今夜、星影を溶かして【完】


この日、街の郊外にある敏之の研究所跡には、2人の男性が訪れていた。



片方は、かつてこの場所で地獄を過ごしていた星野 碧。



そしてもう片方は、かつてこの場所を解放せんと戦った、榊坂 尊都である。




「……懐かしい?」



「……まあな」




碧や刹菜が実験を受けていたという実験室にて、尊都は碧に問いかけた。



長らく使っていない実験台は埃に塗れていて、錆びて(くす)んでいる。



その周囲には薬品を注入するための機械や心拍を計測するための装置など、さまざまな機械が当時の状況のまま放置されている。



とはいえ電源はもう通っていないため、もう使えないのだが。




「あの頃は、俺たちに希望の未来はないと思っていた」



「……」



「心が壊れて人形になるまで、人形になってもずっと、苦しみの中で生きていくんだろうと」




碧は呟くように独白しながら、実験室から繋がるドアを開いた。



そこは小さな小さな部屋。窓は高いところに防弾ガラスがあるのみで、硬くて小さなベッドが二つ、少し離れて置いてある。




「……もしかして、ここに刹菜と碧がいたの?」



「そうだ。そのドアの金具、壊れてるだろ。それを壊して、研究員どもが対応に行っている間に抜け出して、ダクトを通って外に出た」




もちろん、そのまま出られたわけではない。



人がいない場所に繋がる場所を探し、監視カメラの目を潜り――あのときの心臓は、ダクト中に音が響いてしまいそうなくらいに大きく鼓動していたように碧は記憶していた。




「そのあと刹菜が逃げ出して、俺は昌之に捕まった。だけど確かにあの日、俺は希望を見たんだ」




必死に逃げ出す刹菜の後ろ姿を、鮮明に思い出せる。



鬱蒼とした雑木林の向こうに広がる、自由の世界。



そこに向かって刹菜が駆け出していくのを見ただけで、本当に碧は救われる心地だったのだ。




「……だから尊都、お前が刹菜を拾ってくれてよかったよ」



「まあ、ね。俺と会うまでの刹菜の暮らし、ひどかったから」



「そうだろうな」




実際に見たことがあるわけではないが、碧も刹菜から、どのような生活をしていたのかは聞き出した。



バイト三昧と特売三昧、それからろくに鍵もかからない場所で毛布一枚で転がる夜。



空調が完璧だった牢獄に比べれば、寝床としてはベッドもあった牢獄の方が圧倒的に優秀だったはずだ。



結局、どちらの方が辛かったということなどありはしない。どちらも辛かった、ただそれだけ。



それでも、そんな生活はもう終わったのだ。




「心が壊れる前に死んでやろうと思ってたよ、あの頃はな。でも刹菜を一目見るまで死ぬに死にきれなかった。刹菜を見たら、今度は刹菜を守り通すまで死ねねえって考えが変わった」



「そっか」



「今となっては、生きててよかったけどな」



「刹菜も喜んでたよ。碧の死んだ目が快晴の空みたいになるくらい幸せにするんだって」



「っは、楽しみだ」




碧は、楽しそうに笑った。



彼の目はもうすでに、死にきった色ではない。



星のまたたきのような光が灯った、美しい瞳だ。



この光が太陽のような輝きになるまで、それほどもかからないだろう。



そんな碧を見て、尊都はふっと口元を緩めた。




「兄妹2人で、助け合って生きてたんだね」



「ああ、そうだ」




碧と刹菜は、それぞれ全く違う遠い地方からやってきた。



だが偶然相部屋になり、知り合い、仲良くなり、支え合い。



出会うはずのなかった人間同士でも、今となっては兄妹同然だ。




「あいつは俺の大切な妹なんだ」




碧が、そう言って目を細めた。




「だから何度も言うが、あいつのこと、幸せにしろよ」



「わかってるよ」




2人が穏やかな視線を交わした、そのとき。



尊都の携帯が震えたので見てみれば、刹菜から電話が来ていた。




「あれ?刹菜電話できるようになったんだ」



「……今までできなかったのか?」



「俺と会ってから初めてスマホに触ったからね。そう言う意味では優秀だよ」




刹菜の生活水準の低さを垣間見た碧は、口元を引き攣らせてため息を吐いた。



その間に刹菜からの電話をとった尊都は、そのままビデオ通話にして碧を映す。




「どうしたの、刹菜」



『片倉さんと鈴木さんとお菓子作ったから、帰ってきたら食べないかなあって……あれ、あーくん?』



「ああ」



『一緒にいたんだ!あーくんも帰ってきたら食べない?』



「ありがとう、もらおう」




やった!と嬉しそうに笑ってから、ようやく2人の背景に気づいたのか、刹菜がこてんと首を傾げる。




『ねえ、そこ研究所?というか私たちの部屋だよね?』



「そうだよ。回収し損ねた記録がないか、2人で一通り見て回ってる」



『そっかあ。懐かしいなあ』




尊都がスマホのカメラを切り替えて部屋を見せると、刹菜の懐かしむ声がスマホから聞こえた。



曇るような声は聞こえない。きっと、懐かしんでいるだけだ。




『いつだっけ。結構ちっちゃい頃さあ、私が怖い夢を見たからって、一緒に寝てくれたことあったよね』



「そんなのいっぱいあっただろ。起きたら懐に潜り込んでた日もあったくらいだしな」



「へえ?そうなんだ。刹菜、俺のベッドにもいつでも入ってきてくれていいからね」



『いっ、行かな……くはないかもだけど!そんなこと滅多にしないからね!』




刹菜の照れたような声が聞こえてきたかと思うと、とにかく!と刹菜は無理矢理話題を切り替えた。




『帰ってくるの待ってるから!あんまり遅いと私が全部食べるからね〜』




そしてぎゅるるっというお腹の音が鳴り始めたあたりで、刹菜は慌てて電話を切った。



相変わらず元気な腹だ。




「……さて」




尊都は、先ほどよりも幾分か柔らかくなった表情で、碧に笑いかけた。




「俺たちのお姫様が待ってるし、早く終わらせて帰ろうか。義兄(にい)さん」



「……まだ義兄(あに)と呼ぶには早いんじゃねえのか?」



「そう?まあ俺は呼ぶけど」




軽口を叩きながら、2人は狭い狭い牢獄を出ていった。



扉を閉める前に碧は少しだけ振り返り、静かに牢獄を見つめる。



そして眼裏にその光景を焼き付けて剥がし、金具の壊れた扉を動かして、牢獄と決別していった。