榊坂 尊都。
それが、私の大好きな恋人の名前だ。
尊都さんは私を底辺の生活から掬い上げてくれた人で。
感情が乏しいながらも、いろいろな対象に注げる優しい慈愛の持ち主で。
いじわるしてくるときもあるけれど、いつも私の感情を第一に考えてくれる人で。
……私を、選んでくれた人。
「ほら。口開けてよ、あーん」
「むむむ……!」
尊都さんと私が結ばれた直後、晩御飯にて。
私は熱々のコーンスープが入ったスプーンを前に、固く口を結んでいた。
「恥ずかしいの?こういうことは慣れてないからかな。かわいいね」
「……っ!」
あまりの恥ずかしさと図星にキッと睨みつけて抗議してみるけれど、尊都さんはその目に愛情を宿らせて微笑むだけ。
ダメージなど欠片も与えられていないことを悟り、私は途方に暮れる。
恥ずかしいってわかってるくせに「あーん」してくるとこ、ほんっとにいじわる!!
「まだ食べてくれないんだ、へー」
こっちが葛藤しているっていうのに、尊都さんはなんとなく楽しそう。
もう開き直るしかないのか、いや、それはいやだ。
そんなことばかり考えちゃって、思考が平行線すぎて頭が全く整理できない。
「それじゃあ、こうしよう」
そんなとき、尊都さんが名案を思いついたというふうに言ってきた。
「30秒以内に一口食べてくれなかったら一回キスするから」
「きっっっっ⁉︎」
「ちゃんと刹菜の唇に、深くて甘いやつ。ご飯食べる前にぐちゃぐちゃになりたくなかったら早く食べて」
もちろん「あーん」のままで、と尊都さんは美しい笑みで言い放つ。
しかも「ご飯食べる前にぐちゃぐちゃになりたくなかったら」だって。
食べたら食べたでご飯のあとにぐちゃぐちゃにされそうな気がするのは、私が変態なだけだろうか。
とりあえず思考することを諦めた私は、おとなしく口を開いた。
「なーんだ。俺はキスでもよかったんだけど。あーん」
「もぐもぐ、わたひはよくないれふ」
「わかった。なら、キスはお預けだね。はいあーん」
……やっぱりキスは決定事項らしい。
嫌なわけじゃない、ちょっと緊張しちゃうだけだ。
だからキスを先送りにするのは私の意地でしかなくて、尊都さんもきっとそれがわかっちゃうからキスを決定事項として扱っているんだろう。
本当に、私の気持ちの何もかもが見透かされてて負けた気分。
尊都さんみたいなすごい人に勝てるとは思っていないが、それにしたって負けっぱなしはつまらない。
だから、仕返しをしよう。
勝てはしなくても、ちょっと驚いてくれれば丸儲けだ。
「はい。あーん」
「…………」
にこにこしながらまたコーンスープを差し出してくる尊都さん。
私はよし、と腹を括り、尊都さんのそのすべすべで美しいほっぺにちゅっと唇を押し付けた。
「……!」
そして尊都さんが驚いているうちに、素早くコーンスープを口に含む。
ふっふっふ、やってやった!
ほら驚いてる。鳩が豆鉄砲食らったみたいな顔……にしては綺麗だな。鳩じゃなくて白鳥が豆鉄砲を食らっている感じだ。
ともかく、これは目的達成。
私はしてやったりとニヤニヤして尊都さんにバチコーンとウインクをかました。
「私だってやられてばっかりじゃないんですからね!」
「……へえ?」
尊都さんがすっと目を細めた。これは完全に餌を狩る猛獣の目だが、今までほぼ野生を生き延びてきたみたいな生活をしていた私は屈しない。
心なしか近づいてきた気がする尊都さんの唇にちょん、と人差し指を当てて、私はさらに微笑んだ。
「ここでキスはダメです!ストップです!」
「……なんで?」
「なんでって、私今ちゃんと、コーンスープ食べましたからね。30秒以内に一口食べたので、キスはダメです!」
「っは、そうくるんだ。確かにそれはそうだね」
面白そうに笑う尊都さん。
おっ、これはもしかしてもしかすると、このまま勝てちゃうのでは?
そう思ったが、さすが私。考えが浅かったようだ。
「よく考えたじゃん。流石は刹菜、煽ってくるなんて度胸あるね」
「実はここから先のことはプランなにも立てていないんですけどね。でも負けっぱなしは嫌なので!」
「いつから勝負になったのかわからないけど、そういうことなら俺も負けるわけにはいかないな」
尊都さんは私が勝負を仕掛けてきたのが嬉しいようだ。
燃えている私を見て、尊都さんもワクワクした表情で私を見つめてくる。
ちょっと恥ずかしいが、たぶん、ここで目を逸らしたらそれこそ負けになる気がする。
だから私は負けじと尊都さんを見つめ返した。
「見つめ合いでもしようか?先に照れた方が負けとか」
「やるからには全力ですよ!私こう見えましても、感情を隠すの得意なんですから!」
とはいえ、感情を隠すのは尊都さんの方が上手そうだ。マフィアのボスだし。
だが、だからといって誘われた勝負に乗らないなんてあり得ない。
私は上がりそうな口角を叱咤して、間近の尊都さんを見つめながら懸命に真顔を作った。
「…………」
「………………」
あ、やばい。
めっちゃニヤニヤしそう。見つめ合いとか恥ずかしすぎるんだけど。
っていうか尊都さんの顔ってやっぱり綺麗だなあ。まつげバッサバサ。
私、本当に尊都さんの恋人になれたんだ……。
そんな感じで感激していた、そのとき。
「……ふ」
尊都さんの鉄の表情が、崩れた。
無感情でスンッとしていたはずの尊都さんは、さっきまでと同じ、恋人に向ける甘くて愛のこもった微笑みに戻っている。
えっ嘘!もしかして私、勝った⁉︎
「尊都さん、今照れましたね⁉︎私の勝ち――」
「刹菜」
うきうきして目を輝かせた私の声を、尊都さんが遮る。
そしてやっぱり猛獣のように目を細めて、大きな手で私の顔の輪郭を覆うと、静かに私の顔を引き寄せた。
さらに近づく尊都さんの顔に、思わずタジタジしてしまう。
そうして照れる私を相変わらず嬉しそうに見つめながら、尊都さんは言うのだった。
「今ので30秒ね」
「え?――……んっ⁉︎」
その瞬間、私は尊都さんに口付けられた。
わけもわからず混乱していると、その隙をついた尊都さんは、容赦無く私の口に舌を差し込んでくる。
「んん、まっ、て……」
「待たないよ。言ったじゃん、30秒以内に一口食べないとキスするよって」
「……っ」
すぐ近くから聞こえてくる尊都さんの声も、今はまるでお酒みたい。
聞こえてくるだけで甘さと恋に溺れて酔って、深いキスでそのすべてが蕩けて混ざっていく。
なにも考えられない中、ちゅっと舌を軽く吸われるだけでくらくらと眩暈がした。
う、甘い……。ほんとなにこれ、やばい。
気持ち良すぎて、もう真面目になにもできない……っ。
「んぅ……みこと、さ……ぁ……っ」
「……」
体の力が抜けてくたりと尊都さんに体重を預けるが、尊都さんはまだ止まらない。
私を抱き上げたかと思うと膝の上に向かい合うように下ろし、さらにキスを続けていく。
唇にだけじゃなくて、鎖骨とか、首元とか、いろんなところにキスをする尊都さん。
「……はあ……かわいい……」
すっかり体の芯まで溶かされて、浅く呼吸を繰り返すしかない私を、尊都さんは愛おしそうに見つめるのだった。



