*
「それで」
車に乗り込んでから、私は隣に座る尊都さんに問いかける。
「結局、付き合ってほしいお買い物ってなんなのですか?」
「だから、大事なものだよ。刹菜がいないと買えない、大事な」
「私がいないと……?」
そんなものこの世に存在したのか。
私が持っているのといえば運動神経と「私」という存在だけ。
地位も名誉も金も親も持たない人間。
明日のパンどころか今日の水さえ買うのを躊躇う超絶貧乏なのに。
そして、尊都さんは一向に意図を理解しない私をなぜか面白そうに笑ってくる。
「教えてくれたっていいじゃないですか!」
「誕生日プレゼントだよ。……刹菜のね」
「えっ」
その言葉に、私は固まった。
私の――誕生日、プレゼント?
「誕生日、7月7日でしょ。ロマンチックだね」
「なんで、知って……」
「調べた」
ああ、そうだった……。
お金持ちだけが知ってるスペシャルネットワークがあるんだよね、きっと。わかんないけど。
……それにしても、誕生日プレゼント、か。
プレゼント…………誕生日プレゼント。
そっか、プレゼント。
私、誕生日プレゼントもらっちゃうんだ。
頭が、ようやくそれを理解する。
そして幸せゲージがまた上がって。とっくに限界なんて超えていたそれは、ついに堰を切って流れ出した。
「――……」
「……刹菜?」
嬉しさに目を細めたのと同時に、目に溜まっていた水分は水滴となってこぼれ落ちた。
つ、と頬をつたって私の手の甲に落ちる。
……私は、泣いていた。
「…………嬉しいんです」
「…………」
「私、こんなに恵まれていていいんでしょうか。とっても……今、すっっごく、幸せ……泣いちゃうくらい、嬉しくて」
おかしいな、涙が止まらない。
昔生活がどうしても辛くて泣いたことがあったけど、頬を引っ叩けば引っ込んだのに。
今は、引っ叩く気力すら湧いてこない。
「きっと、刹菜は頑張りすぎたんだよ」
そのとき、私の目に滑らかな素材のハンカチが触れた。
目を擦る私の手は尊都さんに絡め取られ、溢れる涙は一粒一粒上質な布に吸い込まれていく。
「ずっと強いままでいなくていいんだよ。弱くいてもいい」
そう言う尊都さんの声は、寂しそうだったけど優しくて。
なんでそんなに寂しそうな声をするのかが、わからなくて。でも、気遣いが嬉しくて。
私は涙が止まるまで、ずっと尊都さんのハンカチで涙を拭い続けていた。
*
「ハンカチ、ありがとうございました」
「ん。たぶん目は腫れないと思うけど、不安だったら帰った後に冷やすといいよ」
「はい」
誕生日プレゼントを買いに、と言ったくせに、次に行ったのはショッピングモールの中のカフェスペースだった。
せっかくなのでカプチーノをいただきつつ、私は7月7日のことを思い浮かべる。
まさか誕生日プレゼントがもらえるなんて思ってなかったから、びっくりした。
けど落ち着いた後に聞いた話によれば、きっと考えるのには時間が要るだろうから今日じゃなくてもいいそうだ。
今日は欲しいものがないかショッピングモールを歩き回る日。
ちゃんと物色の機会も与えてくれて、嬉しい限りだ。
「そういえば、現時点で欲しいものとかないの?」
「それが、ないんですよ。あまりに部屋に揃いすぎてて」
「ありゃ。もう少し備品減らせばよかったかな」
尊都さんは困ったふうな表情をしつつも声音がいつも通りだ。
誕生日までに満足のいくものを見つけ出してみせる自信でもあるんだろうか。
どうだったとしても、その声音だけで誕生日が楽しみだ。
「じゃあ、好きなものは?小さい頃から愛着のあるものとか」
「うーん……」
それくらいはあるのではと記憶を掘り起こす。
小さい頃のことは、忙しかったからかほぼ覚えていない。
それでも記憶がはっきりしているときの「好きなもの」ねえ……基本いつでもお金なかったし……あ。
「そういえば一つだけ。お金がない私でも無料で楽しめるものがあったのでした」
「なに?」
「星です」
私はこの前まで、明かりの少ない寂れた通りのボロ屋に住んでいた。
あそこは人工の光が他の区画より少ない分、星がちょっとだけ多く見える。
いくら寂しくても、いくらお腹が空いても、いくら寒くても、星だけはずっと変わらなかった。
降り注ぐ星影に照らされながら明日の生活に想いを馳せた夜を、今でも思い出せる。
不安で泣きそうな日も、星がよく慰めてくれた。
――だから。
「私、星が好きです」
「……そうなんだ」
そうだ、それで思いついた。
一つ、欲しいもの、というか。やってみたかったことだ。
「誕生日プレゼント……一つ、とっても我儘ですけど、叶えて欲しいことがあります」
「なに?教えて」
「星を見に行きたいです。どんな光にも邪魔されないような場所に」
この街は明るすぎる。
いつも光がピカピカしていて、空を見上げようにも夜空が広がるのみだ。
私は、夜空一面に広がった星が見たい。
けれどそれを叶えるためには、ちょっと遠くの山まで行かねばならない。
……だから今まで、叶えられなかった願いだ。
「いいよ」
だけど、尊都さんは迷わず頷いた。
「じゃあ七夕――刹菜の誕生日に、2人で星を見に行こうか」
「……やった」
また泣きそうになったのを飲み物を飲んで押し込んで、私は笑みをこぼした。
これ以上泣きたくなかったのもあるけど、今はただ、笑っていたかった。
嬉しさを表現するのは、涙じゃなくて笑顔がいいから。
「尊都さんには、たくさんもらってばっかりですね」
本当に、感謝しかないよ。
何か返せればいいけれど、私にはやっぱりなにもない。
私ができることを尽くすしかない。
今は、それがもどかくてたまらないよ。
――だが。
「俺も刹菜に幸せをもらってるよ」
尊都さんは、そのもどかしささえも許さない。
私に「許す」のは、幸せだけなのだというふうに、負の感情を塗り替えていく。
「毎日が、楽しい」
「……!」
「俺が今までの人生で唯一得られなかったものだよ。それを、刹菜はたった1人で俺に与えたんだ」
「尊都さん……」
「俺にとってはなによりも貴重なんだ。『楽しい』のは、なによりも大切な感情だから」
尊都さんが、今までで得られなかったもの。
そんな「毎日の楽しさ」を、私が与えられたというのか。
退屈に溢れていた尊都さんの日常を、私はなにか少しでも、変えられたかな。
そしてそんな疑問に言外に頷くように、尊都さんは柔らかく微笑んで、続ける。
「最初はただの暇つぶしだったよ、刹菜のこと。だけど今は、ただの暇つぶしやペットじゃなくて――」
「!」
次の瞬間私に向けられた、その夜の海のような紺色の瞳が、あまりにも真摯で驚いてしまった。
「――大切な存在。俺の今の『日常』に欠かせない、俺の大事な一部になってきてる」
尊都さんの一部。
大袈裟な表現ではあるかもしれないけれど、こんなに真剣な人相手にそう思うのは失礼かもしれない、と思ってしまうほど。
それほど、尊都さんは至って真面目だった。
まるで一世一代の大告白をする青年のような顔をして、私にあたたかい言葉を投げてくる。
「……大切な存在」
『お気に入り』『ペット』『暇つぶし』――……
そんな数々の称号をまとめて覆すような言葉だった。
そして同時に、それらの驚きをまとめて塗りつぶすような喜びだった。
「……それじゃあ、私は昇格ですね」
私は照れ隠しと嬉しさで、そうこぼした。
『お気に入り』から『大切な人』へ。
これはワンランクアップってやつだろう。
「っふふ、そうかもね」
そうやって独特の喜び方をする私を、尊都さんはずっと穏やかに見つめていた。
その瞳はたしかに、会った頃と――
誘拐犯を見る凍りつくような視線とは違い、はたまた私のことを『ペット』としか認識していなかったときの目とも違う。
ただただ優しい、慈愛のこもった視線だった。



