「あれ、梅原さんは休みですか?」
「午後は出社するみたいですよ。なんだか、足を怪我しちゃったとかで病院に行くので午前中だけお休みさせてほしいって朝、電話が来てました。」
「…そうなんですね。じゃあ午後、書類取りに来ます。」
「はい。書類の件は梅原さんにも確認しておきますね。」
「すみませんがよろしくお願いします。」
丁度紫月が作成している書類を持って訪問する案件があって良かった。紫月が決まった時間にいないことを確認することに対する職場での不信感は生まれない。
(少なくとも、昨日の勤務時間中に怪我をしたわけではなさそう。そもそも、社内で歩いてて怪我をするような場所はないし。…ということは帰り?何かあった?)
事故に遭ったのであれば昨日そのまま病院に行っているはずだ。ということは、一晩経ってもなお治らなかった何かがあって、今日の午前中に病院に行くことにしたという流れだろうか。どちらにせよ心配になり、日向は自分のデスクに一度荷物を下ろし、着席した。外回りまでまだ時間はある。私的な連絡にはなるが、知ってしまったのだから聞かずにはいられなかった。
(…だって紫月さんは絶対自分から、助けてほしいなんて言わないから。)
痛くて歩けなくても、きっと自分のことは頼らない。『ただの同期』にそこまでお願いするのは間違っていると思っているからだ。それは確かにそうなのだが、こちらが『ただの同期』から格上げしてもらいたいと思っている場合は別なのだということは、おそらくまだまだわかってもらえそうにない。わかってもらえたとしても、それをそういう行動に移すことにはまた別のハードルがあるのだと、なんとなくそう思う。
『今病院にいるの?歩ける?終わる時間と場所によっては迎えに行けるよ。』
午前中に2か所回るが、日向一人で動くため、ある程度は自由に動ける。それにどちらもお得意様で特に話が長引くような案件でもない。
すぐに既読がついた。しかしそのまま画面を見つめていても返事は来なかったため、時間になった日向はそのままスマートフォンをカバンに詰め、席を立った。
* * *
整形外科というものに普段お世話になることがないため、朝一で来たにも関わらず、混み具合に驚かされてしまった。とにかくいわゆるお年寄りと呼ばれる層が多い。紫月のような20代は、明らかにスポーツをやっていてリハビリに来ているような体格の人が数名いる程度だった。
(…午前中でちゃんと終わるかな…あと、もうちょっとマシに歩けるようになるといいんだけど…。)
足というのがよくなかった。手ならば、ひとまず自分本体の移動には特に問題はなかったはずだ。しかし、足というのはそもそも足首を固定するためのサポーターを買いに行くためにも足を使わねばならず、そう考えると昨晩は何も出来なかった。やや変色した様子やある方向に曲げると痛いことから考えると捻挫だろうとは思うが、しばらくこの痛みが続くのかと思うと少し不安だ。そして不安が連鎖して、西村のことを思い出す。
(…ブロックを解除して、いつならいいのか…考えなくちゃ…。)
スマートフォンを握った手に力が入った。力を込めた瞬間に、ぶるると震えた画面を見ると、日向からの連絡だった。『日向蓮』という名前だけで、視界が滲みかけて、瞬きを細かく繰り返してやり過ごす。
『今病院にいるの?歩ける?終わる時間と場所によっては迎えに行けるよ。』
午前休を取ってしまったため、不在だと気付かれることは想定していたが、病院にいることまでなぜ知っているのだろうか。日向の普段の人当たりの良さから、少しお喋りな上司があっさり話してしまったのかもしれないと思うと、その光景はいとも簡単に想像できた。
『迎えに行けるよ』という文字が、日向の声ありきで再生されてしまったのもよくなかった。左足を地面につけるたびにじんわりと痛みが広がっていく感じは、確実に紫月の心を削っていた。支えてもらえたらきっと楽になる。日向が心配してくれているという事実だけで少し、心が楽なのだから。
「52番の番号札をお持ちの方、2番のお部屋にお入りください。」
どう返そうかと考えていると不意に番号を呼ばれた。わざとらしく足を引きずっているように見えてはいけないと思い、紫月はなるべくいつも通りに歩けるよう、すっと立ち上がった。
* * *
紫月の想像通り、捻挫だった。2週間分の湿布と足首のサポーターを処方され、足首のサポーターの使い方のレクチャーを医師に受けた。湿布は近くの薬局で受け取らなくてはならなかった。サポーターのおかげで足をつけるときのずきっという痛みは幾分か軽減されたように感じつつも、長距離を歩くのは少し厳しいと思いながら薬局に向かった。
整形外科の近くの薬局ということもあり、こちらも湿布や塗り薬待ちの高齢者で混んでいた。紫月は椅子に座って、スマートフォンと再び対峙した。
『病院が終わって、今は薬局です。捻挫でした。午後には間に合うと思うので、出社します。』
そう送ると、すぐに既読がついた。
『病院って紫月さんの家の近くの方で探したの?』
『うん。サポーターとかなくて、あんまり長い間歩く自信がなかったから。でも今はもう大丈夫です。歩けます。』
家からはすぽっと足をはめ込むだけの楽なサンダルを履いてきた。会社でこのサンダルはおそらくダメだろうが、出退勤時はこのサンダルでないと厳しそうだ。どこかでオフィスでも問題なさそうな靴を探して、それを持ち込んでこれに履き替える形で大丈夫かは確認を取らなくてはならない。そういう現実的な確認ごとは次々と浮かんでくる。
『会社近くの駅に着くのって何時くらいになりそう?』
『11時半くらいには着くかな、多分。』
『じゃあ、駅で待ってるね。お昼、どこかで一緒に食べよう。』
『日向くん、今日は外回り?』
『うん。でもいつものところだし、結構巻きで終わってるから11時過ぎには多分終わってると思う。何か必要なものとかはある?あんまり色々動き回れないでしょ、紫月さん。』
動きたくても動けない。逃げたくても逃げることができていない。その現実がなくなったわけではないのに、日向のくれる文字が優しくて、今度は薬局でも泣いてしまいそうだった。
『駅前に靴屋はあるかな。できればそこに行って、オフィスでも履いて大丈夫そうなサンダルを見繕いたいと思ってて。サポーターのせいで左足だけパンプスとか履ける大きさじゃなくなっちゃったので。』
『重症じゃん!とりあえず無理しないで安全に来てね。途中で痛すぎってなったら動かないで連絡して!』
『鎮痛剤貰ったから大丈夫だよ。』
『そういうことじゃなくて、長い間痛い状態の紫月さんが我慢して動いてんの、俺が嫌なの。無理と無茶はなるべくしないでください。全部しないでほしいけど、ちょっとは紫月さん、しちゃうと思うから。』
見透かされている。大丈夫じゃない状況に、大丈夫を重ねてしまうことを。だが、見透かしたとしてもそれをたてになぜこうしなかったんだと正論で責められることもない。だから日向の前では呼吸ができる。食事も、できる。
『ゆっくり行きます。』
『うん。絶対そうしてね。』
「午後は出社するみたいですよ。なんだか、足を怪我しちゃったとかで病院に行くので午前中だけお休みさせてほしいって朝、電話が来てました。」
「…そうなんですね。じゃあ午後、書類取りに来ます。」
「はい。書類の件は梅原さんにも確認しておきますね。」
「すみませんがよろしくお願いします。」
丁度紫月が作成している書類を持って訪問する案件があって良かった。紫月が決まった時間にいないことを確認することに対する職場での不信感は生まれない。
(少なくとも、昨日の勤務時間中に怪我をしたわけではなさそう。そもそも、社内で歩いてて怪我をするような場所はないし。…ということは帰り?何かあった?)
事故に遭ったのであれば昨日そのまま病院に行っているはずだ。ということは、一晩経ってもなお治らなかった何かがあって、今日の午前中に病院に行くことにしたという流れだろうか。どちらにせよ心配になり、日向は自分のデスクに一度荷物を下ろし、着席した。外回りまでまだ時間はある。私的な連絡にはなるが、知ってしまったのだから聞かずにはいられなかった。
(…だって紫月さんは絶対自分から、助けてほしいなんて言わないから。)
痛くて歩けなくても、きっと自分のことは頼らない。『ただの同期』にそこまでお願いするのは間違っていると思っているからだ。それは確かにそうなのだが、こちらが『ただの同期』から格上げしてもらいたいと思っている場合は別なのだということは、おそらくまだまだわかってもらえそうにない。わかってもらえたとしても、それをそういう行動に移すことにはまた別のハードルがあるのだと、なんとなくそう思う。
『今病院にいるの?歩ける?終わる時間と場所によっては迎えに行けるよ。』
午前中に2か所回るが、日向一人で動くため、ある程度は自由に動ける。それにどちらもお得意様で特に話が長引くような案件でもない。
すぐに既読がついた。しかしそのまま画面を見つめていても返事は来なかったため、時間になった日向はそのままスマートフォンをカバンに詰め、席を立った。
* * *
整形外科というものに普段お世話になることがないため、朝一で来たにも関わらず、混み具合に驚かされてしまった。とにかくいわゆるお年寄りと呼ばれる層が多い。紫月のような20代は、明らかにスポーツをやっていてリハビリに来ているような体格の人が数名いる程度だった。
(…午前中でちゃんと終わるかな…あと、もうちょっとマシに歩けるようになるといいんだけど…。)
足というのがよくなかった。手ならば、ひとまず自分本体の移動には特に問題はなかったはずだ。しかし、足というのはそもそも足首を固定するためのサポーターを買いに行くためにも足を使わねばならず、そう考えると昨晩は何も出来なかった。やや変色した様子やある方向に曲げると痛いことから考えると捻挫だろうとは思うが、しばらくこの痛みが続くのかと思うと少し不安だ。そして不安が連鎖して、西村のことを思い出す。
(…ブロックを解除して、いつならいいのか…考えなくちゃ…。)
スマートフォンを握った手に力が入った。力を込めた瞬間に、ぶるると震えた画面を見ると、日向からの連絡だった。『日向蓮』という名前だけで、視界が滲みかけて、瞬きを細かく繰り返してやり過ごす。
『今病院にいるの?歩ける?終わる時間と場所によっては迎えに行けるよ。』
午前休を取ってしまったため、不在だと気付かれることは想定していたが、病院にいることまでなぜ知っているのだろうか。日向の普段の人当たりの良さから、少しお喋りな上司があっさり話してしまったのかもしれないと思うと、その光景はいとも簡単に想像できた。
『迎えに行けるよ』という文字が、日向の声ありきで再生されてしまったのもよくなかった。左足を地面につけるたびにじんわりと痛みが広がっていく感じは、確実に紫月の心を削っていた。支えてもらえたらきっと楽になる。日向が心配してくれているという事実だけで少し、心が楽なのだから。
「52番の番号札をお持ちの方、2番のお部屋にお入りください。」
どう返そうかと考えていると不意に番号を呼ばれた。わざとらしく足を引きずっているように見えてはいけないと思い、紫月はなるべくいつも通りに歩けるよう、すっと立ち上がった。
* * *
紫月の想像通り、捻挫だった。2週間分の湿布と足首のサポーターを処方され、足首のサポーターの使い方のレクチャーを医師に受けた。湿布は近くの薬局で受け取らなくてはならなかった。サポーターのおかげで足をつけるときのずきっという痛みは幾分か軽減されたように感じつつも、長距離を歩くのは少し厳しいと思いながら薬局に向かった。
整形外科の近くの薬局ということもあり、こちらも湿布や塗り薬待ちの高齢者で混んでいた。紫月は椅子に座って、スマートフォンと再び対峙した。
『病院が終わって、今は薬局です。捻挫でした。午後には間に合うと思うので、出社します。』
そう送ると、すぐに既読がついた。
『病院って紫月さんの家の近くの方で探したの?』
『うん。サポーターとかなくて、あんまり長い間歩く自信がなかったから。でも今はもう大丈夫です。歩けます。』
家からはすぽっと足をはめ込むだけの楽なサンダルを履いてきた。会社でこのサンダルはおそらくダメだろうが、出退勤時はこのサンダルでないと厳しそうだ。どこかでオフィスでも問題なさそうな靴を探して、それを持ち込んでこれに履き替える形で大丈夫かは確認を取らなくてはならない。そういう現実的な確認ごとは次々と浮かんでくる。
『会社近くの駅に着くのって何時くらいになりそう?』
『11時半くらいには着くかな、多分。』
『じゃあ、駅で待ってるね。お昼、どこかで一緒に食べよう。』
『日向くん、今日は外回り?』
『うん。でもいつものところだし、結構巻きで終わってるから11時過ぎには多分終わってると思う。何か必要なものとかはある?あんまり色々動き回れないでしょ、紫月さん。』
動きたくても動けない。逃げたくても逃げることができていない。その現実がなくなったわけではないのに、日向のくれる文字が優しくて、今度は薬局でも泣いてしまいそうだった。
『駅前に靴屋はあるかな。できればそこに行って、オフィスでも履いて大丈夫そうなサンダルを見繕いたいと思ってて。サポーターのせいで左足だけパンプスとか履ける大きさじゃなくなっちゃったので。』
『重症じゃん!とりあえず無理しないで安全に来てね。途中で痛すぎってなったら動かないで連絡して!』
『鎮痛剤貰ったから大丈夫だよ。』
『そういうことじゃなくて、長い間痛い状態の紫月さんが我慢して動いてんの、俺が嫌なの。無理と無茶はなるべくしないでください。全部しないでほしいけど、ちょっとは紫月さん、しちゃうと思うから。』
見透かされている。大丈夫じゃない状況に、大丈夫を重ねてしまうことを。だが、見透かしたとしてもそれをたてになぜこうしなかったんだと正論で責められることもない。だから日向の前では呼吸ができる。食事も、できる。
『ゆっくり行きます。』
『うん。絶対そうしてね。』



