【完】今夜、星影を溶かして



――私の名前は、刹菜。



刹那の刹に、菜の花の菜と書いて、刹菜。



……どうして、知っているんだろう。



私を生んでくれたはずの両親の顔も声も名前も、何もかも、覚えていないのに。



どうして、覚えているんだろう。



私はずっと、星に語りかけたくなるくらいずっと、独りぼっちだったはずなのに。









さらさら、と丁寧な文字が音も立てずに紙に連ねられていく。



その文字はやがてとある人物の名前を示し、そして文字を書く手は一旦そこで止まった。




「………………」




ここは、俺の執務室。



俺と黒葉と、そしてみどりだけがいるこの空間で、みどりは上質な紙に急に1人の名前を書いた。





笹原(ささはら) 昌之(まさゆき)





その名前に覚えがないわけではない。



だがなぜこの名前を出してきたのか、今は推測しかねている状況だ。ともかく情報が足りない。



だから目線で続きを促しつつ、みどりの意図を探ってみる。





「お前から俺に話しかけてくるなんて珍しいじゃん。どうかしたの?」



「……少し、害虫を見かけた。生活の邪魔だから、駆除してくれないか」



「……ああ、なるほどね」




……ようやく、みどりが話す気になってくれたようだ。



だがわざわざ紙に書いているところを見ると、盗聴される危険があるということだろうか。



となると、もしかしたら…………。



いや、今はこっちが先だ。



きっとみどりは、この「笹原 昌之」が害虫だと言いたいんだろう。




「どんな害虫?」



「厄介なやつでな。こそこそと隠れて中々出てこない」





言葉上では虫の話のように聞こえる言葉を選びつつ、みどりはさらに紙に言葉を綴る。




『お前を潰す機会を狙っている』




「それなら俺直々に駆除してあげようか?」



「頼めるか。放っておくとますます面倒だ」




『目的を果たすために刹菜を使う気だ』



『それから』




みどりは、またもや手を止めた。



だが今回は俺の反応を窺っているわけではなさそうだ。



話そうか、まだ迷っているらしい。



なら、話そうとしてくれているみどりに俺も誠意を見せるまでだ。



俺は自分のペンを取り、みどりに向けて一言だけ書いてみせた。




『刹菜は俺が幸せにする』




「……」




みどりは口をきゅっと結び、また手を動かした。



真実を書かんとするその手に迷いはない。



そしてみどりが文字で伝えてきた内容に、俺は静かに目を細めた。




『刹菜は幼少期の記憶を失っている』



『そして、俺と笹原昌之は、刹菜の幼少期を知っている』





「……お前は、何か欲しいものはある?」



「ない。過ごしやすいのなら、それでいい」




「過ごしやすいのならいい」のは、みどりのことではないように思えた。



きっとみどりは、刹菜が過ごしやすいのならそれでいいのだろう。



だからみどりは、ずっと俺を試していたのだ。



本当に、俺が刹菜を大切に、幸せにできるのかどうか。



だから、刹菜が俺を恋人に選んだことでようやく吹っ切れたように見える。




「わかったよ」




俺はペンを置き、席を立った。



黙っていた黒葉も俺の決断を察したのか、ぽんとみどりの肩を叩いて立ち上がる。




「俺に任せといて」




結局は、なにも変わらないんだ。



俺は父に任された通り、俺と刹菜が愛するこの街を守る。



そして大切な恋人で、今や「榊坂 尊都」の一部でもある刹菜に対しても同じことだ。



街や刹菜に害を与える虫は俺と刹菜で振り払う。



みどりに視線でそう伝えると、みどりは安心したように背をソファに預け、そのまま目を伏せた。