【1】記憶が“暴走”する
鷹宮煌(たかみや・こう)との対峙を経て、ひよりの中に眠っていた封印記憶が解き放たれた。
だが、それは思い出すというより、「なだれ込んでくる」感覚だった。
――白い部屋。無表情な大人たち。無機質な光。
――繰り返される記憶の再生と削除。
――“ひより”という名前さえ、忘れかけていた自分。
「やめて……もう、見たくない……っ!」
膝を抱えたまま崩れ落ちるひより。理央が駆け寄り、必死に抱きしめた。
「ひより!戻って!今ここにいる君は、もうあの頃の君じゃない!」
【2】過去を“愛する”ということ
ひよりの頭の中では、“昔の自分”が小さくうずくまって泣いていた。
それを遠くから見つめる“今の自分”。
(もういいよ……もう頑張らなくていい)
ひよりは、過去の自分の手をそっと取った。
(全部覚えてる。でも、私はそれでも生きてる。誰かを信じて、好きになって、生きてる)
理央の声が、遠くで響いた。
「どんな記憶があっても、僕は君を、好きでい続けるから」
その言葉は、記憶の闇に差し込む、ひとすじの光だった。
【3】目覚め
目を開けたとき、ひよりは理央の胸の中で深く息をついていた。
「……ただいま、理央くん」
彼は、泣き笑いのような顔で頷いた。
「おかえり。心配した。すごく……怖かった」
「うん。私も。でも、大丈夫。思い出したから――あのときの約束も、全部」
ふたりの手が重なり、熱を分かち合う。恋が、心の最深部まで届いていた。
【4】煌(こう)の正体と揺れる心
一方、少し離れた廃ビルの上階で、鷹宮煌はひとり黙ってその様子を見下ろしていた。
(やはり……彼女は“完全保持者”だ。脳の構造が常人と違う。だが、なぜ……感情にこんなにも左右される?)
彼の目がわずかに揺らいだ。
“任務遂行”という名の下に生きてきた彼にとって、「誰かを守るために記憶を抱える」など、無意味に思えていた。
(それでもあの子は、記憶を手放さず、誰かのためにそれを使おうとしている)
いつしか彼の中に、“憧れにも似た違和感”が芽生えていた。
【5】三人目の記憶保持者
その夜、再び姿を現したマヒルが、あるデータを持ってきた。
「やっぱり出てきた。“第3の記憶保持者”の存在」
「……まさか」理央が息をのむ。
「うん。名は久遠(くおん)ユウナ。かつてひよりと同時に“記憶迷宮”プロジェクトに関わってた女の子。
でも、ひよりと違って“自分の記憶を他人に渡す”能力を持ってた」
そして、今も政府に囚われている――
その存在は、ひよりの記憶の奥に封じ込められた、最も“重い真実”に関わっているのだった。
【6】運命に、立ち向かうと決めた夜
その夜、廃駅の屋上でふたりきり。
「理央くん、行こう。私、自分の記憶からもう逃げない」
「君がそう言ってくれるなら、僕も全部賭ける。何があっても、君を守る」
ふたりの指が絡まり、唇が近づく。
今度のキスは、確かな未来への約束だった。
【7】記憶迷宮プロジェクトとは何だったのか
理央が、手元のノート端末を見つめながら呟いた。
「“記憶迷宮”は、選ばれた子どもたちの脳内に情報を刻み、人工的に“未来の知識”を眠らせる計画だった」
ひよりが静かに頷く。
「その中で私は、“忘れない者”として、久遠ユウナちゃんは“記憶を共有する者”として――実験に選ばれた」
「君は彼女と一緒に育てられていた。でも、途中で計画が暗礁に乗り上げた。ユウナは……“鍵”にされ、封印された」
「……でも、ユウナちゃんは今も、私の記憶の中にいる」
ひよりは目を閉じ、深く呼吸をした。
「行こう。“記憶迷宮”の最深部へ。ユウナちゃんを助けに」
【8】再会と涙
セーフハウスの地下に眠る、秘密のアクセスポート。
理央の設計した装置を通じて、ひよりは自らの“内なる記憶空間”にログインした。
――目を開けると、そこは見覚えのある、白い部屋だった。
その中央に、眠るように立ち尽くしていた少女。
淡い桃色の髪。淡い表情。その姿に、ひよりははっとする。
「……ユウナ、ちゃん……!」
その声に、少女の目がかすかに開いた。
「……ひより……?」
少女はふらふらと歩み寄り、ひよりの胸に顔を埋めた。
「ごめんね……ずっと、怖かった。覚えてることも、忘れられることも、全部……」
「私も同じ。でも、もう一人じゃないよ」
【9】“記憶を持つこと”の意味
記憶の世界で、3人の少女の意識が重なっていく。
マヒルの声も通信で届いた。
「記憶って、時に重くて苦しくて、それでも私たちを繋いでくれる唯一のものなんだよね」
ひよりは、震えるユウナの手を握りしめる。
「記憶は“証”なんだ。痛みも、喜びも、ここにいたっていう証。だから……私は、忘れない」
その決意が、記憶迷宮の最奥にあった“隔離領域”を開く鍵となった。
【10】煌の選択
その頃、現実世界では鷹宮煌が上層部から“最終命令”を受けていた。
「記憶保持者を排除せよ。感情に支配された者は危険だ」
その言葉に、煌は初めて声を荒らげた。
「それでも彼女は、自分の記憶を守り続けた。それがどれほど痛みに満ちていても……!」
そして、彼は命令の通信端末を床に叩きつけた。
(俺が守りたかったのは、命令じゃない。“記憶を生きてる人間”そのものだ)
【11】帰還、そして新たな日常へ
ひよりとユウナが、無事に“記憶迷宮”から帰還したのは朝焼けの頃だった。
理央がそっと両腕でふたりを抱き寄せる。
「……ありがとう、戻ってきてくれて」
「こちらこそ……守ってくれて、ありがとう」
ユウナはゆっくりと立ち上がり、初めて自分の意思で笑った。
「これから、私も生きる。誰かに記憶を委ねるんじゃなくて、自分で持つために」
【12】それでも恋は、日常の中にある
その日、校舎の屋上。ひよりと理央は並んで座っていた。
「ねえ、理央くん」
「ん?」
「私……好きだよ」
理央は目を丸くして、ちょっとだけ耳を赤くした。
「……え、今さら?いや、うれしいけど」
「だって、ちゃんと覚えておきたいもん。理央くんに告白したこの瞬間も」
そう言ってひよりが笑うと、理央も肩の力を抜いたように微笑んだ。
ふたりの記憶は、まだ始まったばかりだった。



