「刹菜」
急に手を引っ込めた尊都さんが、とん、と私の唇に人差し指をあてがった。
そして私の隣に腰を降ろして、長らく掃除されていないであろう壁に背中を預ける。
あわわわ、高そうなスーツが!
「尊都さん⁉︎」
「ストップ、刹菜」
びっくりして慌てるけれど、尊都さんは至って冷静。
それどころか、わたわたする私の動きを止めて、同じように隣に座らせた。
……顔は、とっても真剣だ。
「お前らしくないこと考えてるでしょ」
「え……?」
らしくない、こと?
私は言葉の意味が理解できなくて、ぱちぱちと目を瞬かせる。
でも返答がないことに尊都さんは気を悪くせず、少しだけ眉を顰めて私の頭を撫でた。
「例えば、人身売買のこととか。それから自分の落ち度がなかったかとか。うじうじ悩んでたんじゃない?」
「あ、たしかに……」
「やっぱり?さっきから表情が暗い」
尊都さんは人をよく見てるのかも。
私のこんなに小さな表情の変化でさえ、こんなにあっさりと見破ってしまう。
「尊都さんの言うとおりです。私の不出来のせいで尊都さんのお手を煩わせることになってしまいました」
「…………」
「それに、私だけじゃなくて周りの人も街がどんどん危険になって困ってるのに、何もできないのがもどかしくて」
私しかできないようなことじゃなくていい。
他のみんなもできるようなことでいいから、何かしたい。
だけど私は人身売買に関わっている店なんて知らないし、いつ襲ってくるかもわからない。
ただ人の気配に気づけず攫われて、迷惑をかけるだけ。
そうやって尊都さんに迷惑をかけるのが、とっても嫌だ。
自分らしくないのはわかっている。今まで私はとってもポジティブ思考で生きてきたから。
でもそれは、私だけに関することだからできた考え方だ。
他人が関わってくるとなると途端に、怖い。
そんな私の様子を見て、尊都さんは何を思ったか、こつんと指先で私の額をつついてきた。
「……『手を煩わせる』の意味、知ってる?」
「え?それはもちろん、知ってますけど……」
「いーや、わかってないね。俺は刹菜を迎えに来ること、迷惑だとも面倒だとも、ましてや不快だとも思ってないのに」
「!」
それは意外な答え。
でも尊都さんの顔は少しも迷いなんて混じってなくて、反論も遠慮も許さない雰囲気だった。
軽く私の額をつつきながら、尊都さんは私の目を見つめて言う。
「俺は、雇い主の責任でここに来てるんじゃない。俺なりに、刹菜を絶対に失うわけにはいかないって思ったから来たんだよ」
「え……」
「誰かからもう聞いたんじゃない?俺が連れてきた『お気に入り』の人間はお前が初めてだって」
「それは、聞きましたけど……」
「それがどれだけすごいか、わかってないでしょ。俺は、『お気に入り』は大切にするんだよ」
それは、ちょっとだけおかしな形をした慈愛のような気がした。
でも、退屈な人生を歩んできたであろう彼が唯一人生で見出した愛の形が、「お気に入り」なのかもしれない。
恋愛感情ではない、だけど失いたくない。
そんな感情が暇つぶしの道具としてのお気に入りなのか、そうではないのかは私にはわからないけど。
「お前は俺に雇われながら笑って過ごしてて。迷惑だなんて考えないで。次そういうこと考えたらおやつ抜きだからね」
尊都さんが本当に迷惑なんて思ってないんだなって、肌で感じて。
「……わかりました。ありがとうございます!」
私は、それだけでとっても嬉しくなってしまった。
「……ん、わかればいい」
満足そうに笑った尊都さんは、今度こそ立ち上がって私に手を差し伸べる。
最初に手を差し伸べられたときの胸のざわつきは、もうない。
「帰るよ、刹菜」
「はい!」
迷わず尊都さんの手を取って、私は立ち上がった。
んー、なんかすっごくすっきりした。
やっぱり悩みって人に相談することが大事なんだね。
散々「相談してね」と言われてきた人生だけど、こんなに楽になったのは初めてだ。
やっぱり尊都さんの真摯な瞳に説得力があるからかな。
そんなことを考えながら伸びをする。
……すると。



