【1】屋上の花と、校内のうわさ

 五月のある日。中学校では、生徒の間で妙な噂が流れていた。

「屋上に行った人が“手紙”を拾ったんだって」
「内容が、誰にも届かなかった“恋文”だったとか……」

 そんな都市伝説のような話が広がって、放課後の教室はちょっとした騒ぎになっていた。

 「屋上の花壇、誰が世話してるのか知らないでしょ? そこに置かれてたらしいよ」

 教室の窓際で本を読んでいたわたし――蒼井ひよりは、その噂にふと、胸がざわつくのを感じていた。

(“誰にも届かなかった恋文”……)

 その響きが、どこか、胸の奥にひっかかった。



【2】理央の違和感

「おもしろいね。都市伝説にしては、話が整いすぎてる」

 放課後、図書室でその噂を話すと、理央くんは静かにそう言った。

 「つまり、偶然誰かが見つけた“忘れられた手紙”じゃなくて、誰かが“見せたかった手紙”ってこと?」

「うん。意図的に置いた形跡がある」

 彼は、例のスマホを操作しながら、ちいさく笑った。

「この手の“学校の怪談”は、掘ると意外と事実があるからね。調べてみようか」

 わたしは、無意識にうなずいていた。

(この人と一緒なら、どんな謎も、少しだけ楽しい)



【3】記憶の中の、花の匂い

 翌日。二人で屋上へと足を運ぶ。

 風が強くて、スカートの裾がふわりと舞う。
 そこには、整備されていないはずの古い花壇に、ひっそりと咲く白い花があった。

 その香りに、ひよりは一瞬――懐かしさのような、胸を刺すような感情を覚える。

「……あれ? この匂い……知ってる……」

「花の記憶まであるのかい、君の頭の中には?」

 理央のからかいに笑いそうになるけれど、わたしは真剣に花を見つめていた。

(これは……わたしが、小学校の卒業式の日に……)

 忘れていた“ある手紙”の記憶が、胸の奥でふいに目を覚ましはじめていた。


【4】記憶の断片と、白い便箋

 花壇の脇、少しだけ土が盛り上がった場所。
 そこに、封の開いた白い便箋が落ちていた。

「……これが、噂の“手紙”?」

 そっと拾い上げたひよりの指先に、かすかな震えが走る。

 紙は古く、インクは少しかすれていた。
 でも、確かにそこにはこう書かれていた。



「卒業式の日に、君に本当のことを言いたかった。
 でも、僕には勇気がなかった。
 もし、この手紙を見つけてくれたなら、あの時の返事を、聞かせてください」



「……これは……」

 ひよりは気づいてしまった。

 この字も、言葉も、知っている。
 ――小学六年生のとき、仲良しだった“ある男の子”が、最後の日に姿を消したあの日のことを。



【5】理央の静かな気づき

「君、動揺してる」

 理央が、そっと声をかけた。

 「もしかして……この手紙の“宛先”、君なんじゃない?」

 ひよりは何も言えなかった。
 でも、頷く代わりに、便箋をぎゅっと胸に抱きしめた。

 すると、理央がふいに視線を外し、空を見上げて言った。

 「この学校って、意外と“置き去り”にされた感情が多いんだな」

 「……そう、かも」

 わたしの心にも、ずっと答えられなかった思いがある。
 誰にも見せなかった、不器用な“さよなら”の記憶。




【6】小さな約束、今ふたたび

 帰り道。

 手紙を持ったままのひよりに、理央が静かに言った。

 「それ、返事、書いてみる?」

 「……え?」

 「“忘れてない”って、伝えてみたらどうかな。たとえ相手が誰で、今どこにいても」

 ひよりはふっと笑った。

 「理央くんって、やっぱりちょっと優しいね」

 理央は、ちょっとだけ顔をそらしながら、

 「別に。僕はただ、気になるだけだよ。君の顔が、ずっと曇ったままなのは――なんか、イヤだから」


【7】記憶に潜る、“あの子”の名前

 週末。ひよりは小学校の卒業アルバムを引っ張り出していた。
 紙に描かれた笑顔たちの中に――確かに、いた。

 中島 悠馬(なかじま ゆうま)。
 隣のクラスで、時々図書委員が一緒になって。
 自分の絵を見せてくれたり、唐突に鉛筆を貸してくれたり。

 そして、卒業式の日。彼は言った。

「ひよりちゃん、いつか何か“忘れたくないこと”があったら、屋上に行ってみて。
 きっと、君のほうが見つけてくれると思うから」

 わたしはその言葉の意味を、やっと理解しはじめていた。



【8】理央からの“演出”

 その日の放課後。理央に呼び出されたのは、旧校舎の視聴覚室。

 スクリーンに映されたのは、理央が作ったプレゼン資料。
 そこには、“校内に残された未回収の卒業手紙の記録”や、“中島悠馬”という生徒の進学先データ、失踪の噂まで――

「君が答えを出すために、僕ができることは“記憶を繋ぐデータ”を整えることだけだよ」

「……理央くん、これ……全部、私のために?」

 「違う。これは――」

 一拍の沈黙のあと、彼はゆっくり続けた。

 「僕が“君の記憶の味方”になりたいって思った、最初の仕事だ」

 胸の奥が、きゅっとなった。
 わたしは何も言えず、ただ「ありがとう」と小さくつぶやいた。



【9】返事を書く勇気

 そして週明け。
 ひよりは、便箋を一枚選び、白いペンで書き始めた。



「ずっと忘れられなかった。
 でも、あのときのわたしには、言葉を返す勇気がなかった。
 今なら、ちゃんと書けるよ。
 ありがとう。君の絵、本当に大好きだったよ」


 それを小さく折りたたみ、屋上の白い花の根元に埋める。

 「ねえ、理央くん。この気持ちって、なんだと思う?」

 「きっとそれは、“過去と未来の間”にしかない感情だよ。たぶん――」

 彼は横に座りながら、ふっと笑った。

 「君が、誰かにちゃんと“恋”できるって、証拠なんじゃないかな」


【10】最後の足跡

 数日後。理央が、ひよりにそっと封筒を差し出した。

 「これ……君宛てに返ってきた」

 中には、私が屋上に埋めたはずの手紙と、もう一通の新しい手紙。
 筆跡は、懐かしい“あの子”――中島悠馬のものだった。


「僕のこと、覚えていてくれてありがとう。
 あの頃の僕は、家の事情で急に転校しなきゃいけなかった。
 卒業式の日、君に想いを伝えようとして、結局怖くて逃げてしまった。
 でも、君が返事をくれたことで、ようやく前に進めそうです」




 読み終えたとき、ひよりの視界がにじんでいた。
 でもそれは、寂しさではなく、ほっとした涙だった。




【11】言葉にできない気持ち

 放課後、図書室で。

 静かな時間のなか、理央がふいに言った。

 「……君って、たまにすごく遠くに行っちゃう顔をする」

 「えっ?」

 「でも、それを見るのが嫌じゃない。むしろ、少し――」

 彼は少し口ごもって、そしてわたしに目を向けた。

 「……心配になるだけ、だよ。別に、それ以上じゃない」

 (それ以上って、どこまでのこと?)
 言葉にできなかったその問いが、胸の奥で小さく弾けた。



【12】咲いた気持ち

 帰り道。風が白い花びらを運んでくる。

 「理央くん」

 「ん?」

 「わたしね、たぶん――ちゃんと人を好きになる準備が、できてきた気がする」

 彼は一瞬だけ驚いたように目を見開いたあと、いつものクールな笑みで応えた。

 「じゃあ、今度は“その記憶”を、誰にも盗まれないように守らないとね」

 「うん。……よろしくね、理央くん」

 “記憶探偵”と“瞬間記憶の少女”の関係に、
 確かな絆の芽が、そっと咲き始めていた。