風がまだ冷たい春の夕暮れ、県立清栄高校の校舎裏は、まるで忘れられた庭のように静かだった。部活帰りの生徒たちの賑わいも、もう聞こえない。校舎の影が長く伸び、夕日がその向こうに沈みかけていた。
充は足を止めた。そこにあったのは、思っていたよりずっと古びた光景だった。
——屋外劇場。
薄汚れたコンクリのステージ、錆びた鉄骨の照明タワー、客席を囲うように低く伸びる石造りの観覧席。蔦が絡まり、ところどころに雑草が生えていた。かつてここに拍手と歓声が満ちた時代があったのだろうか。今は風の音と鳥の鳴き声だけが響いていた。
充の心臓が、トクン、と鳴った。
記憶の奥で、ぼんやりと光る小さな情景が浮かんできた。
――幼い頃、父に手を引かれて訪れた舞台。
初めて見た舞台劇。
光が降り注ぐ中、役者たちが全身で物語を紡いでいた。観客は誰もが息を呑み、そこに立つ一人一人が、まるで本物の魔法使いのように輝いていた。
充は無意識に歩を進めた。古びた観客席に腰掛け、舞台を見つめる。胸の奥がざわめいていた。
「……取り壊されるんだよ、ここ」
背後から声がした。振り向くと、そこに咲来が立っていた。薄いグレーのカーディガンが風に揺れている。いつも静かで柔らかな表情の彼女が、少しだけ寂しそうに目を細めた。
「え? ……ほんとに?」
「うん。市の広報に載ってた。老朽化で危険だって。来年度にはもう……」
充は思わず立ち上がった。手のひらが汗ばんでいる。取り壊し——消えてしまうのか、この場所が。
「でも、まだ壊されてないじゃん」
自分でも驚くほど、声が強く出た。咲来が少し驚いた顔をする。
「まだ間に合うなら、残す方法を考えればいい。だって、こんな場所他にないよ。こんな風に、空に向かって開けたステージ……。照明も音響も生で、観客の顔がちゃんと見えて……」
言葉が次々に溢れてきた。充は自分の興奮を止められなかった。胸の奥にずっと潜んでいた何かが、目を覚ましたようだった。
「なあ、咲来。この場所、蘇らせようよ」
咲来は静かに目を丸くし、そしてふっと口元を緩めた。
「蘇らせる、って?」
「劇場だよ。舞台をやろう。昔の人たちがここでやってたみたいに。今の時代に合わせて、新しい形でさ」
風が吹き、二人の間の沈黙を撫でた。咲来は視線を舞台に戻し、長く呼吸を整えたあと、小さく笑った。
「充……また無茶言うなあ。でも、面白そうだね」
彼女の返事に、充の心臓は跳ねた。言葉にできない高揚感が全身を走り抜ける。
「ほんとに? やる? 一緒に?」
「うん。脚本、書いてみるよ」
咲来はカーディガンのポケットから小さなノートを取り出した。すでに数ページ、細かな文字が並んでいる。普段からメモ魔の彼女のことだ。いつでも新しいアイデアが湧き上がっているのだろう。
「テーマは決めてるの?」
「まだ。でも……」
充はステージを見上げた。沈みゆく夕日が鉄骨に反射してきらりと光った。
「"光"かな」
咲来がそっと頷いた。
「いいね。光。……でも、ただの抽象じゃ弱いよ。物語の芯になる、強い“問い”が欲しい」
「問い?」
「うん。観客が最後まで答えを探したくなるような」
充はしばらく黙って考えた。自分は何に惹かれてここにいるのか。この劇場の何が、自分をここまで熱くさせるのか。
「——『なぜ人はステージに立つのか?』」
ようやく出たその言葉は、自分でも少し意外だった。
咲来は再びノートにペンを走らせる。やがて顔を上げ、満足げに微笑んだ。
「決まりだね。脚本、書き始めるよ」
充は足を止めた。そこにあったのは、思っていたよりずっと古びた光景だった。
——屋外劇場。
薄汚れたコンクリのステージ、錆びた鉄骨の照明タワー、客席を囲うように低く伸びる石造りの観覧席。蔦が絡まり、ところどころに雑草が生えていた。かつてここに拍手と歓声が満ちた時代があったのだろうか。今は風の音と鳥の鳴き声だけが響いていた。
充の心臓が、トクン、と鳴った。
記憶の奥で、ぼんやりと光る小さな情景が浮かんできた。
――幼い頃、父に手を引かれて訪れた舞台。
初めて見た舞台劇。
光が降り注ぐ中、役者たちが全身で物語を紡いでいた。観客は誰もが息を呑み、そこに立つ一人一人が、まるで本物の魔法使いのように輝いていた。
充は無意識に歩を進めた。古びた観客席に腰掛け、舞台を見つめる。胸の奥がざわめいていた。
「……取り壊されるんだよ、ここ」
背後から声がした。振り向くと、そこに咲来が立っていた。薄いグレーのカーディガンが風に揺れている。いつも静かで柔らかな表情の彼女が、少しだけ寂しそうに目を細めた。
「え? ……ほんとに?」
「うん。市の広報に載ってた。老朽化で危険だって。来年度にはもう……」
充は思わず立ち上がった。手のひらが汗ばんでいる。取り壊し——消えてしまうのか、この場所が。
「でも、まだ壊されてないじゃん」
自分でも驚くほど、声が強く出た。咲来が少し驚いた顔をする。
「まだ間に合うなら、残す方法を考えればいい。だって、こんな場所他にないよ。こんな風に、空に向かって開けたステージ……。照明も音響も生で、観客の顔がちゃんと見えて……」
言葉が次々に溢れてきた。充は自分の興奮を止められなかった。胸の奥にずっと潜んでいた何かが、目を覚ましたようだった。
「なあ、咲来。この場所、蘇らせようよ」
咲来は静かに目を丸くし、そしてふっと口元を緩めた。
「蘇らせる、って?」
「劇場だよ。舞台をやろう。昔の人たちがここでやってたみたいに。今の時代に合わせて、新しい形でさ」
風が吹き、二人の間の沈黙を撫でた。咲来は視線を舞台に戻し、長く呼吸を整えたあと、小さく笑った。
「充……また無茶言うなあ。でも、面白そうだね」
彼女の返事に、充の心臓は跳ねた。言葉にできない高揚感が全身を走り抜ける。
「ほんとに? やる? 一緒に?」
「うん。脚本、書いてみるよ」
咲来はカーディガンのポケットから小さなノートを取り出した。すでに数ページ、細かな文字が並んでいる。普段からメモ魔の彼女のことだ。いつでも新しいアイデアが湧き上がっているのだろう。
「テーマは決めてるの?」
「まだ。でも……」
充はステージを見上げた。沈みゆく夕日が鉄骨に反射してきらりと光った。
「"光"かな」
咲来がそっと頷いた。
「いいね。光。……でも、ただの抽象じゃ弱いよ。物語の芯になる、強い“問い”が欲しい」
「問い?」
「うん。観客が最後まで答えを探したくなるような」
充はしばらく黙って考えた。自分は何に惹かれてここにいるのか。この劇場の何が、自分をここまで熱くさせるのか。
「——『なぜ人はステージに立つのか?』」
ようやく出たその言葉は、自分でも少し意外だった。
咲来は再びノートにペンを走らせる。やがて顔を上げ、満足げに微笑んだ。
「決まりだね。脚本、書き始めるよ」



