同じ夜、遠征先の宿舎。
 本番の大成功に湧く仲間たちの歓声とは対照的に、シェイアンは静かにベッドサイドに座っていた。
 彼の手のひらには、今日のステージで使った透明な布の端切れがある。布を指で挟み、じっと見つめていた。
 「……うまくいったはずなのに、空っぽだ」
 小さな声で誰にともなく呟く。
 その時、部屋の扉をノックする音がした。
 「シェイアン? 入ってもいい?」
 咲来の柔らかな声だった。
 「……どうぞ」
 咲来はゆっくりと部屋に入ると、隣の椅子に腰掛けた。
 「……成功、おめでとう」
 「ありがとう。でも……本当に成功だったのかな」
 シェイアンは微笑みながらも、どこか虚ろだった。
 「ステージは大成功だったよ。観客も拍手してくれて、現地スタッフも感動してた」
 「頭では、わかってる。でも心のどこかがずっと空いてる。完成すればするほど、虚無感が強くなるんだ」
 シェイアンは正直に打ち明けた。
 咲来はしばらく沈黙してから、ゆっくり口を開いた。
 「それが“理想”の正体なのかもしれないね」
 「理想の……正体?」
 「うん。理想って、手に届いた瞬間に、新しい理想が少し先に生まれる。届いたはずなのに、次の欠けを見つけてしまう。だから永遠に空白が残るんだと思う」
 シェイアンは目を伏せて、端切れの布を撫でる。
 「……それは、苦しくない?」
 「苦しいよ。でも——」
 咲来はそっと彼の手の上に自分の手を重ねた。
 「その空白も含めて“歩いてきた証”なんだと思う。“理想は完成品じゃなくて、歩いた足跡の総称”」
 シェイアンの目がわずかに潤んだ。
 「……足跡の総称……」
 「だから、今は空っぽでもいいんだよ。また次の一歩を踏み出せば、新しい理想が少し先に見えてくるから」
 静かな部屋に、二人の呼吸だけがしばらく重なった。
 シェイアンはゆっくりと微笑んだ。
 「……ありがとう。少し、楽になった」
(第23話「ネガティブの正体」執筆 End)