君に花を贈る

 水族館デートから数日後、花屋で店番をしていたら、葵と理人が並んでやってきた。
 二人とも店に入るなり、俺の顔を見てきょとんとしている。

「……藤乃くん、良かったね?」
「えっ、なに?」
「ついに花音さんとお付き合いできたんですね?」
「なんで!? 俺、何にも言ってないぞ? ……探偵でも雇った?」

 俺が言うと、二人は顔を見合わせて吹き出した。
 何だこいつら……!

「藤乃くん、鏡見たほうがいいよ」
「そこまで浮かれてたら、探偵なんていらないですよ」
「そ、そんなこと……ない! ……かも、しれないけど」

 正直、否定できない。


 水族館デートのあと帰宅したら、両親だけじゃなく、じいさんにまで

「あ、やっと付き合い始めた?よかったね」
「いつ籍入れるんだ?」
「付き合いがあるから、式の日取りは早めに決めろよ」

 なんて言われた。
 気が早い!!
 でも、浮かれきってた俺は、

「花音ちゃんと相談します」

 とだけ返して、午前中はしっかり寝かせてもらった。
 花音ちゃんとお揃いのシャチのぬいぐるみは、今もベッドで寝ている。


 だから、付き合いの長い二人に顔つきだけでバレても、まあ無理ないんだけどさ。
 ……二、三日経つのに、まだそんなに浮かれた顔してるかな、俺。

「あとねー」

 葵がニヤニヤしながら俺の手元を指差した。

「藤乃くん、店頭に並んでるブーケ、赤とかピンクばっかりだよ? バラにシャクヤクにガーベラとかさ」

 言われて店頭の棚に目をやると、たしかにその通りだった。
 普段は色が被らないように気をつけてるのに、今日は見事に赤とピンクばっかりだった……。

「……作り直す」
「いいんじゃない? 今のままでもかわいいよ?」
「やだ。俺のセンスが許さない。色恋で浮かれて仕事を雑にしたら、花音ちゃんに嫌われる」
「藤乃さんらしいっていえば、そうなんですけど……」

 理人が笑って、ピンクのブーケを一つ手に取った。

「これください。この後レイラさんと会うから、たまにはピンクにします」
「茉莉野の好きな色の花、用意するけど」
「いえ、これがいいです。いつもは黄色とかオレンジが多いですけど、レイラさんにはピンクだって似合うと思うんです」

 そう言ってピンクのブーケを見つめながら目を伏せる理人は、ますます王子様っぽさに磨きがかかっていた。
 花音ちゃんが来る日じゃなくてよかった!
 理人からブーケを受け取ってラッピングしているあいだに、奥で葵がエプロンをつけて戻ってきた。
 店の倉庫から花を持ってくるように頼んで、理人とブーケと代金を交換する。

「で、理人は何しに来たんだ?」
「そろそろマンションの花壇の花の手入れをお願いしようかと思いまして。近い内に祖父から正式に依頼があると思います。場所なんですけど……」
「へいへい」

 いくつか住所を渡されて、ざっと目を通す。
 今植えてある花、今の時期に仕入れられる花……。さらに、入れ替えの時期やデザインの希望も聞いて、まとめておく。

「了解。じゃあ、じいさんには話通しとく。正式な依頼が来たら、改めて決めよう」
「よろしくお願いします」

 理人は律儀に頭を下げて、出ようとしたところで足を止めた。

「あ、結婚式するなら、呼んでもらえると嬉しいです」
「はいはい、考えとくよ」
「私も!私も!!」

 花を抱えた葵がニコニコしながら口を挟む。

「うるせえなあ、二人して。わかったから、理人は帰れ。葵はバケツ出して」
「楽しみにしてます」

 理人はピンク色のブーケを抱えて店を出ていく。
 葵は俺に花を渡して、水を張りにバケツを持っていった。
 俺は受取った花を確認しながら店先に並べていく。

「すみません、ブーケをお願いしたくて……」

 若いスーツ姿の男性がおそるおそる、といった顔で入ってくる。

「いらっしゃいませ。お花の種類やご予算にご希望はありますか?」
「えっと、さっき出ていった男の人が持ってたのと似たようなのが欲しくて……」
「でしたら、こちらにいくつかありまして……」

 葵が店番してるとよく売れるけど、理人にもそんな効果があるとは……。
 顔がいいって、ほんとすごい。
 俺も、ああいう顔だったらな……いや、無理か。
 そもそも理人みたいな愛想の良さとかないし。
 仕事だから、それっぽい顔を頑張って作ってるだけだし。
 そのあとも、赤とピンクのブーケは意外と好評で、閉店前には全部売れてしまった。

「ありがとうございました」

 葵が笑顔で、最後の赤いブーケをお客さんに手渡している。
 ブーケを受け取った女の子が、「ママの誕生日プレゼントなんだ」って、嬉しそうに笑って出ていった。

「全部売れたねえ」
「そうだね。作り直さなくて正解だったな。次からは、赤とピンクの割合をちょっと増やしてみようかな」
「んー、というか、さ」

 葵が苦笑して俺を見上げた。

「藤乃くんが浮かれて作ったから、いつもよりやわらかくて、かわいい雰囲気なんだよね。それで、いつもと違う客層に売れたんじゃないかな」
「……マジで?」
「うん。作ったやつ、写真撮った?」
「撮ったよ。あ、前のと並べて比べてみようか」

 スマホで撮ったブーケの写真を店のパソコンに送る。前のは送ってあるから並べて比べる。

「……だなあ。なんていうか、本当にかわいい。お前、するどいなあ。やっぱ探偵なんじゃね?」
「私が何年、藤乃くんのブーケ見てきたと思ってるの? そもそも藤乃くんって、わかりやすいしね」
「否定できねえ……。でも、かわいい系に需要あるなら、意識して作れるようになりたいな。……ちょっと考えてみる」

 そう言うと葵はニコッと笑った。

「藤乃くんの、そういう前向きなとこ、好きだよ」
「そら、どーも。……そんな目で睨むなって、朝海」

 そう言うと葵がバッと振り向いた。店の入り口で朝海が真っ直ぐに立っている。

「迎えに来た」
「ありがとう! もうそんな時間かあ」

 時計を見たら、閉店まで一時間を切っていた。
 葵と朝海を見送って、一人で店仕舞いの準備に取りかかった。

 今日の売上は、昨日よりもいい。
 明らかに、ミニブーケの動きがいい。
 明日はどうしようかと、売上伝票を見つめながら考える。
 午前中は店番だから、その間にいくつか作っておいて、午後の売れ行きは母親に確認してもらおう。
 そんなことを考えながら片付けを終えて、最後にシャッターをガラガラと下ろした。
 カウンターの明かりを消そうとした手が、ふと止まる。
 ……花音ちゃんとは、水族館の帰りに送ってから会ってないし、連絡もそれきり。
 当日は浮かれながらも台風明けでバタバタしてて、翌日もじいさんと一日中庭仕事で、スマホを触る暇もなかった。今日は今日で、浮かれながら店番してて、市場にも顔を出せてない。
 ポケットのスマホを取り出す。
 通知は、なにも来てなかった。
 でも、俺は彼氏だし、理由なんてなくても連絡くらいしていいよな?
 ……やっぱ止めるとか言われない限りは。

「はー……、どんだけヘタレなんだよ」

 店の裏口にもたれかかって、スマホの画面を見つめる。
 ススッと操作して、花音ちゃんの連絡先を表示する。電話したら迷惑かな、どうかな。
 メッセージを送るだけにしておこうか。……なんて送ればいいんだっけ?
 画面の上で指をうろうろさせてたら、いきなり扉が開いた。

「うわっ……!」

 勢いよくひっくり返って、尻から落ちた。痛い……。
 なぜか背後から、ぴろぴろとのんきな音が流れている。

「藤乃さん、ごめんなさい……大丈夫ですか?」
「花音ちゃん!?」

 慌てて振り向くと花音ちゃんが困った顔で上から覗き込んでいた。
 スマホを見たら、ひっくり返った拍子に電話してしまったらしい。慌てて通話を切って、花音ちゃんを見上げた。

「……ダメだったから、キスして」

 俺の情けない言葉に、花音ちゃんはふっと微笑む。

「藤乃さん、いきなり甘えん坊になりましたね?」

 そう言いながらも両肩にそっと手が添えられて、額に温かいものが触れる。

「こっちがいいな」

 唇が触れたと思ったら、

「それなら、ちゃんと起き上がってください」

 なんて優しく叱られた。
 すごいな……花音ちゃん、もともとかわいいのに、そこに甘さまで加わってる。
 俺の情けない甘えに呆れもせず、ちゃんと受け止めてくれて……嬉しくて、頭がふわふわする。
 立ち上がって向かい合うと、花音ちゃんがふわっと笑った。

「花音ちゃんは、今日もかわいいね」
「藤乃さんもかっこいいです」
「今日って、由紀さんから納品の予定あったっけ?」
「ないですけど、会いたかったから外出ついでに寄らせてもらいました。駐車場で須藤さんにお会いして、藤乃さんがこちらだとうかがいましたので」

 ……駐車場の方を見たけど親父は見当たらない。
 それでもなんとなく気恥ずかしいから、開けっぱなしになっていた扉を指差す。

「立ち話もなんだし、良かったら入って」
「はい、少しだけ」

 花音ちゃんを先に中へ通して、そっと扉を閉めた。
 いつもどおり椅子とお茶を勧めて、俺も椅子を出してくる。

「ちょうど連絡しようと思ってたんだ。電話にするか、メッセージにするか迷ってて。会いに来てくれて嬉しいよ」
「私も顔が見たかったから来ちゃいました。今朝は市場にいらっしゃいませんでしたし」

 探り探り、会話を続ける。
 ……ここから、どうすればいいんだろう。
 探偵じゃない俺には、花音ちゃんの気持ちなんてちっとも読めない。

「花音ちゃん」
「はい?」
「……えっと、ごめん。うまく言えない。こういうとき、何て言えばいいんだろう」

 花音ちゃんは目を丸くして、少し間を置いてから口を開いた。

「何も言わなくていいから、抱きしめてください」
「わかった」

 俺が立ち上がると、花音ちゃんも同じように立って、そっと腕を広げた。
 腕の中にそっと花音ちゃんを収める。温かくて柔らかくて、草と土のいい匂いがする。

「はー……好き。ずっと腕に抱えて歩きたい」
「子猫みたいですね」
「それよりずっとかわいいし、もっと好き」
「藤乃さんは甘えるのも甘やかすのも上手です」
「そう? 花音ちゃんだから」

 少し顔を離したら、花音ちゃんもまっすぐ俺を見てくる。
 キス、してもいいかな……。
 たぶん大丈夫。でも、がっついちゃダメだ。

「あ、そうだ」

 花音ちゃんが声を上げたから、腕の力を緩めた。キス……し損ねた。

「私も、ご挨拶に伺おうと思ってたんです」
「挨拶?」
「はい。この間、藤乃さんが私の両親に挨拶してくれたので、私も藤乃さんのご家族に“お付き合いさせていただいてます”ってご挨拶したくて」

 にこにこしながら話す花音ちゃんを見て、思わず本音がこぼれた。

「……好き」
「えっ、なんで?」

 目を丸くする花音ちゃんを抱きしめる。
 もう離したくないし、できれば帰ってほしくなかった。
 こんなにかわいい子が彼女になってくれたのに、なんで三日も放っておいちゃったんだろう。

「藤乃さん、藤乃さんてば。ご挨拶、しに行きませんか?」
「んー……もうちょっと」
「またいくらでも抱きしめますから」
「またじゃなくて、今がいい」

 とはいえ、閉店後の店内でいつまでもこうしてるわけにもいかない。あまり時間が経つと親が見に来るし、セキュリティ会社にも通知が行く。

「ごめん、ちょっと抑えがきかなくて」
「藤乃さんもそういうところあるんですね」
「俺なんて、そういうとこしかないよ」

 なんとか手を離して、店の裏口の扉を開ける。明かりを消して、セキュリティを入れて鍵をかける。
 家に行くと、両親は台所にいて、じいさんはリビングでテレビを見ていた。

「あのさ、今いい?」
「はいはい、あら花音ちゃん。ごはん食べていく?」
「いや、そうじゃなくて」
「夜分にすみません。事前に連絡もしてなくて。あの、藤乃さんとお付き合いさせていただくことになりましたので、ご挨拶に伺いました」

 花音ちゃんが頭を下げたタイミングで、親父が台所から出てきた。

「由紀の娘なのに、しっかりしてるなあ」
「もっと他に言うことあるだろ!」
「花音ちゃんも瑞希くんもお母さん似だもんね。よかったね、由紀に似なくて」
「……瑞希は、最近は父に似てきました」
「あはは」

 笑っている親父の後ろから母親も出てきて花音ちゃんに微笑みかけた。

「至らない息子ですが、どうぞ、よろしくお願いします」
「とんでもありません。私のほうこそ、迷惑ばかりおかけして……でも、藤乃さんのことは、一生かけて幸せにします」
「花音ちゃん?」

 俺、そんなこと言われたことないし、むしろ俺のセリフじゃない、それ?

「……由紀の娘っ子は、たくましいなあ」
「うん、たしかに……」

 両親と花音ちゃんが喋っているのを見て、じいさんは満足そうに頷いた。
 ……まあ、いいか。
 ちゃんと受け入れてもらえたみたいだし。
 結局花音ちゃんはうちで夜ごはんも食べて帰って行った。

 帰り際、駐車場まで送ると、花音ちゃんは「あと……」と、呟くように言う。

「葵さんにも、挨拶、したいです」
「葵? なんで……あ、でも挨拶するなら理人も一緒がいいかも。葵は言葉がちょっと下手だけど、理人がいればうまくフォローしてくれるし」
「はい、お願いします」

 花音ちゃんが車に乗り込み、ドアを閉める直前に、体をかがめてそっと唇を重ねた。花音ちゃんは顔を赤くしながらも嬉しそうで、やっぱり帰したくない。

「おやすみなさい、花音ちゃん」
「……はい、おやすみなさい、藤乃さん」

 車から少し離れて、花音ちゃんを見送る。
 空には星がきらきら瞬いていて、家族がみんな喜んでくれて、唇には柔らかさが残っていた。……本当に、いい夜だった。