「で、本題だけど」
「彼」は膝を組んでその上に手を乗せると、その瞳で真っ直ぐ私を見た。
「雇ってあげるから、俺んとこ来てよ」
「……はい?」
「昨日会ったの、お前でしょ?」
「なぜ昨日の人が私だとわかったのか、お聞きしても?」
「調べた」
なにを調べたんだ……?
いや待とう、これ以上はきっとダメだ。お金持ちの世界にしかわからない何かがきっとあるんだ。
もしくは権力でネット上探して、とか。
学校の何かのデータには確かに、私の姿があるかもしれない。
「リーダーの男気絶させたらしいじゃん。めっちゃ面白いね、お前」
「はあ……面白いですかねえ」
「面白いよ。壊してた手枷と足枷はどうしたの?」
「ちょっとボロい家の役に立ってもらってます」
「…くっ、ふふ」
置き場所に困ってたら、窓の隙間にちょうどピッタリだったんだよね。
あれのおかげで寒さに震えることなく穏やかに寝られた。
――……じゃない、そうじゃない、違った。大事なのはそこじゃないはずだ。話がそれた。
「雇うって、私をなにに使うおつもりで?」
「んー、暇つぶし?」
「わお」
思ったよりメチャクチャな回答でびっくりしてしまった。
それにしても暇つぶしって何するんだ?トランプかな?大富豪でもやるのだろうか。
大富豪なら絶対に勝てる気がしないが。
「俺さ、もうわかってると思うけどオカネモチなんだよね」
「はい」
「権力もあるから、今まで手に入らないものはなかったわけ」
「そうなんですねえ」
「人生で得るものは得尽くしたんじゃないかって思ってる」
この人私の前でよくそれ言えるな。
どうせ昨日の「私貧乏なんで!」みたいな私の発言も聞いてたんだろうに。
聞いてなくても、私のしわっしわの制服見たらなんとなくわかるし。
……私の貧乏さ、わかってて言ってるんだろうな。
「そんな俺の人生について、どう思う?」
「ものすごく退屈そうですね」
「ご名答」
満足そうに笑った「彼」は、気だるげに私に視線を寄越した。
まさに人生を退屈と思っているのが伝わってきて、なんだかかわいそうになってしまう。
私自身は生きていくのも大変だけど、なんだかんだ楽しい人生だから。
退屈は人を殺すって言うし、辛かったんだろうなあ。
「お前は面白そうだから、飼ってみようかと思って」
「なるほどなるほど」
思考を理解はした。
そのまま文字のごとく、私はこの人の「暇つぶし」なんだね。
思ったより滅茶苦茶だったけど、それで私の生活が少しでも改善されるならそれでいい。
「衣食住は提供するよ。給料もつけてあげるし、欲しいものがあったら買ってあげてもいい」
「至れり尽くせりですね」
「俺に興味を持たれるっていうのは、そういうことだよ」
どんだけ雲の上の立場の人なんですか、あなたは。
そんな疑問をなんとか呑み込み、私はしっかりと頷いた。
「わかりました」
「雇用されてくれる?」
「もちろんです。それにもうすぐ、バイト先の一つが閉店になる予定だったので」
実は今、一つでもバイト先がなくなれば生活が立ち行かなくなる状態だった。
流石にホームレスは嫌なので、悩んでいたところだったのだ。
だから正直にありがたい。
それに流石に断るのは無理すぎる。断ったら社会的に消される気がする。なんとなくだけど。
「よかった。じゃあ、知ってるけどお前の口から聞かせてよ。お前の名前は?」
「刹菜です。これからよろしくお願いします」
「刹菜、ね、わかった。俺は尊都。よろしくね、刹菜チャン」
ぽふ、とゴワゴワの髪を尊都さんが撫でてくれた。
やべっ、昨日シャワーちょっと被っただけなのに。臭くないかな…。
「あの、手が汚れるので触らないほうが…」
「なんで?」
「いや、シャンプーしてないので」
シャンプー買うお金あったらもっとマシなご飯食べてるし。
私が身を引くと、尊都さんは「ふうん」と言って手を下ろしてくれた。あんまり気にしてなさそうだ。
「そうだ、帰りは迎えの車を手配しとくから。学校の最寄り駅で待たせとくからそれに乗ってね」
「え、私を乗せていいんですか?シャンプーしてないんですよ?」
当然ながら体もあまり洗っていない。
流石に洗わないのは嫌なので、3日に一回石鹸をちょっとだけ使っている。でもそれくらいだ。
「当然でしょ。それにお風呂やシャンプーくらい家に来てからいくらでも入らせてあげるから」
「ほ、ほんとですか⁉︎水道代取られたりとかは…」
「しないよ。好きなだけシャンプーも使えばいいし」
「わあ……!」
流石に心惹かれるよ、それは。
私のお風呂ちゃんと入りたい悩みが一瞬で解決してしまうなんて…!
「そんなに嬉しい?」
「宝石とかよりもずっと」
宝石なんてもらうこと絶対ないけど、もしもらったら即売り飛ばすに違いない。
そしてご飯を買う。
だけど売り飛ばすための買取店に入った瞬間に「お前の来る店じゃねえ」と門前払いな気がするから、やっぱり宝石はいやだな。
「へえ、いいねそういうの」
「え、あ、そうですか?」
なんて思っていると、面白そうに尊都さんは口角を持ち上げた。
その笑顔、なんかずるいなあ。魅惑的すぎて不思議な気分だ。
普通に微笑んでるだけだろうに、そんなことを感じてしまう。
「俺も宝石好きじゃないんだよね」
「なんか意外です。宝石鑑定してそうだなと思ってました。でも気が合いますね」
「俺と気が合うなんて言ってくるの、刹菜くらいだよ」
まあ、そうだろうな。
昨日も思っていた。
尊都さんは凄まじいオーラを持つ人だと。誰も逆らえない雰囲気があると。
だからこそ、「私と気が合いますね」なんて言うのは私くらいに違いない。
私は言える。それこそ、恐れることなく。
だって、たとえ気分を害しても、もう命以外に私が失うものはないのだから。
「まあいいや。本題はこれだけ」
「はい、今日からよろしくお願いします!」
「うん。それじゃあ、俺帰るね」
「えっ」
まさかほんとに、これだけのために来たの?
先生たちの大掃除は?校内の清潔度検査は……?
唖然としている間にも、足元にレッドカーペットの幻覚を展開しながら尊都さんはスタスタと歩いていく。
「ばいばい、また後で」
尊都さんはもう一度私を振り返って手を振った後、扉の向こうに消えていった。
えええ、嘘……。
ほんとのほんとに帰った?帰ったの?これだけで……?
戸惑ってソファに座ったまま考え込んでいると、不意に校長室の扉が開いた。
そこからは、混乱した様子の校長先生が顔を覗かせている。
「あの、尊都様は……?」
やっぱり様付けされるようなお偉いさんなんだなあ、とか思いながら、返答する。
「お帰りになりました」
「えっ」
「それじゃあ俺帰るね、とのことで……」
「帰った……?」
その様子じゃ本当に私に会いに来ただけだったのだろうか。
ますます大掃除していた先生たちに申し訳なくなる。
そして、そうしているうちに。
キーンコーンカーンコーン。
「……あ、昼休み終わっちゃった」



