そして、その翌日。
ソファに座って、前から気になっていたアダム・スミスの「国富論」を読んでいると、不意に空腹を覚えた。
もうすぐお昼ご飯の時間かな、と思ったところで、コンコンと扉がノックされる。
「はい?」
「入るぞ、刹菜」
本から視線を上げて返すと、扉を開けて入ってきたのは、饅頭を頬張る黒葉さんだった。
意外だ。黒葉さん1人で来るなんて。
「どうかしましたか?」
「急いで小会議室についてきてくれないか。刹菜が誘拐された日に助けてもらったって言ってた奴が見つかったんだ」
「!!」
それって、あの日誘拐犯に銃を構えていた男の人のことだよね。
ついに見つかったんだ……!
びっくりしていると、黒葉さんはさらに驚くようなことを言ってくる。
「そいつが、お前と話がしたいって言ってる」
「え……⁉︎」
な、なんで⁉︎
もしかして、なんであのとき逃げやがったんだとか……?
そんなこと聞かれても、「それが最善だと思ったから」じゃあ答えにならないし!
ど、どうしよう!でも待たせたら悪いし、とりあえず行ってみよう!
私は得意のなんとかなる精神を適用させ、急いで黒葉さんについていく。
私は小会議室3に行く気満々だったのだが、通されたのはなんと小会議室4だった。
小会議室って3までじゃなかったのね。
「つれてきたぞ」
「失礼します」
改めてこのお屋敷の広さに戦慄しながら、私は小会議室に入る。
そこには、尊都さんともう1人。
見覚えのある美青年が座っていた。
「お久しぶりです」
私はまず、その人に頭を下げる。
お礼は、ちゃんと言わないとね。助けてもらったんだから。
「あのときは助けていただき、ありがとうございました」
「……怪我は?」
「ありません。とっても元気です」
ぐっとガッツポーズをすると、死んだ魚の目をするその人は少しだけ、その表情を和らげた。
おう、よかった……怒ってはない、みたいだ。
それじゃあ、なんで私と話したかったのかな?
そもそも、尊都さんたちによると警察じゃないみたいだし、この人って何者なんだろう。
まずは、名前から聞いてみようかな?
「あなたのお名前を、聞いてもいいですか?」
「…………」
えっ、よくなかったかな……。
私を助けてくれた男の人は、無表情のまま黙り込んで私をじっと見てくる。
えっと……?
あっ、まずお前が名乗れってことかな?そうだよね、私が聞いてるんだから私が名乗るべきか。
私は胸に手を当てて、小さく微笑んだ。
「えっと、私は刹菜と言います」
「…………」
……まだ、この人は話してくれない。
もしかして、怪我があるかどうか確認したかっただけとか……?
でも、名前くらいは知りたいな。
うーんでも、強制的に聞くのはよくないし。
どうしようと頭を悩ませていると、やがてその人はなにを思ったか、ぽつりと名前を呟いてくれた。
「……みどり」
「みどりさん、ですか!じゃあ改めて、助けていただいてありがとうございました、みどりさん」
「刹菜が無事なら、構わない」
みどりさんは淡々とそう告げる。
だけどその声の中にも優しさがあって、敵ではないのだなと実感した。
私のこういう勘はよく当たるのだ。野生の勘ってやつね、ほぼ野宿みたいなとこで寝てたし。
でも、そういえばさっきから、ずっとその野生の勘が私になにかを囁いている気がする。
みどりさんについて、こう、何か……引っかかる。
敵意や悪意がないのはわかる、でも、なにか気になる。
だがその「なにか」の正体を暴くためにみどりさんをじいっと見つめていると、いつの間にか横にいた尊都さんがぐにっと頬を摘んでくる。
「なにひゅるんれふか」
「見過ぎ。見つめるなら俺にしてよ」
「……?」
見つめたのが気に食わないらしい。
でも確かに、客人をじろじろ見るのは失礼か。気をつけないと。
私は尊都さんに頬を引っ張られたまま「ひゃい」と答えた。



