用済みとなってしまって今では使われることも無くなった。
会員をピストン輸送していたバス会社も倒産してしまった。 jrには数億円規模の損失であろう。
あれから34年が過ぎ去った。 池田名誉会長も安倍日顕も死んでしまった。
あの当時、中心で戦っていた人たちも60代70代になってしまった。 そして会長だった秋谷栄之助は学会を去った。
いつまでもこのままでいいとは思えない。 なぜなら大石寺には代御本尊が安置されているからだ。
完全に荒れ果ててしまった大石寺を再興する時は必ず来る。 それを願う人たちも必ず現れる。
壊されてしまった聖本堂も再建される時が来る。 これ無くして日本が立ち上がることは無い。
それにしても池田名誉会長への攻撃は寝耳に水だった。 ぼくは正月の会合で話を聞くまで知らなかったんだ。
(俺が入信したからこんなことになっちまったんだ。) 本気でそうも思った。
御書を知らなかったからね まだ。
さてさて御本尊を戴いて寄宿舎に帰ってきたぼくは昼食を食べてから港区へ出掛けて行った。 自在会とかいうグループの会合が有るそうだ。
このグループは視力障碍者の人材グループだった。 関東 関西には活発な動きが有るらしい。
会館に入ってみるとけっこうな人数が集まっている。 中で寸劇とかコーラスとか体験発表とかやるらしい。
同行した山川は寸劇をしているメンバーの手元を見ながら頓狂な声を挙げた。 「すげえ、点字を読みながら喋っとるで。」
驚くのも無理は無い。 見えている人たちでも寸劇はなかなか難しいのに、、、。
コーラスを聞きながらぼくは思った。 (一緒に歌いたいな。)
高山君はこの日、隣には居なかった。 1週間後に迫った大文化祭の猛特訓に参加していたから。
彼はよく言っていた。 「珍しいですよ。 紹介者が居ない御受会なんて、、、。」
本当にそうだった。 あれから35年が一気に過ぎたんだね。
その夜、戴いた御本尊を御安置申し上げるべく高山君と二人で勤行をした。 包みから御本尊を取り出し広げた時、ぼくは(おや?)と思った。
目の前が眩く輝いたからだ。 (これが御本尊なんだな。)
一目見ただけでは何のことだか分からないだろう。 ただただ文字が連ねられている御本尊である。
仏の絵が描いてあるわけでもなく模様が描かれているわけでもない。 ただただ文字が並んでいる。
その次第は『日女御前御返事』に明らかである。
南無妙法蓮華経を中心に不動明王や愛染明王 大梵天王や弁財天、鬼子母神や天台大師までが記されている。 天省大臣や八幡大菩薩も座を占めている。
壮大な空感を持った御本尊である。 (これから全てが変わるんだな。)
ぼくはそう思った。
それから三日ほど経った朝、ぼくは何気に経本を開いてみた。 でもまだまだ分からないことだらけ。
勤行をしなきゃいけないと思って5時過ぎに飛び起きて経本を開いたのである。 点字を一つずつ辿りながらの勤行だ。
気付いたら7時を過ぎていて高山君もその姿に驚いたという。 やっとぼくも一歩を踏み出したわけだ。
それからが大変。 毎日毎日勤行をしながら暮らすようになる。
何をやっても長続きしないはずなのにこれだけは35年もやってきた。 不思議なくらいにおじさんになっても続けているんだ。
何がそうさせるんだろう? ぼくには分からない。
さてもさても入信から一か月が過ぎようとした頃、ぼくは不思議なことに気が付いた。
油のようにべた付いて臭いのきつい汗が沁み出してくるんだ。 その臭いたるや鼻がひん曲がりそうなくらいに強烈である。
その頃は何でそうなるのか全く理解できなかったが、35年も過ぎて考えてみた。
当時は悪性筋炎で苦しんでいたわけだ。 医者は言っていた。
「筋肉が炎症を起こして体中に毒が回ってるよ。」って。 ということはその毒素が汗に混じって噴き出していたことになるのではないだろうか?
「南無妙法蓮華経は宿命転換の仏法である。」とよく言われる。 であるならば筋炎によって足を失うはずだった宿命を転換したことになる。
事実、それ以来は燃え滾るような足の痛みに苦しむことも無くなったのだから。
正美ちゃんはというと、こちらはこちらでぼくが入信した後は以前より仲が悪くなってしまった。
「何で学会に入ったん? 幹部に騙されたらあかんで。」 いきなりそんなことを言ってきたから戸惑ってしまった。
かなりの噂になるくらいに仲良しだったのだが入信をきっかけに冷えすぎるくらいに冷えてしまったのだ。 これも縁である。
あれから35年、彼女はどうしているだろうか?
その年の12月。 ぼくは周囲の反対も押し切ってアパートで独り暮らしを始めた。
jr阪和線 安孫子町駅近くに在った清風荘である。 二階西側の部屋に落ち着いたぼくはなぜか浮かれていた。
でもまあ今から思えばこれほど無謀な冒険も無かっただろう。 兎にも角にも社会のことを何も知らないのだから。
6畳の部屋に布団と少しの日用品を持ち込んで始まった一人暮らしは何もかもが初挑戦で誰かが居なければ外にも行けない状態だった。
しっかりした計画が有るわけでもなくただただ部屋を借りている友人に憧れて部屋を借りたんだ。 何も知らないから出来た冒険だった。
その中で1991年の元旦を迎える。 新年の会合は日顕問題への猛抗議から始まった。
池田名誉会長は「大聖人滅後700年に天魔が必ず現れる。」という御書を引用して檄を飛ばした。
この1990年は富士大石寺開山700年に当たっていたのだ。
その慶祝事業は年間を通じて行われていた。 創価学会も慶祝登山を実施中だった。
毎月数万の会員が登山する。 宿坊はいつも満員である。
その中で姑息にも安倍日顕はc作戦の準備を進めていた。 【cut】のcである。
それを実行したのが12月27日だった。 創価学会は諸手を挙げて猛抗議を開始した。
しかしそれは互いに一歩も譲らぬ精神戦に縺れ込んでいく。 その中で学会を離れる人たちも出てきた。
地区組織が丸ごと離れていったり有名人が脱会していったりしたのもこの頃だ。
そこへ6月の総登山禁止が伝えられる。 戸田会長の発案による登山界はここで終わった。
それだけかと思ったら10月になって宗門は創価学会に解散勧告を投げ付けてきた。 事態が目まぐるしく動いているのである。
かと思っていたら11月には破門を通告してきたから世間の人たちは唖然としてしまったことだろう。
この騒動は長らく宗創戦争とも呼ばれてきた。 でもぼくには未だ理解できないのである。
一見すると互いに言い掛かりを付けて大喧嘩をしているようにも見える。 一方では息子と小姑が権力争いをしているようにも見える。
またはどっかの権力者同士が醜い争いをしているようにも見えてくる。 本当の所はどうなのだろう?
創価学会の中に居ると大石寺の悪事ばかりがクローズアップされていく。 日顕の発言ばかりが問題にされていく。
確かにそれはそうかもしれないが激突するまでに何とかならなかったのだろうか? 35年前のこととはいえ、再度検証すべきだと思う。
ここに御安置されている巨大な板曼荼羅は全世界の人たちに開放されるべき大曼荼羅である。
日蓮大聖人から日興聖人へ受け継がれ、これまで守られてきた御本尊である。
その御本尊を拝せなくなった時、驚異的なバブル景気は一瞬の泡と消え去ったのだ。
それを思う時、日本を建て直すのはここからだという思いを強くするのはぼくだけではないだろう。
そこの名誉会長である池田先生は檀徒団体の総代表も兼ねていた。 それをいきなり罷免したのである。
それだけかと思いきや宗門はさらなる攻撃を仕掛けてきた。 会員の登山禁止である。
日蓮正宗の大石寺は静岡県の富士宮に在る。 総本山であるからそこに詣でることを登山と言う。
名誉会長を切ったのだから会員も同様だと言うのだ。 これにはみんなが驚いた。
登山禁止は学会員だけでなく地域経済にも破滅的な影響を及ぼしてしまった。
登山するために誂えられていた臨時列車の運行が停止され、富士宮駅から大石寺に向かっていたピストンバスも営業できなくなってしまった。
登山列車の運行が無くなったおかげで国鉄が用意した長いホームも用済みとなってしまって今では使われることも無くなった。
会員をピストン輸送していたバス会社も倒産してしまった。 jrには数億円規模の損失であろう。
あれから34年が過ぎ去った。 池田名誉会長も安倍日顕も死んでしまった。
あの当時、中心で戦っていた人たちも60代70代になってしまった。 そして会長だった秋谷栄之助は学会を去った。
いつまでもこのままでいいとは思えない。 なぜなら大石寺には代御本尊が安置されているからだ。
完全に荒れ果ててしまった大石寺を再興する時は必ず来る。 それを願う人たちも必ず現れる。
壊されてしまった聖本堂も再建される時が来る。 これ無くして日本が立ち上がることは無い。
それにしても池田名誉会長への攻撃は寝耳に水だった。 ぼくは正月の会合で話を聞くまで知らなかったんだ。
(俺が入信したからこんなことになっちまったんだ。) 本気でそうも思った。
御書を知らなかったからね まだ。
さてさて御本尊を戴いて寄宿舎に帰ってきたぼくは昼食を食べてから港区へ出掛けて行った。 自在会とかいうグループの会合が有るそうだ。
このグループは視力障碍者の人材グループだった。 関東 関西には活発な動きが有るらしい。
会館に入ってみるとけっこうな人数が集まっている。 中で寸劇とかコーラスとか体験発表とかやるらしい。
同行した山川は寸劇をしているメンバーの手元を見ながら頓狂な声を挙げた。 「すげえ、点字を読みながら喋っとるで。」
驚くのも無理は無い。 見えている人たちでも寸劇はなかなか難しいのに、、、。
コーラスを聞きながらぼくは思った。 (一緒に歌いたいな。)
高山君はこの日、隣には居なかった。 1週間後に迫った大文化祭の猛特訓に参加していたから。
彼はよく言っていた。 「珍しいですよ。 紹介者が居ない御受会なんて、、、。」
本当にそうだった。 あれから35年が一気に過ぎたんだね。
その夜、戴いた御本尊を御安置申し上げるべく高山君と二人で勤行をした。 包みから御本尊を取り出し広げた時、ぼくは(おや?)と思った。
目の前が眩く輝いたからだ。 (これが御本尊なんだな。)
一目見ただけでは何のことだか分からないだろう。 ただただ文字が連ねられている御本尊である。
仏の絵が描いてあるわけでもなく模様が描かれているわけでもない。 ただただ文字が並んでいる。
その次第は『日女御前御返事』に明らかである。
南無妙法蓮華経を中心に不動明王や愛染明王 大梵天王や弁財天、鬼子母神や天台大師までが記されている。 天省大臣や八幡大菩薩も座を占めている。
壮大な空感を持った御本尊である。 (これから全てが変わるんだな。)
ぼくはそう思った。
それから三日ほど経った朝、ぼくは何気に経本を開いてみた。 でもまだまだ分からないことだらけ。
勤行をしなきゃいけないと思って5時過ぎに飛び起きて経本を開いたのである。 点字を一つずつ辿りながらの勤行だ。
気付いたら7時を過ぎていて高山君もその姿に驚いたという。 やっとぼくも一歩を踏み出したわけだ。
それからが大変。 毎日毎日勤行をしながら暮らすようになる。
何をやっても長続きしないはずなのにこれだけは35年もやってきた。 不思議なくらいにおじさんになっても続けているんだ。
何がそうさせるんだろう? ぼくには分からない。
さてもさても入信から一か月が過ぎようとした頃、ぼくは不思議なことに気が付いた。
油のようにべた付いて臭いのきつい汗が沁み出してくるんだ。 その臭いたるや鼻がひん曲がりそうなくらいに強烈である。
その頃は何でそうなるのか全く理解できなかったが、35年も過ぎて考えてみた。
当時は悪性筋炎で苦しんでいたわけだ。 医者は言っていた。
「筋肉が炎症を起こして体中に毒が回ってるよ。」って。 ということはその毒素が汗に混じって噴き出していたことになるのではないだろうか?
「南無妙法蓮華経は宿命転換の仏法である。」とよく言われる。 であるならば筋炎によって足を失うはずだった宿命を転換したことになる。
事実、それ以来は燃え滾るような足の痛みに苦しむことも無くなったのだから。
正美ちゃんはというと、こちらはこちらでぼくが入信した後は以前より仲が悪くなってしまった。
「何で学会に入ったん? 幹部に騙されたらあかんで。」 いきなりそんなことを言ってきたから戸惑ってしまった。
かなりの噂になるくらいに仲良しだったのだが入信をきっかけに冷えすぎるくらいに冷えてしまったのだ。 これも縁である。
あれから35年、彼女はどうしているだろうか?
その年の12月。 ぼくは周囲の反対も押し切ってアパートで独り暮らしを始めた。
jr阪和線 安孫子町駅近くに在った清風荘である。 二階西側の部屋に落ち着いたぼくはなぜか浮かれていた。
でもまあ今から思えばこれほど無謀な冒険も無かっただろう。 兎にも角にも社会のことを何も知らないのだから。
6畳の部屋に布団と少しの日用品を持ち込んで始まった一人暮らしは何もかもが初挑戦で誰かが居なければ外にも行けない状態だった。
しっかりした計画が有るわけでもなくただただ部屋を借りている友人に憧れて部屋を借りたんだ。 何も知らないから出来た冒険だった。
その中で1991年の元旦を迎える。 新年の会合は日顕問題への猛抗議から始まった。
池田名誉会長は「大聖人滅後700年に天魔が必ず現れる。」という御書を引用して檄を飛ばした。
この1990年は富士大石寺開山700年に当たっていたのだ。
その慶祝事業は年間を通じて行われていた。 創価学会も慶祝登山を実施中だった。
毎月数万の会員が登山する。 宿坊はいつも満員である。
その中で姑息にも安倍日顕はc作戦の準備を進めていた。 【cut】のcである。
それを実行したのが12月27日だった。 創価学会は諸手を挙げて猛抗議を開始した。
しかしそれは互いに一歩も譲らぬ精神戦に縺れ込んでいく。 その中で学会を離れる人たちも出てきた。
地区組織が丸ごと離れていったり有名人が脱会していったりしたのもこの頃だ。
そこへ6月の総登山禁止が伝えられる。 戸田会長の発案による登山界はここで終わった。
それだけかと思ったら10月になって宗門は創価学会に解散勧告を投げ付けてきた。 事態が目まぐるしく動いているのである。
かと思っていたら11月には破門を通告してきたから世間の人たちは唖然としてしまったことだろう。
この騒動は長らく宗創戦争とも呼ばれてきた。 でもぼくには未だ理解できないのである。
一見すると互いに言い掛かりを付けて大喧嘩をしているようにも見える。 一方では息子と小姑が権力争いをしているようにも見える。
またはどっかの権力者同士が醜い争いをしているようにも見えてくる。 本当の所はどうなのだろう?
創価学会の中に居ると大石寺の悪事ばかりがクローズアップされていく。 日顕の発言ばかりが問題にされていく。
確かにそれはそうかもしれないが激突するまでに何とかならなかったのだろうか? 35年前のこととはいえ、再度検証すべきだと思う。
ここに御安置されている巨大な板曼荼羅は全世界の人たちに開放されるべき大曼荼羅である。
日蓮大聖人から日興聖人へ受け継がれ、これまで守られてきた御本尊である。
その御本尊を拝せなくなった時、驚異的なバブル景気は一瞬の泡と消え去ったのだ。
それを思う時、日本を建て直すのはここからだという思いを強くするのはぼくだけではないだろう。



