「……刹菜は」
そのとき、静かにあーくんが口を開いた。
体は昌之のほうを向いているけれど、声は優しくて。
あの頃より数段も低くなった声にもかつてのあーくんが垣間見えて、私に向けて言っているのが一瞬で分かった。
「俺の心の支えだったんだ。どこかで刹菜が笑っているのなら、それでよかった」
「……」
「血が繋がっていなくとも、俺の大切な妹だから。刹菜の幸せのためなら、俺は地獄だって生きられた」
数年越しに聞く、あーくんの想い。
なんで私は、こんなに大切な人を忘れてしまっていたんだろう。
こんなにたくさん、「幸せ」をもらっていたのに。
……でも、違うよあーくん。
やっぱり、違う。結果的に私は逃げ延びられたけど、私はたしかに、悲しいんだ。
今も、あーくんに逃してもらったときも。
だってあーくん、死んだ目してるじゃない。
私が幸せそうだったとしても、あーくんの目は曇ったままだ。
私は、その目が快晴の空みたいに輝いているのが見たいのに。
「まあとにかく、刹菜、きみが尊都と繋がっていてくれて助かったよ」
昌之は、私の考えることなど気にもせずに語り続ける。
「尊都は最近、人攫いを追っていただろ?あれをやっていたのは僕なんだ」
「…………」
「刹菜、きみを探すために、ありとあらゆる女性を高値で買い取った。まさか2回も逃げられているとは思わなかったけど。碧が人身売買の店にいたのは、刹菜が売りに出されていないか確認するためでもあったんだ」
だから私がカフェの近くで攫われたとき、あーくんはあの店にいたのか。
そして私が昌之の手に渡らないように、私を逃してくれたのか。
「2回目に刹菜が逃げた後、尊都が捜査に力を入れたせいで正直僕は手詰まりだったんだけどね。碧の盗聴器のおかげでお前が尊都の恋人になったって分かって、嬉しかったよ」
昌之の恍惚とした表情は、寒気がするほどに気持ちが悪い。
人の命をなんとも思っていないのが分かって、ただただ恐ろしい。
「身体能力が優れていて、さらに尊都のお前である刹菜なら、尊都の絶望を引き出せる。そう思ったから、偶然刹菜とオトモダチになってたミチカに命令して、刹菜を連れてきてもらおうって思ったわけ」
それで今に至るというわけか。
大体は把握したけれど、まだ私には一つ、腑に落ちない点がある。
「…………なんで尊都さんの絶望なんか見たいの」
私がそう質問すると、昌之はきょとんとした表情の後、残虐性と狂気が滲んだ笑顔を浮かべた。
「あれえ、言ってなかったっけ。尊都がね、邪魔なんだ」
「……邪魔?」
「そう。僕こそが、頂点に立つべき人間なのに。才能と環境と地位と名誉、全てに恵まれていたはずだった僕こそ、この街の王にふさわしかったはずなのに!!!あいつが!!!頂点に立ちやがった!!!」
昌之がここにはいない尊都さんに向かって呪詛を吐く姿は、まるで魔女のようだと思った。
激しく、枯れた草木みたいな渇望を感じる。
そのどこまでも果てしない欲に正直な昌之が、やっぱり私は怖い。
「だから、僕が陥れるんだ。そのために兄さんすら手駒にしてお前らを生み出した!!だから――」
ギンッと、昌之の闇のような瞳が私を見る。
手枷と足枷に縛られる私に黒い鋼鉄の何かを投げつけて、昌之は大仰な仕草で立ち上がった。
芝居みたいに天を仰いで、お化けに取り憑かれたみたいに笑い咽び泣いて、そして私に、残酷な命令を突きつける。
「お前が、僕のために尊都を絶望へ突き落とせ。――その銃で尊都を殺すんだ」
私の目の前に、命の天秤が吊り下がった瞬間だった。
尊都さんをこの手で殺すか。
それができずにみっちーや、昌之に逆らえないあーくんを犠牲にするか。
私は、命の選択を迫られてしまったのだ。



