◆奏多の部屋の玄関前
録音を終えて靴を履く汐音。まだ少し赤くなった顔で。
汐音(心の声)
(“無防備に男の家来るなよ”――って、あれは、どういう意味だったんだろう)
奏多が玄関の棚から缶コーヒーを1本取り出し、差し出す。
奏多「はい。帰り、冷えるから。甘いやつ、だよな?」
汐音(手を受け取りながら)「……っ、覚えててくれたんですね」
奏多「昔から変わってないな。甘いの好きで、すぐ手が冷える」
汐音、ぎゅっと缶を握る。じんとした空気。
◆夜の帰り道・坂道
缶コーヒーを両手で持ちながら歩く汐音。遠くから見える大学の灯り。
汐音(心の声)
(先輩の隣って、すごく遠いようで、すごく近い)
(でも……私は、どこまで入っていいのかな)
◆翌日・音楽棟の空き教室
汐音、ひとりでピアノを弾いている。昨日と同じ曲。繰り返す中、ふと手を止める。
汐音(モノローグ)
(“録り直したくなるくらい良かった”って、あれも……)
(ほんとに、褒めてくれてたのかな)
そこへ、扉が開く音。奏多が顔を出す。
奏多「お前、また同じとこ弾いてんの?」
汐音「せ、先輩っ! どうして……」
奏多「この教室、空いてるって分かってたからな。ちょっと用事あって」
汐音、席を立って譲ろうとする。
汐音「す、すみません。すぐ出ます」
奏多(軽く手で制しながら)「別に、追い出しに来たわけじゃない」
奏多がピアノ横に座り、ふたりで向かい合うような位置に。
◆ピアノ前・2人きり
奏多「……昨日の音源、もう納品した」
汐音「ほんとですか? はや……」
奏多「プロの現場はスピード命」
汐音「それで、大丈夫でしたか?」
奏多(小さく笑って)「ああ。完璧だった」
汐音「…………っ」
ふいに視線が交差する。沈黙が流れる。
汐音「あの……」
奏多「ん?」
汐音「先輩って……いつも、こんなふうに女の子と一緒に録音とか、したり……しますか?」
奏多、少し驚いたように目を瞬くが、すぐに視線を落とす。
奏多「しないよ。基本、ひとりで済ませる」
汐音「…………」
奏多(ゆっくりと言う)「お前には、“音を任せられる”って思ったから」
汐音(心の声)
(ああ、ずるい……)
(そんなふうに言われたら、また期待しちゃうじゃん……)
◆カフェスペース(夕方)
千晴と合流した汐音。缶コーヒーの話をぽろっと口にする。
汐音「“甘いの好きだろ”って言って……缶コーヒー、くれたの」
千晴「うわーっ!それ、完全に彼氏ムーブじゃん!」
汐音(慌てて)「ち、ちがうよ!そんなんじゃ……!」
千晴「……でも汐音、前よりちょっと顔が明るいよ」
汐音(はっとして)「え……?」
千晴「うん。なんか、ピアノ弾く顔が、“好き”な顔になってる気がする」
◆ラスト・キャンパスの夕暮れ
奏多が音楽棟の前でひとり。自販機で缶コーヒーを買って手に取る。同じ甘いやつ。
奏多(心の声)
(“高校生の頃のまま”だと思ってたのは……)
(俺の方、か)
手に持った缶コーヒーを見て、ふっと笑う。



