【1】逃れられない追跡者
その日、学園の空気はいつもと少し違っていた。
ひよりは朝から、背中に冷たい視線を感じていた。
(誰かに、見られてる……?)
振り返っても誰もいない。けれど胸の奥で警鐘が鳴り響く。
理央との穏やかな日々が、何かに侵食されていく予感があった。
【2】理央の違和感
一方、理央もまた異変に気づいていた。
校内ネットワークに不審なアクセス。彼の開発した暗号すら一部が突破されかけていた。
(明らかに、外部からのハッキング。これは、ただの遊びじゃない)
“記憶保持者”であるひよりの存在が、ついに誰かの標的となった。
そして、理央はその“誰か”を知っていた。――自分の父だった。
【3】すれ違う不安と想い
昼休み、ひよりと理央は中庭の木陰で顔を合わせた。
けれど理央の表情はどこか堅く、ひよりはうまく笑えなかった。
「……理央くん、何か、隠してる?」
問いかけると、理央は少しだけ目を伏せて、しかし正面を見た。
「ごめん。守るために黙ってた。でも、もう限界かもしれない」
ひよりは息を呑みながらも、静かにうなずいた。
「だったら、ちゃんと教えて。理央くんの“全部”を知っていたいから」
【4】語られた真実
放課後、ふたりは情報室にこもり、理央は自らの秘密をすべて語った。
――父は政府の記憶研究機関の上層部。
ひよりの能力は“記憶保持者”として、国家規模で管理対象になっていた。
理央はかつて、彼女の記憶を「人工迷宮」として保存・解析する実験に関与していた。
「僕は、君の記憶を“保管データ”として一部見ていたんだ……。でも、その中に――
君がたった一人で泣いてる記憶が、たくさんあった」
理央の声が震えた。
ひよりは唇を噛みしめながら、静かに言った。
「それでも、理央くんが私のそばにいてくれて、私は救われたよ」
【5】想いが重なったとき
沈黙の中、ひよりは理央の手をそっと取った。
「私はもう、誰かに勝手に記憶を覗かれるだけの存在じゃない」
「でも、理央くんなら……信じられる」
理央の瞳に、感情の揺れが映る。
「もう二度と、君の心を一人にしない」
そう言って、彼はそっとひよりを抱き寄せた。
肩に触れたぬくもり。胸の奥まで届いた心臓の音。
二人は、確かに“恋”として、お互いの想いを重ねた。
【6】迫る影と脱出の決意
その夜。学園の地下サーバーに、ついに“追跡者”が侵入。
理央の仕掛けたセキュリティが次々と破られていく。
「ひより、ここから逃げよう。今夜が、タイムリミットだ」
ひよりはうなずいた。
「うん。二人で、生きて逃げよう」
【7】脱出、そして追跡
夜の学園。月明かりが照らす中、ひよりと理央は裏門からひっそりと抜け出した。
理央はノートPCを手に、街の監視カメラ網をかいくぐるルートを選びながら先を歩く。
「GPSは切った。カメラの死角を狙ってる。けど、政府のチームは甘くない……」
その声に、ひよりは強くうなずいた。
「大丈夫。私は覚えてる。この街の裏路地も、何気ない抜け道も――全部」
ふたりは、理央の頭脳とひよりの“記憶力”を武器に、まるで一つのユニットのように動いた。
【8】隠れ家にて
深夜。ふたりは理央がかつて使っていた「ハッカー用セーフハウス」に辿り着いた。
廃工場の奥にある隠し扉。その先にあったのは、機材と毛布しかない質素な空間だった。
「理央くん……ここ、もしかして昔から一人で?」
理央は苦笑して頷いた。
「逃げ場所を、ずっと用意してたんだ。……でも本当は、こんなところに君を連れてきたくなかった」
ひよりは静かに首を振る。
「違うよ。ここにいるのが、理央くんと一緒なら――私は安心する」
【9】眠れぬ夜の告白
その夜、毛布にくるまりながらふたりは向かい合って座っていた。
ひよりはそっと口を開いた。
「ねえ……理央くん、私ね、今まで“覚えてる”ことが多すぎて、
誰かとちゃんと“今”を分かち合ったことなかったんだ」
理央は、その言葉の重みをかみしめるようにうなずいた。
「僕も、誰にも頼れなかった。けど、君と出会ってからは……少しずつ変われた」
見つめ合う瞳と瞳。ふたりの距離が、音もなく近づいていく。
【10】優しいキス
気づけば、理央の手がそっとひよりの頬に触れていた。
そして――静かに、優しく、唇が触れた。
それは熱くもなく、激しくもない。
ただ、確かに“好き”という気持ちが伝わる、初めてのキスだった。
ひよりの目にうっすらと涙が浮かんだ。
「これが……私の、ほんとのはじまりだって思った」
理央は彼女の額にそっとキスを落とした。
【11】迫る終末
だが、安らぎの時間は長くは続かなかった。
ふたりが気づかぬうちに、すでに“追跡者”はその工場の位置を特定し始めていた。
遠くで、ドローンの羽音が風を切るように響いていた。



