……屋敷には数十分でついた。



そのあと私は数人の使用人に迎えられつつ、自分の部屋に入って制服から部屋着に着替える。




「…………」




思い返すのは、尊都さんに出会った日。



あのとき尊都さんは、私を売り捌こうとしていた男たちに対してこう言った。




『まあ知ってたけど。それで今回潰しに来たわけだし』




尊都さんが二十代前半だとしてだ。大学生の授業が「やんちゃしている男の人たちを潰すこと」なわけがないよねえ。




「……詮索はしないけど……でも」




人に興味がない尊都さん。あの人の人生は退屈で暇なものだって尊都さんは言ってた。



でもなんか、それだけじゃないような気がするのだ。



これは違和感と呼ぶには小さすぎる、いわば勘だ。



でも野生の勘は侮れない。



私はこの武器で幾度となく窮地を脱してきたのだから。



アルバイトで年齢を詐称しているのがバレそうになっているタイミングを看破するとか、まあ色々。




「力になれればいいけどなあ……」




何せ、今までの人生の半分はアルバイトだった私だ。



成果と報酬は等価交換じゃないと気が済まないのである。




「絶対に力になろう、そうしよう」




そんなことを考えながらすべすべの部屋着を堪能する。



…………それにしてもすべすべだな。なんだこの水面のような滑らかさは。



デザインはフリルが少なく過ごしやすいようになっている。淡い水色がベースのラフなワンピースだ。



どうしてこうも私の好みを正確に当ててくるんだろう。エスパーかな?



尊都さんも野生の勘持ってるのかな?



半野宿みたいな家に住んでた私と違って、尊都さんの生活は明らかに野生ではないような気がするけど。



とまあ、失礼な方向に思考がずれていた、そのときだった。



コンコンコン、と部屋のドアがノックされた。




「はい?」




誰だろうと思って見てみると、目の前に至上の美があった。



ちょっとだけのけぞりそうになりながら、私はしぱしぱと瞬きを繰り返して眩しい美貌を見つめ直した。



…びっ……くりしたあ、いきなり太陽が間近に現れたかと思った。



尊都さんが帰ってきたらしい。時計はまだ午後四時くらいだ。




「おかえりなさい、尊都さん。お疲れさまです」



「ただいま、刹菜。一緒にお茶しようと思ってお茶持ってきたんだけど、入っていい?」



「どうぞ」




ドアを完全に開くと、確かに尊都さんはお茶っ葉を持ってきていた。そういえば私の部屋にティーポットあったんだった。




「帰ってきたとこ?」



「はい。尊都さんは思ったよりおかえりが早いようですが、いつもこんな感じなんですか?」



「んー、いーや。いつもは夜8時くらいかな」



「あらま」




遅いだろうなとは思ってたけど、そんなに遅かったとは。



思った以上のブラックぶりだ。尊都さん忙しいんだなあ……。




「これでも早くなった方だよ。それにこれからは、家にかわいいペットもいるしね」



「それで早く帰って来てくれたんですか?ありがとうございます」





そういうと、尊都さんは驚いたように目を見開いた。



…何か変なことを言ったかな?



ペットって私のことだよね?屋敷に動物はいないみたいだし。



だとしたら私、思ったことをそのまま言っただけなんだけど。




「なに、待ってたの?」



「え、そりゃあ。あなたは私の『ご主人様』でしょう?」




尊都さんと接したりそれでリラックスしてもらったりするのは私の仕事。



尊都さんが早く帰ってきてくれれば私も十分にその役目を果たせる。



労働の機会をちゃんと与えてくれる尊都さんは本当に優しい雇用主だ。



首を傾げて尊都さんの返答を待っていると、ふっと表情を緩めた尊都さんはわしゃわしゃと私の頭を撫でた。




「!」



「かわいー。ペットっていう自覚持ってるんだ」



「じゃあどんな自覚を持ってるとお思いだったんですか?」



「言わなーい」




…………秘密にされて気になるはずなのに、私の思考はそんなところには全く引っ掛からなかった。



……それにしても、と私は思考を切り替える。



尊都さんは、私をよく撫でてくれるな。私の髪汚いに決まってるのに。



そういうの、気にしない人なのかな。



尊都さんが何の躊躇いもなく撫でてくれるとき、たまに私は――まだ数回しか撫でられたことないけど――ほんの一瞬だけ、泣きそうになっちゃう。




「……撫でられるの好き?」



「…………」




答えるのが癪で黙っていると、尊都さんは目元を緩めてまた少しだけ、私を撫でてくれた。



……うん。やっぱり悪くない。



私は撫でられるの、好きなのかもしれない。



黙って受け入れる私に、尊都さんはつぶやく。




「かわいそうに、刹菜」



「かわいそう?」



「うん、かわいそう。だって知ってるでしょ?一般家庭は、刹菜よりずっと幸せだったんだよ」



「……」




これは……私を憐れんでるんだよね、文字通り。「かわいそう」って。



まさかかわいそうって言われるとは思ってなかったから、びっくり。




「……しあわせ」




まあでも、たしかにそれはそうだよね。



撫でられるだけで感激する私の生活が標準だったらそれこそ絶望しかない。



苦しい日々は改善される余地がなく、一生苦しい思いをしていくんだと途方に暮れていたことだろう。



でも、そうじゃなかった。



私は、私のことが「かわいそう」だと思うけど、それで途方に暮れたことなんてない。




「でも尊都さん、私、割と大丈夫でしたよ」



「そうなの?」



「そうです。だって、『これよりもっといい生活がある』って証明されていましたから」




私の生活よりももっと幸せな人たちがたくさんいるってことがわかっていた。



だから私は絶望していなかったのだ。



伸び代があるというのは私にとって希望だから。




「なにも持っていないのは、これからあらゆるものを持てる可能性があるのと同じことです」



「……!」



「尊都さん、私の精神の強さを舐めてもらっては困ります」




……尊都さんだってわかっているはずだ。



何もかも得ているのは、これからなにも得られないのと同じ。



絶望で言ったらそっちのほうが強いだろう。



すべて得てしまうのは、あまりにもつまらない。



だからこそ尊都さんは、未知の存在であろう私を求めたのだろう。



「退屈」な人生の中で、まだ得ていない何かが欲しい――と。




「私はあなたのペットです。尊都さんが私で遊びたいというのなら、とことん付き合いますよ」




私はそう言って、精一杯の笑顔を尊都さんに見せた。




「……ふーん。」




尊都さんはというと、ちょっと見直した、という思考を隠さず出して微笑んだ。