【1】告白のその先
秋風が緩やかに吹き抜ける校庭。
葉の色も、日差しの温度も、どこか冬の匂いを含んでいた。
ひよりはベンチに座り、スケッチブックを膝にのせていた。
そこには、昨日理央が弾いてくれた“ひよりのテーマ”を元に描いた風景があった。
音が色になる。記憶が形になる。
理央との恋が、“記憶ではないもの”として、確かに息づき始めていた。
「やっと、ここまで来れたんだね」
声をかけたのは、理央だった。
「来週、テストあるのに全然集中できなくて……」
「テストよりも、恋の再テストだったもんな」
「……うまいこと言ったつもりでしょ」
「うん、正直うまいと思ってる」
二人は笑い合った。
でもその笑顔の裏で、ひよりの心は少しだけ揺れていた。
(この恋は、今度こそ、終わりがないって信じていいの?)
【2】ふたりきりの帰り道
「ねぇ、理央くん。帰り……ちょっと寄り道、しない?」
誘ったその言葉は、恋人らしい響きをまだ持っていなかった。
けれど理央は頷く。
ふたりが向かったのは、街はずれの展望台。
以前、ひよりが「見てみたい」と言ったまま、行けなかった場所。
「今日、晴れててよかったな。夕焼け、すごい」
オレンジ色の空。
その下で、ふたりの影が重なり合う。
「……ありがとう」
ひよりは呟く。
「何が?」
「忘れた私を、見捨てないでいてくれたこと。……もう一度、私に恋してくれたこと」
理央は首を振る。
「見捨てるなんて、そんな選択肢なかったよ。だって、俺は──」
言いかけたその言葉は、まだ言葉にはならなかった。
【3】記憶に頼らない“好き”
「……理央くん。好きって、言われたときの記憶は、ないの」
ひよりの告白に、理央は息を呑んだ。
「でもね、不思議なんだよ。今のほうが、ドキドキする。前より、ずっと」
「……ひより」
「だから、お願い。もう“思い出す恋”じゃなくて、“これから作る恋”にしてほしい」
その瞬間、理央は彼女の手をそっと握った。
「じゃあ、今ここで始めよう。君が“はじめて”好きになる、俺との恋を」
彼女の頬が赤く染まる。
まるで中学生らしい、真っ直ぐな言葉だった。
でも、そこには大人でも到底届かないような真摯さがあった。
【4】初めての約束
展望台のベンチに並んで腰掛けたふたり。
沈みゆく太陽に照らされながら、理央は真剣な目でひよりを見つめる。
「これから、きっとまた色んなことがあると思う。君がまた記憶を失う日が来るかもしれない。俺が君を怒らせる日も」
「うん……あるかもね」
「でも、何度でも好きになるよ。君の新しい笑い方も、癖も、全部もう一度好きになる」
「……ずるい」
「うん、ずるい。でも本気」
ひよりは言った。
「わたしも、約束する。好きって気持ちを忘れても、あなたの“優しさ”だけは絶対に忘れない」
それは、恋の契約だった。
【5】“最初のキス”
風が、ふたりの髪をふわりと揺らした。
赤く染まった空の下で、ふたりは静かに向き合う。
「キス、していい?」
理央が囁く。
ひよりは一瞬だけ迷って──
静かに目を閉じた。
それは、ごく控えめな、けれど心に深く刻まれる“キス”だった。
記憶に頼らない、恋の証。
それは、これまでのどの感情よりも温かくて、柔らかかった。
【6】新しい日々の始まり
その帰り道。
ふたりは手をつなぎながら、歩いた。
「なぁ、ひより」
「ん?」
「もう一回、ちゃんと言わせて」
理央は立ち止まって、向き直る。
「好きだよ。心の底から、君のことが」
ひよりは少し笑って、言った。
「うん。私も、好きだよ。心じゃなくて、もう全身で、あなたが好き」
中学生の恋とは思えないほど、真っ直ぐで、大きな言葉だった。



