【1】春の匂い
冬が過ぎ、春の匂いが教室に満ちていた。
「今日で中学生活、最後か……」
理央は空っぽになった教室を見渡しながら、ぽつりと呟いた。
並べられた机と椅子。まだ残るクラスメイトの笑い声の名残。
ひよりが教室に入ってくる。
「……泣かないって決めたのに、ダメかも」
「泣いてもいいんだよ、今日は」
ふたりは静かに、教室の窓辺に座った。
【2】あれからの日々
文化祭から数か月。
凛翔は療養のため、理央の父が所有する地方の研究施設へ移された。
「心の記憶を取り戻すには、時間が必要なんだって。……でもさ」
理央は、ひよりの手を握る。
「“記録”じゃなくて、“記憶”で兄さんに戻ってほしい。俺たちみたいに」
ひよりは微笑む。
「きっと、大丈夫。感情は記録できないけど……伝えられるから」
【3】こよみとユウナ
こよみは、相変わらずカメラを片手に走り回っていた。
「ユウナちゃーん、卒業式ショット、笑ってー!」
「もう、先輩……恥ずかしいってば!」
「いいじゃん。あたしはね、ちゃんと覚えてたいの。君の一番まぶしい“今”を」
ユウナは一瞬驚いたあと、小さく笑う。
(わたしも……誰かの記憶に残ってるのかも)
【4】マヒルの未来
マヒルは、受け取った通知を見て笑っていた。
「……合格。あんたの言った通りだったね」
彼女が選んだのは、情報工学系の高校。
“記憶”の謎を科学で解き明かす道へ進むと決めていた。
「理央がやらなくても、私がやる。もっと優しくて、あったかいハッキングをね」
隣で聞いていた悠太がぼそっと。
「……俺も受かった。……隣のクラスだったら、俺、泣く」
「は? あんた、いつの間にそんな受験頑張ってたの?」
「……うるさい。お前と一緒の高校行きたかったからに決まってんだろ」
その場にいたこよみが叫ぶ。
「きたー! これ告白じゃーん!」
マヒルは顔を真っ赤にしたまま、悠太の頭をどついた。
【5】旅立ちの約束
卒業式の午後。
理央とひよりは、旧校舎の屋上へ向かっていた。
「ここで……最初に、あなたに会ったんだよね」
「いや、最初に会ったのは図書室」
「でも、ちゃんと“あなた”になったのは、ここだった気がする」
理央はポケットから、一冊のスケッチブックを取り出す。
「これ、全部君が描いた“未来”の風景。覚えてる?」
「うん……全部、わたしが思い描いた、大切な人との時間」
ページをめくる。
高校の制服姿。
図書室で再会する笑顔。
そして──社会人になっても並んで歩くふたり。
「ねえ理央、未来ってさ、どうやって作るの?」
「簡単だよ。君と一緒に歩いてれば、自然とできてくる」
ひよりは、涙をこぼさずに微笑んだ。
「じゃあ、これからも忘れないで。“わたしと過ごした時間”」
「忘れるもんか。だってそれ、全部“俺の宝物”だもん」
ふたりは静かに、屋上で手を繋いだ。
【6】エピローグ ―未来地図のその先へ―
──数年後。
都内の美術館で、ひとつの展示が開かれていた。
タイトルは『記憶の風景展』。
“心に残る風景”をテーマにした、若手イラストレーターの個展だ。
「ねぇ、“この絵”、見たことない場所なのに、なんだか懐かしい」
「……あ、それ、俺も思った。泣きそうになった」
その風景画は、今はない旧校舎の屋上を描いていた。
その傍らで、画家の女性は誰かに手を振った。
「遅いよ、理央!」
「悪い。午前中、セキュリティの案件で詰めてた」
「もう、お仕事人間なんだから」
ふたりは肩を並べ、展示を見て歩く。
「でも、こうしてまた、同じ景色を見られてる」
「……うん。そうだね。だから、わたしはこれからも描くよ。あなたとの記憶を」
理央は、そっと彼女の手を握る。
「じゃあ、今度は“未来地図”も描いて。
俺たちが歩いてく、その先を──」
完



