八月中旬、まだ夜が明けきらぬ午前四時。
 体育館裏の資材倉庫には、いつものようにイヴァンとシェイアン、そして紗季が集まっていた。
 「今日中に安全基準満たす新設計、仕上げる」
 イヴァンが静かに宣言した。彼の手元には分厚い設計図の束。照明の新しい吊り下げ機構、美術セットの転倒防止装置、非常時の手動照明切替ライン——全てが細かく緻密に描き込まれている。
 「……すごいよ、本当に。イヴァンくん、徹夜でここまで考えてたんでしょ?」
 紗季が感嘆の声を上げる。
 「……少し寝た。二時間」
 淡々と答えるイヴァンの隣で、シェイアンが軽く肩を竦めた。
 「僕もほとんど寝てない。でもね、こうして機材と静かに向き合ってると、不思議と頭が澄んでくる」
 「なんかわかる気がする……」
 紗季はミシン台に積んだ光ファイバー入りの新衣装試作品を撫でながら呟いた。
 この日の作業は、バーベキュー会議で話し合った“失敗も舞台に組み込む設計”の具体化だった。
 「この新しい吊り幕機構は、わざと可動余白を残してある」
 イヴァンが新しい布固定具のサンプルを見せる。
 「突風が吹いても、無理に固定せず“逃がす”構造。振動を吸収して、揺れを演出に変える」
 「布が自分で呼吸してるみたいに見えそう……面白い!」
 紗季の目が輝く。
 「衣装の布地も、ちょっと変更する」
 シェイアンが透明のオーガンジーに刺繍を走らせながら言った。
 「シワや揺らぎを計算に入れたデザインにして、照明の揺らぎと同期させる。多少の乱れなら逆に美しく光る」
 「“乱れを美しく”って、かっこいいなあ」
 紗季がうっとりとサンプル布を光にかざす。
 「……でもこれ、どれも当初の設計には無かった発想だよね」
 「うん。崩れたから、見えた道だ」
 シェイアンが淡々と呟いた。



 作業の手は休まず、夜明けがじわじわと近づいてくる。
 イヴァンは新しいコード配線を黙々と繋ぎ、紗季は衣装の縫い目を何度も確認しながら光ファイバーを丁寧に縫い込んでいく。シェイアンは布の折り返し部分に細かな装飾を重ね、光の屈折を計算して刺繍の位置を調整していった。
 誰も無駄口を叩かず、それぞれが集中して黙々と作業している。
 ——けれど、その空気は不思議と心地良かった。
 しばらくして、ふと紗季が口を開いた。
 「ねえ……こうしてると、なんだか裏方も主役みたいだね」
 「裏方が、舞台の骨だから」
 イヴァンが即答する。
 「光は、表に出る役者だけじゃなく、支える人の手の中にも生まれる」
 シェイアンも静かに続けた。
 「……私、最初は正直、衣装作るのって表舞台に比べて地味かなって思ってたんだ」
 紗季が少し恥ずかしそうに笑う。
 「でも、今は違う。ステージの光が誰よりも近くで見られるし、そこに自分が繋がってるのがわかるんだもん。なんか、誇らしくなってきた」
 「それでいい」
 イヴァンが珍しく微笑んだ。
 「裏方は、舞台の心臓だ」
 「“心臓”……うん、素敵だね」
 紗季はそう言って、最後の縫い止めを慎重に仕上げた。光ファイバーのラインが柔らかくカーブを描き、夜明けの光を反射して淡く輝いた。
 「完成」
 紗季が小さく呟くと、シェイアンも静かに頷いた。
 「こちらも、完了」
 イヴァンは最後のケーブル結束を締める。
 カラスの鳴き声が遠くから聞こえ始め、ゆっくりと東の空が明るくなり始めた。
 「夜が明けたね」
 紗季が窓の外を眺めながら言った。
 「次の舞台は、きっと今までとは違う光を見せられる」
 イヴァンのその言葉に、三人の表情が自然とほころんだ。裏方たちの夜明けは、確かに訪れようとしていた。
(第12話「裏方たちの夜明け」執筆 End)