柴でぐるぐる巻きのタルヒさんを連れて、わたしたちは花かずらアパートをあとにした。
だけどわたしは、十六夜堂に着くまで、つねにひやひやだった。
「チカナ。不安そうだな? どうかしたのか」
レンゲが心配そうに、わたしの顔をのぞきこんでくる。
「いや、タルヒさんが誰かに見つかったら、大騒動になるんじゃないかっておもって……」
「心配ない。今日の夕方から一週間は、三日月祭だ。みんな、そっちで忙しいんじゃないか」
「あ、そうか。いろいろあって、忘れてた。だから、ふだんと違って、誰ともすれ違わないんだ」
もう、三日月祭の時期になったんだ……。
今年は、こんなことになっちゃったけど、行けるかな。
レンゲと、三日月祭に行けたりしたら、楽しいだろうなあ。
■
三日月祭は、何百年もこの町で続いているお祭りだ。
テーブルとイスを家の前に出して、ステンドグラスや和紙のランプを道やテーブルの上にかざり、月明りの下で、手作りのお菓子でお茶をしたりして、月に感謝をする。
三日月祭には、とある伝説がある。
昔、可愛がっていた町中の動物がみんな、
流行病にかかり、もう治らないと思われていた。
町中のみんなが涙を流し、どうにか助からないかと、毎晩、美しい月にお願いをしていた。
すると、一匹の猫が不思議なちからで病気が治った。
続けて次々と、町中の動物たちの病は嘘のように消えたのだ。
それから、この町で月に感謝をするお祭りが始まったと言う。
この伝説には、続きがあって、なんでも一番初めに病が治った猫は、その日から両目が紫色になったという。
■
十六夜堂に着いたら、タルヒさんはすぐに、ヤクモとシロツメによって、お店の奥に連行されていっちゃった。
さっき食べ損ねたプリンをレンゲと突いていると、コツコツと革靴の音を立てながら、誰かが店に入ってきた。
「あれ、チカナっち~。レンレンも。無事やったんやねえ」
モクレンが、疲れきったようすで、わたしたちと同じテーブルの席に座った。
手に持っていた、ティーカップのハワイの天然水をぐいっと飲む。
「モクレン。ナズナさまにお仕置きされたって、ほんとう? 大丈夫だったの?」
「……きみらが帰ってくるまで、ずっと説教や」
「そ、それは大変だったね」
空のプリンのカップをスプーンでくるくるしながら、壁にかけられた、レトロな鳩時計を見あげた。
「花かずらアパートから帰ってきて、けっこう経つけど……ヤクモたち、まだタルヒさんから、話を聞いてるのかな」
「いや、もう終わっとったで」
「え? じゃあ、ヤクモたちどうしたんだろう」
モクレンは、慣れた手つきで、ヨモギのキセルを吸い始めた。
ヨモギのいい香りが、店内に漂いはじめる。
「きみらが連れてきた、わるいやつが、店から逃げたらしいで」
「――えっ」
ぷかーっと、ヨモギのけむりを吐き出して、モクレンは続ける。
「いま、ナズナさまが追いかけとる」
「追いかけなきゃ! 行こう、レンゲ!」
レンゲが、「ああ」とうなずく。
「モクレンは行かないの?」
「……ぼくの幻術はまだ、花のでがらしが出てまうからなあ。行きたいのは、ヤマヤマやけどな」
「タンポポとナズナさまが心配じゃないのっ?」
「……そら、心配やけど」
視線を泳がせ、よもぎのケムリをぷかぷか吐き出すモクレン。
「いいから! 行くよ」
「い、いやや。ナズナさまの前でどうどうと恥かくだけやん」
すると、いきなりモクレンのカラダがふわりと宙に浮いた。
レンゲが、モクレンの首根っこを、くいっと持ちあげている。
これじゃあ、モクレンのほうが、猫みたい。
「行くぞ」
「ちょ、離してやっ」
「チカナが、おまえ連れて行くといっている。仕方ないだろう」
「ぼくは、仕方ないとは思ってないけどっ?」
問答無用で、モクレンを肩の上にかつぎあげる、レンゲ。
いや、それ荷物の運び方。
「チカナ、行くぞ」
「うん……。いいのかな、モクレン」
「問題ない」
「ぼくは問題ある!」
モクレンの叫びを、当たり前のように無視するレンゲ。
「急ごう」
タルヒさんを探すため、三日月通りを走る。
通りは、今夜の三日月祭の準備で忙しそうだった。
レンゲに担がれたモクレンが、情けない声で叫ぶ。
「大人しくするから、降ろしてえな!」
「チカナ。おまえが決めてくれ」
「お、おろしてあげたら?」
「わかった」
ゆっくりとモクレンを降ろす、レンゲ。
「チカナっち〜。こいつ、猫やない。犬やで。きみの命令しか聞かんやん」
「め、命令って! そんなことしてないよ」
「飼い主さんには、わからへんのやねえ」
やれやれ、といいたげに息をついたモクレンは、スーツジャケットの内ポケットをまさぐった。
とたん、みるみる顔が青ざめていく。
「……キセル落してもうた。嘘やろ~」
モクレンは、よろよろと近くの石垣に腰をおろした。
「アカギツネ。行くぞ」
「ヨモギを吸わんと元気が出えへん。もうむりや〜」
長い足をじたばたさせながら、ダダをこねるモクレン。
「まったくも〜。モクレンってば、キセルは後でいっしょに探してあげるから……」
「キセルとは、これかのう?」
透き通った女の人の声。
なのに、しゃべり方は、お年寄りみたいで、なんだかふしぎ。
そこには、腰までのびたウェーブがかかった黒髪を右肩から流し、黒いつば広の帽子をかぶった、お姉さんがいた。
オフショルダーの黒いフラワーレースのワンピース、スカートの部分はAラインのフレアーで、フィッシュテールになっている。
コクーンシルエットの、真っ赤なコートを肩にかけていた。
「さっき、キセルを拾うたんじゃが、そなたのかのう」
爪が真っ赤に塗られた手には、ヨモギのかおりがするキセルがにぎられていた。
目を輝かせたモクレンが、お姉さんに駆け寄る。
「ぼ、ぼくのキセル! 拾ってもろうて、すんません」
キセルを受け取りながら、モクレンが頭を下げた。
「おぬし、ヨモギを吸っとるのか?」
「ああ、はい」
「わたしもや。もう何年も吸うとる。他にもな、どんぐりの実に、柿の皮を巻くと、とても香りがええんよ。今度、ためしてみ」
モクレンが、頭をかきながら「はあ」と、うなずいた。
レンゲはさっきから、この女の人をとても警戒しているみたい。
ストールのなかに隠しているシッポが、さか立っているのか、もぞもぞ動いている。
「さて。わたしはこれから、ドジな仲間を探さな。ご無礼するよ」
そういって、お姉さんはお祭りの準備の人混みのなかへと消えて行ってしまった。
お姉さんがいなくなったと同時に、レンゲは、ようやく警戒を解いたみたい。
「レンゲ。ずっと怖い顔してたね。どうしたの?」
「――彼女からするにおい、人間のにおいじゃなかった」
「……え?」
「アカギツネ。おまえ、なぜ彼女のにおいに気づかない? それでも、キノ・キランか」
レンゲの質問に、モクレンは居心地わるそうに答えた。
「あ~。それは……ぼくがキセルを吸ってるからやねえ」
レンゲがあきれたようすで、息を吐いた。
「キセルの煙で、万年鼻の効きがわるい、とでもいうつもりか」
「あはは……それで、いつもナズナさまに説教されてんねん」
モクレンのキセル愛に、わたしは首を傾げる。
「そんなにヨモギがすきなら、ヨモギモチでもいいんじゃないの?」
「もちろん、ヨモギモチもすきやで? でも、キセルで吸うヨモギのほうがええんよな~」
これは、モクレンにキセルを辞めさせることは、むずかしそう。
「レンゲ。さっきいってたのことだけど……」
レンゲが「ああ」と、あごをさする。
「彼女は、人間じゃない。なんのキノ・キランのにおいだとおもう」
「レンゲがわからないにおいの、キノ・キランなんているの?」
「たぶん、正体がバレないよう、何かでにおいをごまかしているんだろう。そんなに正体がバレたくないのかと、気にはなるがな……」
いうと、モクレンが冗談っぽく、ケタケタ笑う。
「ハハ。もしかして、さっきのが『ウキネさま』だったりしてなあ」
「うそっ。お……追いかけたほうがいいかなっ?」
「チカナ。考えなしに、走り出すもんじゃない。おれが、守り切れなくなる」
いまにも走り出そうとしていた、わたしの腕を掴み、レンゲの胸に引き寄せられてしまう。
そうだね。レンゲのいう通りだ。
それにしても、さっきの女の人、どこかナズナさまに似た雰囲気だったな。
キノ・キランの最長老・十六夜堂のナズナさま。
それと、キノ・キランを捕まえている組織・霜月の宿の……ウキネ。
あの女の人、また会うことがあるのかな。
「いまは……タルヒさんを探そう! 行こう、レンゲ!」
「ああ」
「モクレンも、行くよ!」
走り出したわたしたちを、モクレンがだるそうに追いかけてきた。
■
三日月通りをぬけ、夕方が近づくにつれ、お祭り準備の騒々しさはなくなった。
ここから先は、下弦の森へと繋がっていく。
「タルヒさん。ほんとうにこの先にいるの?」
「蓮の花のにおいが、この先に続いている。シバイヌほどじゃなくても、このくらいなら嗅ぎ分けられる」
淡々というレンゲに、モクレンが苦いものでも嚙み潰したかのような顔をする。
さっきのキセルの煙のことを皮肉られたのかとおもったみたい。
たぶん、レンゲはそんなつもりないとおもうんだけど、タイミングがわるかったかな。
下弦の森には、小学校のころによく遊びに来た。
春には、花のかんむりや草ずもう。
夏にはカブトムシやクワガタ。
秋にはどんぐりやマツボックリ。
冬は雪玉で、雪がっせん……懐かしいなあ。
思い出に浸っていると、モクレンが自信満々の顔で、前に進み出てきた。
「ここは、ぼくの庭や! 道案内は任せてや」
「モクレン、下弦の森に遊びに来たことがあるの?」
「何いうてんねん。ぼくは、下弦の森を隅から隅まで、歩きつくしとる。すべての道の地図が頭んなかに入っとるで」
「ええ! すごいじゃん。そんなに長いあいだ、ここで過ごしたことがあるんだ?」
「おん。キノ・キランになる前は、ここで暮らしとったからな」
そのとき、モクレンの表情に一瞬、寂しそうな影がおりた。
「……モクレン?」
「……さあ、ぼくのあとに着いて来てくれ」
気づいたら、いつもの飄々としたモクレンに戻っていた。
さっきの、気のせいだったのかな。
持っていたキセルを、スーツジャケットの内ポケットにしまうと、モクレンは意気揚々と歩き出した。
レンゲが、わたしを気遣うように、促した。
「チカナ。今は、先に進もう」
「あ……うん」
太陽は、少しずつ沈んでいっている。
じょじょに、タルヒさんじゃなくても、違う幽霊が出そうな空気が、森の奥から漂っている。
わたしは、よけいなことは考えないように、かぶりをふる。
レンゲのふさふさのしっぽを見ながら、下弦の森へと、一歩を踏み出した。
だけどわたしは、十六夜堂に着くまで、つねにひやひやだった。
「チカナ。不安そうだな? どうかしたのか」
レンゲが心配そうに、わたしの顔をのぞきこんでくる。
「いや、タルヒさんが誰かに見つかったら、大騒動になるんじゃないかっておもって……」
「心配ない。今日の夕方から一週間は、三日月祭だ。みんな、そっちで忙しいんじゃないか」
「あ、そうか。いろいろあって、忘れてた。だから、ふだんと違って、誰ともすれ違わないんだ」
もう、三日月祭の時期になったんだ……。
今年は、こんなことになっちゃったけど、行けるかな。
レンゲと、三日月祭に行けたりしたら、楽しいだろうなあ。
■
三日月祭は、何百年もこの町で続いているお祭りだ。
テーブルとイスを家の前に出して、ステンドグラスや和紙のランプを道やテーブルの上にかざり、月明りの下で、手作りのお菓子でお茶をしたりして、月に感謝をする。
三日月祭には、とある伝説がある。
昔、可愛がっていた町中の動物がみんな、
流行病にかかり、もう治らないと思われていた。
町中のみんなが涙を流し、どうにか助からないかと、毎晩、美しい月にお願いをしていた。
すると、一匹の猫が不思議なちからで病気が治った。
続けて次々と、町中の動物たちの病は嘘のように消えたのだ。
それから、この町で月に感謝をするお祭りが始まったと言う。
この伝説には、続きがあって、なんでも一番初めに病が治った猫は、その日から両目が紫色になったという。
■
十六夜堂に着いたら、タルヒさんはすぐに、ヤクモとシロツメによって、お店の奥に連行されていっちゃった。
さっき食べ損ねたプリンをレンゲと突いていると、コツコツと革靴の音を立てながら、誰かが店に入ってきた。
「あれ、チカナっち~。レンレンも。無事やったんやねえ」
モクレンが、疲れきったようすで、わたしたちと同じテーブルの席に座った。
手に持っていた、ティーカップのハワイの天然水をぐいっと飲む。
「モクレン。ナズナさまにお仕置きされたって、ほんとう? 大丈夫だったの?」
「……きみらが帰ってくるまで、ずっと説教や」
「そ、それは大変だったね」
空のプリンのカップをスプーンでくるくるしながら、壁にかけられた、レトロな鳩時計を見あげた。
「花かずらアパートから帰ってきて、けっこう経つけど……ヤクモたち、まだタルヒさんから、話を聞いてるのかな」
「いや、もう終わっとったで」
「え? じゃあ、ヤクモたちどうしたんだろう」
モクレンは、慣れた手つきで、ヨモギのキセルを吸い始めた。
ヨモギのいい香りが、店内に漂いはじめる。
「きみらが連れてきた、わるいやつが、店から逃げたらしいで」
「――えっ」
ぷかーっと、ヨモギのけむりを吐き出して、モクレンは続ける。
「いま、ナズナさまが追いかけとる」
「追いかけなきゃ! 行こう、レンゲ!」
レンゲが、「ああ」とうなずく。
「モクレンは行かないの?」
「……ぼくの幻術はまだ、花のでがらしが出てまうからなあ。行きたいのは、ヤマヤマやけどな」
「タンポポとナズナさまが心配じゃないのっ?」
「……そら、心配やけど」
視線を泳がせ、よもぎのケムリをぷかぷか吐き出すモクレン。
「いいから! 行くよ」
「い、いやや。ナズナさまの前でどうどうと恥かくだけやん」
すると、いきなりモクレンのカラダがふわりと宙に浮いた。
レンゲが、モクレンの首根っこを、くいっと持ちあげている。
これじゃあ、モクレンのほうが、猫みたい。
「行くぞ」
「ちょ、離してやっ」
「チカナが、おまえ連れて行くといっている。仕方ないだろう」
「ぼくは、仕方ないとは思ってないけどっ?」
問答無用で、モクレンを肩の上にかつぎあげる、レンゲ。
いや、それ荷物の運び方。
「チカナ、行くぞ」
「うん……。いいのかな、モクレン」
「問題ない」
「ぼくは問題ある!」
モクレンの叫びを、当たり前のように無視するレンゲ。
「急ごう」
タルヒさんを探すため、三日月通りを走る。
通りは、今夜の三日月祭の準備で忙しそうだった。
レンゲに担がれたモクレンが、情けない声で叫ぶ。
「大人しくするから、降ろしてえな!」
「チカナ。おまえが決めてくれ」
「お、おろしてあげたら?」
「わかった」
ゆっくりとモクレンを降ろす、レンゲ。
「チカナっち〜。こいつ、猫やない。犬やで。きみの命令しか聞かんやん」
「め、命令って! そんなことしてないよ」
「飼い主さんには、わからへんのやねえ」
やれやれ、といいたげに息をついたモクレンは、スーツジャケットの内ポケットをまさぐった。
とたん、みるみる顔が青ざめていく。
「……キセル落してもうた。嘘やろ~」
モクレンは、よろよろと近くの石垣に腰をおろした。
「アカギツネ。行くぞ」
「ヨモギを吸わんと元気が出えへん。もうむりや〜」
長い足をじたばたさせながら、ダダをこねるモクレン。
「まったくも〜。モクレンってば、キセルは後でいっしょに探してあげるから……」
「キセルとは、これかのう?」
透き通った女の人の声。
なのに、しゃべり方は、お年寄りみたいで、なんだかふしぎ。
そこには、腰までのびたウェーブがかかった黒髪を右肩から流し、黒いつば広の帽子をかぶった、お姉さんがいた。
オフショルダーの黒いフラワーレースのワンピース、スカートの部分はAラインのフレアーで、フィッシュテールになっている。
コクーンシルエットの、真っ赤なコートを肩にかけていた。
「さっき、キセルを拾うたんじゃが、そなたのかのう」
爪が真っ赤に塗られた手には、ヨモギのかおりがするキセルがにぎられていた。
目を輝かせたモクレンが、お姉さんに駆け寄る。
「ぼ、ぼくのキセル! 拾ってもろうて、すんません」
キセルを受け取りながら、モクレンが頭を下げた。
「おぬし、ヨモギを吸っとるのか?」
「ああ、はい」
「わたしもや。もう何年も吸うとる。他にもな、どんぐりの実に、柿の皮を巻くと、とても香りがええんよ。今度、ためしてみ」
モクレンが、頭をかきながら「はあ」と、うなずいた。
レンゲはさっきから、この女の人をとても警戒しているみたい。
ストールのなかに隠しているシッポが、さか立っているのか、もぞもぞ動いている。
「さて。わたしはこれから、ドジな仲間を探さな。ご無礼するよ」
そういって、お姉さんはお祭りの準備の人混みのなかへと消えて行ってしまった。
お姉さんがいなくなったと同時に、レンゲは、ようやく警戒を解いたみたい。
「レンゲ。ずっと怖い顔してたね。どうしたの?」
「――彼女からするにおい、人間のにおいじゃなかった」
「……え?」
「アカギツネ。おまえ、なぜ彼女のにおいに気づかない? それでも、キノ・キランか」
レンゲの質問に、モクレンは居心地わるそうに答えた。
「あ~。それは……ぼくがキセルを吸ってるからやねえ」
レンゲがあきれたようすで、息を吐いた。
「キセルの煙で、万年鼻の効きがわるい、とでもいうつもりか」
「あはは……それで、いつもナズナさまに説教されてんねん」
モクレンのキセル愛に、わたしは首を傾げる。
「そんなにヨモギがすきなら、ヨモギモチでもいいんじゃないの?」
「もちろん、ヨモギモチもすきやで? でも、キセルで吸うヨモギのほうがええんよな~」
これは、モクレンにキセルを辞めさせることは、むずかしそう。
「レンゲ。さっきいってたのことだけど……」
レンゲが「ああ」と、あごをさする。
「彼女は、人間じゃない。なんのキノ・キランのにおいだとおもう」
「レンゲがわからないにおいの、キノ・キランなんているの?」
「たぶん、正体がバレないよう、何かでにおいをごまかしているんだろう。そんなに正体がバレたくないのかと、気にはなるがな……」
いうと、モクレンが冗談っぽく、ケタケタ笑う。
「ハハ。もしかして、さっきのが『ウキネさま』だったりしてなあ」
「うそっ。お……追いかけたほうがいいかなっ?」
「チカナ。考えなしに、走り出すもんじゃない。おれが、守り切れなくなる」
いまにも走り出そうとしていた、わたしの腕を掴み、レンゲの胸に引き寄せられてしまう。
そうだね。レンゲのいう通りだ。
それにしても、さっきの女の人、どこかナズナさまに似た雰囲気だったな。
キノ・キランの最長老・十六夜堂のナズナさま。
それと、キノ・キランを捕まえている組織・霜月の宿の……ウキネ。
あの女の人、また会うことがあるのかな。
「いまは……タルヒさんを探そう! 行こう、レンゲ!」
「ああ」
「モクレンも、行くよ!」
走り出したわたしたちを、モクレンがだるそうに追いかけてきた。
■
三日月通りをぬけ、夕方が近づくにつれ、お祭り準備の騒々しさはなくなった。
ここから先は、下弦の森へと繋がっていく。
「タルヒさん。ほんとうにこの先にいるの?」
「蓮の花のにおいが、この先に続いている。シバイヌほどじゃなくても、このくらいなら嗅ぎ分けられる」
淡々というレンゲに、モクレンが苦いものでも嚙み潰したかのような顔をする。
さっきのキセルの煙のことを皮肉られたのかとおもったみたい。
たぶん、レンゲはそんなつもりないとおもうんだけど、タイミングがわるかったかな。
下弦の森には、小学校のころによく遊びに来た。
春には、花のかんむりや草ずもう。
夏にはカブトムシやクワガタ。
秋にはどんぐりやマツボックリ。
冬は雪玉で、雪がっせん……懐かしいなあ。
思い出に浸っていると、モクレンが自信満々の顔で、前に進み出てきた。
「ここは、ぼくの庭や! 道案内は任せてや」
「モクレン、下弦の森に遊びに来たことがあるの?」
「何いうてんねん。ぼくは、下弦の森を隅から隅まで、歩きつくしとる。すべての道の地図が頭んなかに入っとるで」
「ええ! すごいじゃん。そんなに長いあいだ、ここで過ごしたことがあるんだ?」
「おん。キノ・キランになる前は、ここで暮らしとったからな」
そのとき、モクレンの表情に一瞬、寂しそうな影がおりた。
「……モクレン?」
「……さあ、ぼくのあとに着いて来てくれ」
気づいたら、いつもの飄々としたモクレンに戻っていた。
さっきの、気のせいだったのかな。
持っていたキセルを、スーツジャケットの内ポケットにしまうと、モクレンは意気揚々と歩き出した。
レンゲが、わたしを気遣うように、促した。
「チカナ。今は、先に進もう」
「あ……うん」
太陽は、少しずつ沈んでいっている。
じょじょに、タルヒさんじゃなくても、違う幽霊が出そうな空気が、森の奥から漂っている。
わたしは、よけいなことは考えないように、かぶりをふる。
レンゲのふさふさのしっぽを見ながら、下弦の森へと、一歩を踏み出した。



