【1】それは“恋の終わり”から始まった

 それは、あまりに静かな異変だった。

 放課後、校舎裏のベンチに腰掛けたひよりがぽつりとつぶやく。
 「……ごめん、理央くん。今日、名前を呼ぶのに時間がかかっちゃった」

 理央は笑っていたが、内心では冷たいものが背筋を走っていた。
 (記憶が、また少し──削られてる?)

 以前のようなハッキリとした感情干渉ではない。
 だが“理央に関する記憶”が少しずつ曖昧になり、呼びかけも会話もどこかぎこちなくなっていた。

 まるで、目の前の恋が、砂時計の砂のようにこぼれ落ちていく。





【2】敵の正体


 放課後、理央は情報室に閉じこもり、アクセスログを調べていた。
 そこに現れたのは、同じく協力してくれていたこよみとマヒル。

 「理央、これ見て。昨日の夜、校内ネットワークに外部から不正アクセスがあった」
 「このコード……また“あの組織”か」

 ユウナの記憶干渉事件からずっと追っていた影。
 “感情データバンク”という非合法組織は、記憶の中から“価値のある感情”を抽出・販売する闇のネット組織だった。

 今回のターゲットは──ひよりの“恋の記憶”そのもの。

 「これ以上やられたら、ひよりちゃんから“理央くんとの全記憶”が消えるわよ」
 「俺……もう、時間がないかもしれない」

 その言葉に、マヒルが机を叩いた。

 「何言ってんの! 諦めるの? ひよりちゃんは、あんたのことを一度でも“本気で好き”って思ったんだよ?」
 「……ああ、だからこそ守りたい。たとえ、俺の存在ごと消されても、彼女の心の“核”は残ってほしい……」




【3】記憶改変プログラム「erase」


 その夜。
 理央の端末に、一通の挑発的なファイルが届いた。

 《新コード:erase.hyr》
 《指定ターゲット:ヒヨリ-03 記憶データNo.005〜027、消去準備完了》
 《起動タイミング:次回“感情の再接触”時》

 つまり──次にひよりが「理央に恋を自覚した瞬間」、全記憶を自動で破壊するウイルスだ。

 (……最低だ。そんなやり方、絶対に許せない)

 だが同時に、理央は確信していた。
 (それでも、俺たちは“恋をする”)




【4】恋の記憶に触れるということ
 

 翌日、文化祭の実行委員の準備で遅くなった帰り道。
 理央とひよりはふたりきり、図書室に残っていた。

 夕暮れの光が差し込む静かな部屋。
 本の影に包まれながら、ひよりがポツリとつぶやく。

 「ねぇ……わたし、本当は怖かったの。あなたのことを思い出すたびに、胸が痛くなるから」

 理央が、ゆっくり手を伸ばす。
 指先が触れた瞬間──

 頭の奥に、耳鳴りが響く。
 「っ……あ、頭が……」

 ひよりが苦しげに額を押さえる。
 “erase”が動き出したのだ。

 (ダメだ、このままじゃ……)

 理央は決断した。

 「ひより、聞いて! 君が全部忘れても、俺は何度でも君を好きになる。だから、君はその“好きだった”記憶を、いま、もう一度信じて!」

 「……わたし……」

 耳の奥で、“記憶”が消えていく音がした。
 でも、その一番奥に、ひよりは見つけた。

 ──教室で交わした言葉。
 ──カフェで笑った日。
 ──「好き」と言ったあの夜のぬくもり。

 全部、消せるわけがない。
 あの記憶は、ただのデータじゃない。“心の温度”だった。

 「……わたし、理央くんが、好き」

 その瞬間、ウイルスは暴走を始めた。
 けれど、それ以上の感情が、記憶を守った。






【5】記憶は、心に宿る


 パソコン画面には“エラー”の文字が連続していた。
 ウイルスは、“記憶と感情の融合”に対応できなかったのだ。

 理央は笑った。
 「おかえり、ひより」

 ひよりは涙を流しながら、理央に抱きついた。
 「こわかった……でも、ちゃんと戻ってこれた……私、“恋をした記憶”が、こんなにあったんだね」

 「全部、俺の宝物だよ」





【6】仲間の絆


 マヒルとこよみも駆けつけ、勝利のガッツポーズ。

 「やったじゃん、ラブラブ復活!」
 「記憶に勝った恋、って最高にロマンチックかも」

 ユウナも笑顔でうなずく。
 「ひより、よかったね。私も……いつか、誰かとそんな恋ができたらいいな」





【7】そして、未来へ


 数日後、理央は組織が完全に撤退したことを確認した。

 “感情”は、奪うものじゃない。
 “記憶”は、誰かと紡ぐもの。

 ひよりと理央は、ようやく手をつないだ。
 今度は、はっきりと、お互いの温度を感じながら。

 「これからも、何度でも好きになるよ。ひより」
 「うん……私も、何度でも恋をする。あなたに」