* * *
「結構食べれたね、良かった良かった。」
「…うん、ありがとう。何から何まで。」
(日向くんがいたから、ご飯が食べれた。…家には食材、もうあんまりないし、昨日の夜は食べなかった。朝も…食欲なかったのに。)
日向の優しさや配慮のおかげで今日1日もったようなものだった。明日からは2日間休日だ。自分一人で、西村に向き合わなくてはならない。1日逃げたツケは、時間の分だけ重みを増した。
「何解決しました~みたいな雰囲気出してるの?本題はここからでしょ?とりあえず飯を食べるという、体が最低限動かせるようにするためその1はやり終えたけど、心は全然戻ってきてないよ。」
「…戻って、きてない?」
「うん。にこにこの紫月さんじゃないからね、全然。しおしおの紫月さんのまんま。たまにはしおしおでもいいけどさ、ずっとそれだと俺が嫌だなって。無理にって意味じゃなくて、でもなるべくはにこにこしててほしい。」
日向がふわっと微笑んだ。その微笑みがまた、涙で滲んで見えにくくなって紫月は咄嗟に下を向いた。
「え?」
「…日向くんで、…涙が出る。」
「えぇ!?うわごめん!えっ、なんか地雷ワードあった?何がダメだった?」
紫月は首を横に振った。言い方が悪かった。日向のせいでという意味ではない。
「…日向くんが笑ってくれると…勝手に安心しちゃって…涙が出る…んだと思う…。ごめんね…日向くんのせいじゃないの。」
「嫌な涙じゃ、ない?」
今度は縦に頷いた。泣くこと自体は嫌だけれど、日向がいるからきっと泣き止める。昨日は泣き止んでから寝たのではなく、泣き疲れて意識が途切れただけだったのだから。
「…焦ったー…紫月さん泣かせるとか、どうやったらリカバリーできるかとかめちゃくちゃ考えちゃったよ、俺。」
「…ごめんなさい…!」
「ううん、取り越し苦労で良かったよ。嫌な涙じゃないんなら、家で一人で泣かなくていいように、今いっぱい泣いていいよ。」
「…そういうのが、…刺さっちゃう。」
「そういうの?」
「…日向くん、ずっと優しいから…。」
日向の優しさが身にしみて、安心して『この人がいるから大丈夫』と思える。そして同時に冷静な自分が、日向の優しさを吸い続ける自分のことをどこかで責める。ぐるぐると答えの出せない思考回路が涙を増やしてしまうが、それをギリギリのところで飲み込んだ。
「ちゃんと刺さってる?刺さってるって言い方はあれか、うーん…紫月さんの欲しい言葉になってる?」
「…ずっと、なってる。」
「そっか。じゃあいい。…ちゃんと貰っておいてよ。紫月さんのこと見てるから気付くし、気付きたくて見てるってところもあるし。紫月さんは一人で頑張っちゃうから。…だからね、今日は俺の提案に乗っかって、いろんな紫月さん見せてくれて、近付くことを許してくれてるのがね、…うん。少し、紫月さんのことがまたわかって、近付けた気がする。紫月さんは何も気にせず…ってのは難しいと思うけどね、性格上。でも、その俺の優しさだなって思うことは全部、ちゃんと貰っておいてね。それは紫月さんにしかあげたくないものなので。」
優しい声が耳に響いて、勘違いをしそうになる。『しか』という言葉をまっすぐに受け取るならば、それは限定をするために使うものであり、日向の優しさや気遣いは等しく平等に向けられるものではないということになってしまう。
その解釈はあまりにも自分に都合が良すぎて、頭の中で否定した。しかし心は正直に、少しだけ早鐘が鳴る。
「…で、元彼くんだよねー…問題は。とりあえずさ、紫月さんが見られて嫌とかそういうのじゃなかったら、ここで見ない?家で一人で見て、返事考えるの怖くない?」
「…そんなことまで、相談していいの?」
「紫月さんが困ってることなら何でも聞きたいよ。」
「私は…日向くんの困ってることで役に立てないのに?」
「っと、そうきたか…なるほどね。じゃあ仕事の話にするけど、俺が困らないように紫月さんが丁寧に資料作ってくれてるから困らないんだよ。付箋とかも内容シンプルでわかりやすいし。おかげで説明もわかりやすいって好評だし。先手を打ってくれてるから困ってないだけ。困ってないことが役に立ってるってことなんだよ。」
「…そう、なの?」
「そうなの!紫月さんの仕事は丁寧でわかりやすい。粗がない。受け取る相手のことが考えられてる。…ずっと優しいのは紫月さんなんだよ。だから俺が必死に、困ってることを表に出さない紫月さんの困りごとを見つけようとしてるの。それが今日だったってだけ。数年分の恩なんだから、今日1日で返せる分じゃないです、全然。」
「そんなことは…だって、その、日向くんが優しいのだって今日に限った話じゃないし…。」
カップ1杯分の時も、デートの時もずっと優しかった。西村を苛立たせてばかりだった自分の相手をしているのに。笑顔で、穏やかで、一生懸命ついていこうとしなくても、そこにいてくれて。
「優しくしたい人だから、紫月さんは。」
「…ま、待って。あの、また泣く…。」
「えぇー今のどこが?」
「…日向くんの声と笑顔に負けちゃうの、私の涙腺が。」
「…っ…わ、わかりました、気をつけます。」
突然敬語になった日向に、紫月は少し俯いたままこくんと頷いた。俯いていたせいで、ほんのりと染まっている日向の耳に紫月は気付けなかった。
「っと…LINE!元彼くんの連絡、見る?どうする?」
「…あの、家に帰って一人で見る勇気がないので、一緒に見てもらって…いい?」
「うん。」
紫月は鞄を開け、スマートフォンを取り出した。アプリを立ち上げると通知は10件。そのうち6件が西村だった。
「…彼は待つとかそういう動作は出来ない人なわけ?」
「…えっと、その、決めたらこうって感じの人だから…。」
「いやーそんなのさぁ、一方的に決められたら困っちゃうでしょ…。」
紫月は一度頷いて、通知をタップした。
『昨日の話、考えてくれた?』
『来週は忙しくないから、定時で大体終わるよ。土日も出かけられる。』
昼の連絡に続いて、終業間際にも2件入っている。
『もしかしてまだ見れない感じ?』
『今日中に返事が欲しいんだけど。』
「…これ、紫月さん一人で見てなくて良かった。普通に男の俺でも、こういう風に迫られたら怖い。」
「日向くんも、…怖い?」
「怖いよ。だってまずそもそも別れてるわけだからね。ヨリ戻したいってのはまぁそうなんだろうけどさ。それしか元カノに会いに来る理由なんてないでしょ。でもそれにしてもさ…あまりに紫月さんの意向を無視しすぎてない?」
『着信』
『ちゃんと俺のこと、考えてくれてる?』
紫月は下唇を噛んで、俯いた。ずっと考えている。頭の片隅を蝕まれていて、ずっと心も体も重い。
「…よし。紫月さんが危ないってことがよく分かった。」
「え…え?」
「すっげぇ嫌な奴って前に言ったけど、それに追加で無神経!自分のペースで会話したいだけじゃん。この人さ、絶対また家に突撃してくるよ。危なすぎるんで、家まで送ります。もしエンカウントしたらそれはそれでいいし。」
「いやでも…そんな…日向くんにこれ以上迷惑かけたくない…。」
「迷惑じゃなくて、…これは本当に、紫月さんに何かあってからじゃ遅いって思うから、…譲れない。絶対嫌って言われても、ちょっとごめん、紫月さんの言うこと、聞けない。」
初めて見る、少し緊張感のある表情だった。その剣幕に負けて、紫月は押し黙ってしまう。
「…紫月さんはご飯に行きたくないし、ヨリを戻すつもりもない、…って解釈してるけど、合ってる、よね?」
「合って…ます。」
「…良かった。とりあえずさ、そうやって送っちゃおうよ。その後もし元彼くんが怒ってLINEしてきても無視していいし、ブロックしたっていい。実力行使に出ようとした時のために俺は控えておくので。…自分で打てる?」
指は震える。それでも、一人で過ごした時間、考えていた時間の震えよりもずっと静かになっている。
「…頑張り、たい、…自分で。」
「うん。…じゃあ応援する。頑張れ、紫月さん。」
「結構食べれたね、良かった良かった。」
「…うん、ありがとう。何から何まで。」
(日向くんがいたから、ご飯が食べれた。…家には食材、もうあんまりないし、昨日の夜は食べなかった。朝も…食欲なかったのに。)
日向の優しさや配慮のおかげで今日1日もったようなものだった。明日からは2日間休日だ。自分一人で、西村に向き合わなくてはならない。1日逃げたツケは、時間の分だけ重みを増した。
「何解決しました~みたいな雰囲気出してるの?本題はここからでしょ?とりあえず飯を食べるという、体が最低限動かせるようにするためその1はやり終えたけど、心は全然戻ってきてないよ。」
「…戻って、きてない?」
「うん。にこにこの紫月さんじゃないからね、全然。しおしおの紫月さんのまんま。たまにはしおしおでもいいけどさ、ずっとそれだと俺が嫌だなって。無理にって意味じゃなくて、でもなるべくはにこにこしててほしい。」
日向がふわっと微笑んだ。その微笑みがまた、涙で滲んで見えにくくなって紫月は咄嗟に下を向いた。
「え?」
「…日向くんで、…涙が出る。」
「えぇ!?うわごめん!えっ、なんか地雷ワードあった?何がダメだった?」
紫月は首を横に振った。言い方が悪かった。日向のせいでという意味ではない。
「…日向くんが笑ってくれると…勝手に安心しちゃって…涙が出る…んだと思う…。ごめんね…日向くんのせいじゃないの。」
「嫌な涙じゃ、ない?」
今度は縦に頷いた。泣くこと自体は嫌だけれど、日向がいるからきっと泣き止める。昨日は泣き止んでから寝たのではなく、泣き疲れて意識が途切れただけだったのだから。
「…焦ったー…紫月さん泣かせるとか、どうやったらリカバリーできるかとかめちゃくちゃ考えちゃったよ、俺。」
「…ごめんなさい…!」
「ううん、取り越し苦労で良かったよ。嫌な涙じゃないんなら、家で一人で泣かなくていいように、今いっぱい泣いていいよ。」
「…そういうのが、…刺さっちゃう。」
「そういうの?」
「…日向くん、ずっと優しいから…。」
日向の優しさが身にしみて、安心して『この人がいるから大丈夫』と思える。そして同時に冷静な自分が、日向の優しさを吸い続ける自分のことをどこかで責める。ぐるぐると答えの出せない思考回路が涙を増やしてしまうが、それをギリギリのところで飲み込んだ。
「ちゃんと刺さってる?刺さってるって言い方はあれか、うーん…紫月さんの欲しい言葉になってる?」
「…ずっと、なってる。」
「そっか。じゃあいい。…ちゃんと貰っておいてよ。紫月さんのこと見てるから気付くし、気付きたくて見てるってところもあるし。紫月さんは一人で頑張っちゃうから。…だからね、今日は俺の提案に乗っかって、いろんな紫月さん見せてくれて、近付くことを許してくれてるのがね、…うん。少し、紫月さんのことがまたわかって、近付けた気がする。紫月さんは何も気にせず…ってのは難しいと思うけどね、性格上。でも、その俺の優しさだなって思うことは全部、ちゃんと貰っておいてね。それは紫月さんにしかあげたくないものなので。」
優しい声が耳に響いて、勘違いをしそうになる。『しか』という言葉をまっすぐに受け取るならば、それは限定をするために使うものであり、日向の優しさや気遣いは等しく平等に向けられるものではないということになってしまう。
その解釈はあまりにも自分に都合が良すぎて、頭の中で否定した。しかし心は正直に、少しだけ早鐘が鳴る。
「…で、元彼くんだよねー…問題は。とりあえずさ、紫月さんが見られて嫌とかそういうのじゃなかったら、ここで見ない?家で一人で見て、返事考えるの怖くない?」
「…そんなことまで、相談していいの?」
「紫月さんが困ってることなら何でも聞きたいよ。」
「私は…日向くんの困ってることで役に立てないのに?」
「っと、そうきたか…なるほどね。じゃあ仕事の話にするけど、俺が困らないように紫月さんが丁寧に資料作ってくれてるから困らないんだよ。付箋とかも内容シンプルでわかりやすいし。おかげで説明もわかりやすいって好評だし。先手を打ってくれてるから困ってないだけ。困ってないことが役に立ってるってことなんだよ。」
「…そう、なの?」
「そうなの!紫月さんの仕事は丁寧でわかりやすい。粗がない。受け取る相手のことが考えられてる。…ずっと優しいのは紫月さんなんだよ。だから俺が必死に、困ってることを表に出さない紫月さんの困りごとを見つけようとしてるの。それが今日だったってだけ。数年分の恩なんだから、今日1日で返せる分じゃないです、全然。」
「そんなことは…だって、その、日向くんが優しいのだって今日に限った話じゃないし…。」
カップ1杯分の時も、デートの時もずっと優しかった。西村を苛立たせてばかりだった自分の相手をしているのに。笑顔で、穏やかで、一生懸命ついていこうとしなくても、そこにいてくれて。
「優しくしたい人だから、紫月さんは。」
「…ま、待って。あの、また泣く…。」
「えぇー今のどこが?」
「…日向くんの声と笑顔に負けちゃうの、私の涙腺が。」
「…っ…わ、わかりました、気をつけます。」
突然敬語になった日向に、紫月は少し俯いたままこくんと頷いた。俯いていたせいで、ほんのりと染まっている日向の耳に紫月は気付けなかった。
「っと…LINE!元彼くんの連絡、見る?どうする?」
「…あの、家に帰って一人で見る勇気がないので、一緒に見てもらって…いい?」
「うん。」
紫月は鞄を開け、スマートフォンを取り出した。アプリを立ち上げると通知は10件。そのうち6件が西村だった。
「…彼は待つとかそういう動作は出来ない人なわけ?」
「…えっと、その、決めたらこうって感じの人だから…。」
「いやーそんなのさぁ、一方的に決められたら困っちゃうでしょ…。」
紫月は一度頷いて、通知をタップした。
『昨日の話、考えてくれた?』
『来週は忙しくないから、定時で大体終わるよ。土日も出かけられる。』
昼の連絡に続いて、終業間際にも2件入っている。
『もしかしてまだ見れない感じ?』
『今日中に返事が欲しいんだけど。』
「…これ、紫月さん一人で見てなくて良かった。普通に男の俺でも、こういう風に迫られたら怖い。」
「日向くんも、…怖い?」
「怖いよ。だってまずそもそも別れてるわけだからね。ヨリ戻したいってのはまぁそうなんだろうけどさ。それしか元カノに会いに来る理由なんてないでしょ。でもそれにしてもさ…あまりに紫月さんの意向を無視しすぎてない?」
『着信』
『ちゃんと俺のこと、考えてくれてる?』
紫月は下唇を噛んで、俯いた。ずっと考えている。頭の片隅を蝕まれていて、ずっと心も体も重い。
「…よし。紫月さんが危ないってことがよく分かった。」
「え…え?」
「すっげぇ嫌な奴って前に言ったけど、それに追加で無神経!自分のペースで会話したいだけじゃん。この人さ、絶対また家に突撃してくるよ。危なすぎるんで、家まで送ります。もしエンカウントしたらそれはそれでいいし。」
「いやでも…そんな…日向くんにこれ以上迷惑かけたくない…。」
「迷惑じゃなくて、…これは本当に、紫月さんに何かあってからじゃ遅いって思うから、…譲れない。絶対嫌って言われても、ちょっとごめん、紫月さんの言うこと、聞けない。」
初めて見る、少し緊張感のある表情だった。その剣幕に負けて、紫月は押し黙ってしまう。
「…紫月さんはご飯に行きたくないし、ヨリを戻すつもりもない、…って解釈してるけど、合ってる、よね?」
「合って…ます。」
「…良かった。とりあえずさ、そうやって送っちゃおうよ。その後もし元彼くんが怒ってLINEしてきても無視していいし、ブロックしたっていい。実力行使に出ようとした時のために俺は控えておくので。…自分で打てる?」
指は震える。それでも、一人で過ごした時間、考えていた時間の震えよりもずっと静かになっている。
「…頑張り、たい、…自分で。」
「うん。…じゃあ応援する。頑張れ、紫月さん。」



