「……お前か、碧」
ギロリと、血走った目が憎悪を刻んだ。
「お前が……お前が尊都に証拠を流しやがったな!!!!」
「むしろ、なぜ流さないと思っていた?俺はいつだって刹菜の味方だし、せっかく俺が尊都の近くにいたのなら協力くらいするだろう」
「……ッ」
「10年弱お前に忠誠を誓って働いていたくらいで、随分と俺を信用してくれてたんだな。嬉しさに涙が出そうだ」
あーくんは、今までの怒りをぶつけるかのように刺々しく、冷たく昌之を煽る。
それすら昌之には思考を乱すノイズにしかならないようで、昌之ががしがしと頭を引っ掻いた。
「もっと言えば、お前がこういう手段を踏んでくるだろうことは、碧からの情報提供で予想してたよ」
「はぁ⁉︎」
「もちろん刹菜も知ってた。だから、俺が碧からもらった証拠を警察に流して根回しするまでしっかりと、計画通りに『時間稼ぎ』もしてくれた」
よくやったね、と流し目で褒められて、私は思わず微笑み返す。
計画の重要な部分を任されていたけれど、こうして尊都さんの役に立てたのがすごく嬉しい。
そう、すべては尊都さんの手のひらの上。
この誘拐騒動は、なにもかも計画のうちだったのだ。
*
――それは、3日前。
「小会議室3」に呼び出された私は、黒葉さんと尊都さんと3人で真剣な顔でテーブルを囲んでいた。
「急にどうしたんですか?大事な話って……」
首を傾げていると、尊都さんがいつになく真面目で深刻な表情で、私に尋ねた。
「刹菜は、自分の小さい頃のこと、覚えてる?」
――と。
……ずっと考えないようにしていた。
私の幼少期の記憶が、まったくと言っていいほど思い出せないこと。
例えば、両親の名前。両親がいないのなら、育ててくれた人の名前。
好きな食べ物や、嫌いな食べ物、いつも寝ている場所――……そして、「それまでどうやって生きてきたのか」。
すべてが記憶から抜け落ちていて、わかるのは私が「刹菜」であるということだけだった。
だから私が迷わずに否定すると、尊都さんは続けて言ったのだ。
「もし、その忘れている幼少期が、ぜんぶ忘れて捨てたくなるほどの地獄で、辛くて痛いものだったとして。それを知れるとしたら、知りたい?」
「…………」
すぐは、返せなかった。
だって怖かったから。絶対に怖い記憶に決まっているって思った。実際、思い出したのは辛いことばかりの記憶だったし。
それでも、私は知ることを選んだ。
「……どうして?」
理由を問いかけてくれる尊都さんを少し見つめて、私はそっと目線を外した。
それから自分の人生を振り返ってみた。
貧しくて寒くて震えた夜。お腹が空いて死にそうだった朝。周りに笑われ続けていた昼。
記憶を失った後だって決して簡単な人生じゃなかったけれど、それでも、静かに星を見上げた夜は楽しかったし、綺麗だったし、大切な記憶だ。
「たぶん、忘れる前にも幸せな記憶はあったと思うから」
楽しいこと、嬉しいこと。少なくとも一つは、あると思ったのだ。
少しでも楽しかった記憶があるのなら、それを知らずにいるのは勿体無い。
だから私は、知ることを選択して。
その結果、今回人身売買の首謀者であるらしい「笹原 昌之」の捕縛計画に参加することになった。
「昌之の狙いは俺と刹菜だ」
尊都さんは、迷いなくそう言い切っていた。
「俺を陥れるためにお前を使おうとしてくる。たぶんだけど、刹菜の手で俺を殺させようとすると思う」
「えっ!なんでわかるんですか?」
「ずっと人身売買の黒幕を追ってたから。そのくらい性格が悪いだろうなってことはわかる」
ある意味、長く戦ってきた敵なんだそうだ。
そういうものかと感心しながら、私は作戦概要を頭に叩き込み、当日の心の準備をした。
「相手はあんまり油断しないタイプだから、あえて王手を打たせにいく。だから刹菜には怖い思いをさせるけど、昌之に一度捕まってほしい」
「……」
「そこでたぶん、刹菜はぜんぶ聞くことになると思う。だけどそこで耐えて、時間稼ぎをお願いしたい」
「その間、尊都さんはなにを?」
「昌之が人身売買をしてる証拠が、やっと手に入ったんだ。それを警察に流して、昌之を速やかに引き渡せるように根回ししたい」
「なるほど」
「でもそれを普通にやると絶対に昌之にバレるから、刹菜に協力してほしいんだ。刹菜を捕まえてあいつが興奮している間なら、あいつを欺いて根回しができる」
それでも、私に辛い思いをさせることには変わりないから、って。
尊都さんはわざわざ私に意見を聞いて、意思を尊重しようとしてくれた。
……それが、本当に嬉しい。
だから、役に立ちたい。
「わかりました」
力強く、私は尊都さんに頷き返す。
「やらせてください。時間稼ぎ、してみせますから!」
危ないよ、とか。やらなくてもいいんだよ、とか。
そういう言葉は、黒葉さんからも尊都さんからも出てこなかった。
私の覚悟と実力を信じて任せてくれているというのを実感できて、ますますやる気が湧いて――
そう、だから。
私が連れて行かれることも。私が、尊都さんを殺せと言われることも、知っていたのだ。
*



