飛び上がったレンゲが、相手の影に、右腕をふりあげた。
するどい爪を、おみまいする。
しかし、相手は後ろへと飛びのき、クルンと華麗に、地面へ着地した。
すごい。まるで映画みたいなアクションだよ。
どちらの運動神経も、すごすぎる!
これが、さっきレンゲがいっていた、キノ・なんとかのちからなのかな。
「チカナ! 動くな!」
ビクリと背中を震わせ、顔をあげると、太い木の枝が、わたし目がけて飛んでくるのが見えた。
瞬間、光のはやさで、レンゲが飛んできた。
わたしの下に膝をついているすがたが、まるで騎士みたいで、かっこいい。
なんて思っていると、立ちあがったレンゲに、わたしは腰をすくいあげられ、気づいたら、お姫さま抱っこをされてしまっていた。
「――ったく。出てくるなっていっただろ」
近くで見ても、これがレンゲだなんて、まだ信じられない。
整った顔立ちはまるでモデルみたいだし、わたしよりも頭ひとつ分、高い身長は少し筋肉がついている。
欠けた月みたいなふしぎな光を帯びた瞳は宝石みたい。
でも、肩まで伸びた、ふんわりとした紫色の髪の毛は間違いなく、レンゲのもの。
何より、頭のうえの三角耳に、腰の少し下あたりから生えている、しっぽ。
この人が、人間じゃない証拠だ。
「レンゲ、あのドロボウ……知り合い?」
「おれに、ドロボウの知り合いなんて、いるとおもうか? ククル・キノなのは、間違いないがな」
「また、『キノ』……。さっきからいってる、それってなんなの?」
レンゲは、数棟離れた喫茶店の屋根に、わたしをそっとおろした。
「わるいが、今は説明している時間が――」
「いいじゃん。いってあげれば」
さっきの、クルンとしたしっぽの相手が、わたしたちの前に降り立った。
「チカナちゃんに説明してあげなよ」
「おまえ……どうして、チカナの名を」
レンゲが、わたしを自分の後ろに隠してくれる。
そのしっぽが、大きく膨らんでいた。
欠けた月みたいな瞳も、瞳孔が開いていて、するどくなっている。
これ、猫のすがたのときのレンゲが、相手を警戒しているときの仕草そっくり。
「チカナちゃん。ぼくのこと、わかんない? このしっぽ、見覚えない?」
「しっぽ……」
「ぼく、シバイヌのキノ・キランなんだ」
シバイヌ……?
たしかに、あのクルンとしたしっぽは、シバイヌのしっぽだ。
彼の頭のうえの耳も、こんがり焼けたトーストみたいな色をした、やわらかそうな三角耳。
猫が人間のすがたになった、キノ・キラン……それの、シバイヌ。
それにこの、のんびりとした雰囲気は、どこかで会ったことがあるような――。
「もしかして、シロツメだったりする……?」
「ピンポーン!」
「ええっ? う、うそ――シロツメも、人間のすがたにッ?」
八重歯を見せて笑う、シロツメ。
ぶんぶんとしっぽを振って喜んでいるところを見ると、ヤクモの家に行ったときのことを思い出す。
シロツメって、頭をなでてあげたら、いつもこんなふうに、喜んでくれるんだよな。
でも、レンゲが人間のすがたになっただけでも、まだ夢のなかにいる気持ちなのに、まさかシロツメまで……。
いったい、何が起きてるんだろう。
「チカナ。油断するな。こいつは昨日も、おれたちの家に忍びこんでいた」
「シロツメがっ?」
信じられない気持ちでシロツメを見ると、あのとろけるような笑顔で、ほほ笑んでいる。
「ヤクモ。ぼく、チカナちゃんに、めっちゃ警戒されちゃった。かなしいよ~」
聞こえた名前に、ドクンと心臓が跳ねる。
シロツメの視線を追って、屋根の下をのぞきこんだ。
レンゲが、落ちないように腰をささえてくれる。
探すと、わたしの家の前の道路にヤクモがいて、手をひらひらと振り、こちらを見あげていた。
「へ? へ? なんでヤクモまで、ここに……」
もう頭のなかは真っ白で、パニック状態。
そんなわたしを気遣ってか、レンゲがわたしの頭にやさしく手を乗せ、「ふう」と息をついた。
「シバイヌ」
「はいはーい」
「おまえのマスターを連れてこい。場所を変えるぞ」
「そうだね。ここじゃあ、ゆっくり話もできないし」
するとレンゲは、またわたしを横抱きにして、屋根から夜空に向かって、飛びあがった。
屋根から屋根へ、次々と、音もなく、レンゲは夜の空気を駆けぬけていく。
丸い月が、ぽっかりと空に浮かんでいる。
月の光と、レンゲの宝石みたいな瞳の色が混じりあい、きらきらと光っている。
まだまだ混乱したままなのに、わたしはなんとなく、おもった。
今日のこの夜を、わたしは一生、忘れないんだろうなあって。
■
やっと、レンゲがわたしを降ろしてくれたのは、あまりにも見慣れた場所だった。
三日月中学校。わたしとヤクモが通っている学校の、屋上だ。
すぐに、シロツメとヤクモもやってきた。
いまだに、レンゲは警戒を解いていないようで、わたしを自分の後ろにやり、するどい目を相手に向けている。
「シロツメとか、いったか。なぜ、ここ最近、おれたちの家に忍びこんでいた?」
ギロッと、するどい猫目をシロツメに向ける、レンゲ。
しかし、のんびり屋のシロツメには、まったく効果がないみたいだ。
「ぼくとヤクモは、キノ・キランになる可能性がある動物たちを探して、『保護』してるんだ~」
「……何?」
レンゲが、あっけにとられたように声をあげた。
「どういうことだ?」
「最近、キノ・キランが行方不明になる事件が多発してるんだよ。ね? ヤクモ」
シロツメの言葉に、ヤクモが補足するように続けた。
「そうだな。でもいまは、『キノ・キランを捕まえ、何かしらを企んでいる組織』が存在している――というところまでしか、わかっていない段階だ」
キノ・キラン。組織。何かを企んでいる。
わたしの想像もつかないことが、ヤクモたちのあいだで起こっているんだ。
いやでも、いまのわたしには、それよりも聞きたいことがあるんだよ。
「キノ・キランって、なんなのっ?」
「――『月の祝福を受けた動物たち』。おれたちは、そう聞いてる」
ヤクモが、空に浮かぶ月を見あげた。
「祝福を受けた動物たちは、満月の夜に、その瞳が紫に光る。するとキノ・キランのちからが目覚め、人に変身できるようになるようだ」
わたしは、昨夜のことを思い出し、ハッとした。
「そういえば、昨日は満月だった。だから、レンゲは人のすがたになれたんだね」
あらためて嬉しくなったわたしは、思わずレンゲに抱きついた。
すると、いつものように、レンゲの喉がごろごろと鳴る。
やっぱりレンゲは、間違いなく、うちのかわいいメインクーンのままだ。
ヤクモが、ほほ笑ましそうに目を細めた。
「チカナは、レンゲが大好きなんだな」
「うん。大切な家族だもん」
それを聞いたヤクモは、わたしに向かって、なぜか頭を下げた。
「ごめんな」
「や、ヤクモ。どうしたの?」
「おまえの家に、シロツメを偵察に行かせていたこと。おまえのレンゲが、キノ・キランになろうとしているとわかったとき、おれは……心配だったんだ。キノ・キランになったレンゲのことを、おまえが怖がるかもしれないって。そういう人間が、これまでにもたくさんいたから。そうなったら、おれたちは、おまえに見つからないよう、すぐにレンゲを保護するつもりだった」
「そういう、ことだったんだ……」
ヤクモとシロツメの目的がわかって、わたしは全部が腑に落ちた。
たしかに、キノ・キランになった動物を見たら、怖がる人もいるのかもしれない。
でも、わたしには、そんな考え、一ミリも浮かばなかった。
ヤクモも、口元をゆるめて、そのときのことを思い出すようにいった。
「まあ、心配にはおよばなかったみたいだけどな。試すような真似をして、本当にごめん。チカナ、レンゲ」
「どんなすがたになっても、レンゲはレンゲだもん。怖がるなんて、ありえないよ」
わたしが笑ってそういうと、ヤクモの目がキランと光る。
真面目な顔をして、ぐいっと、こちらにつめよってきた。
「安心した。やっぱりチカナは、キノ・キランの『マスター』にふさわしいよ」
「ま、マスターって、どういうこと?」
「キノ・キランには、パートナーがいることが多い。パートナーがいることで、キノ・キランのちからは、より増すといわれている。おれは、シロツメのマスター。チカナは、レンゲのマスターだ」
ニコッとほほ笑む、ヤクモ。
するとレンゲが、わたしの肩を抱き、ヤクモに向かって「フシャー」と威嚇の声をあげている。
だが、そんなことはお構いなしに、ヤクモはわたしに、やわらかな仕草で手を差し伸べてきた。
「チカナ。おれといっしょに、十六夜堂に来てくれないか?」
「……いざよい、どう?」
「ああ。おれたちの、仲間になってほしい」
するどい爪を、おみまいする。
しかし、相手は後ろへと飛びのき、クルンと華麗に、地面へ着地した。
すごい。まるで映画みたいなアクションだよ。
どちらの運動神経も、すごすぎる!
これが、さっきレンゲがいっていた、キノ・なんとかのちからなのかな。
「チカナ! 動くな!」
ビクリと背中を震わせ、顔をあげると、太い木の枝が、わたし目がけて飛んでくるのが見えた。
瞬間、光のはやさで、レンゲが飛んできた。
わたしの下に膝をついているすがたが、まるで騎士みたいで、かっこいい。
なんて思っていると、立ちあがったレンゲに、わたしは腰をすくいあげられ、気づいたら、お姫さま抱っこをされてしまっていた。
「――ったく。出てくるなっていっただろ」
近くで見ても、これがレンゲだなんて、まだ信じられない。
整った顔立ちはまるでモデルみたいだし、わたしよりも頭ひとつ分、高い身長は少し筋肉がついている。
欠けた月みたいなふしぎな光を帯びた瞳は宝石みたい。
でも、肩まで伸びた、ふんわりとした紫色の髪の毛は間違いなく、レンゲのもの。
何より、頭のうえの三角耳に、腰の少し下あたりから生えている、しっぽ。
この人が、人間じゃない証拠だ。
「レンゲ、あのドロボウ……知り合い?」
「おれに、ドロボウの知り合いなんて、いるとおもうか? ククル・キノなのは、間違いないがな」
「また、『キノ』……。さっきからいってる、それってなんなの?」
レンゲは、数棟離れた喫茶店の屋根に、わたしをそっとおろした。
「わるいが、今は説明している時間が――」
「いいじゃん。いってあげれば」
さっきの、クルンとしたしっぽの相手が、わたしたちの前に降り立った。
「チカナちゃんに説明してあげなよ」
「おまえ……どうして、チカナの名を」
レンゲが、わたしを自分の後ろに隠してくれる。
そのしっぽが、大きく膨らんでいた。
欠けた月みたいな瞳も、瞳孔が開いていて、するどくなっている。
これ、猫のすがたのときのレンゲが、相手を警戒しているときの仕草そっくり。
「チカナちゃん。ぼくのこと、わかんない? このしっぽ、見覚えない?」
「しっぽ……」
「ぼく、シバイヌのキノ・キランなんだ」
シバイヌ……?
たしかに、あのクルンとしたしっぽは、シバイヌのしっぽだ。
彼の頭のうえの耳も、こんがり焼けたトーストみたいな色をした、やわらかそうな三角耳。
猫が人間のすがたになった、キノ・キラン……それの、シバイヌ。
それにこの、のんびりとした雰囲気は、どこかで会ったことがあるような――。
「もしかして、シロツメだったりする……?」
「ピンポーン!」
「ええっ? う、うそ――シロツメも、人間のすがたにッ?」
八重歯を見せて笑う、シロツメ。
ぶんぶんとしっぽを振って喜んでいるところを見ると、ヤクモの家に行ったときのことを思い出す。
シロツメって、頭をなでてあげたら、いつもこんなふうに、喜んでくれるんだよな。
でも、レンゲが人間のすがたになっただけでも、まだ夢のなかにいる気持ちなのに、まさかシロツメまで……。
いったい、何が起きてるんだろう。
「チカナ。油断するな。こいつは昨日も、おれたちの家に忍びこんでいた」
「シロツメがっ?」
信じられない気持ちでシロツメを見ると、あのとろけるような笑顔で、ほほ笑んでいる。
「ヤクモ。ぼく、チカナちゃんに、めっちゃ警戒されちゃった。かなしいよ~」
聞こえた名前に、ドクンと心臓が跳ねる。
シロツメの視線を追って、屋根の下をのぞきこんだ。
レンゲが、落ちないように腰をささえてくれる。
探すと、わたしの家の前の道路にヤクモがいて、手をひらひらと振り、こちらを見あげていた。
「へ? へ? なんでヤクモまで、ここに……」
もう頭のなかは真っ白で、パニック状態。
そんなわたしを気遣ってか、レンゲがわたしの頭にやさしく手を乗せ、「ふう」と息をついた。
「シバイヌ」
「はいはーい」
「おまえのマスターを連れてこい。場所を変えるぞ」
「そうだね。ここじゃあ、ゆっくり話もできないし」
するとレンゲは、またわたしを横抱きにして、屋根から夜空に向かって、飛びあがった。
屋根から屋根へ、次々と、音もなく、レンゲは夜の空気を駆けぬけていく。
丸い月が、ぽっかりと空に浮かんでいる。
月の光と、レンゲの宝石みたいな瞳の色が混じりあい、きらきらと光っている。
まだまだ混乱したままなのに、わたしはなんとなく、おもった。
今日のこの夜を、わたしは一生、忘れないんだろうなあって。
■
やっと、レンゲがわたしを降ろしてくれたのは、あまりにも見慣れた場所だった。
三日月中学校。わたしとヤクモが通っている学校の、屋上だ。
すぐに、シロツメとヤクモもやってきた。
いまだに、レンゲは警戒を解いていないようで、わたしを自分の後ろにやり、するどい目を相手に向けている。
「シロツメとか、いったか。なぜ、ここ最近、おれたちの家に忍びこんでいた?」
ギロッと、するどい猫目をシロツメに向ける、レンゲ。
しかし、のんびり屋のシロツメには、まったく効果がないみたいだ。
「ぼくとヤクモは、キノ・キランになる可能性がある動物たちを探して、『保護』してるんだ~」
「……何?」
レンゲが、あっけにとられたように声をあげた。
「どういうことだ?」
「最近、キノ・キランが行方不明になる事件が多発してるんだよ。ね? ヤクモ」
シロツメの言葉に、ヤクモが補足するように続けた。
「そうだな。でもいまは、『キノ・キランを捕まえ、何かしらを企んでいる組織』が存在している――というところまでしか、わかっていない段階だ」
キノ・キラン。組織。何かを企んでいる。
わたしの想像もつかないことが、ヤクモたちのあいだで起こっているんだ。
いやでも、いまのわたしには、それよりも聞きたいことがあるんだよ。
「キノ・キランって、なんなのっ?」
「――『月の祝福を受けた動物たち』。おれたちは、そう聞いてる」
ヤクモが、空に浮かぶ月を見あげた。
「祝福を受けた動物たちは、満月の夜に、その瞳が紫に光る。するとキノ・キランのちからが目覚め、人に変身できるようになるようだ」
わたしは、昨夜のことを思い出し、ハッとした。
「そういえば、昨日は満月だった。だから、レンゲは人のすがたになれたんだね」
あらためて嬉しくなったわたしは、思わずレンゲに抱きついた。
すると、いつものように、レンゲの喉がごろごろと鳴る。
やっぱりレンゲは、間違いなく、うちのかわいいメインクーンのままだ。
ヤクモが、ほほ笑ましそうに目を細めた。
「チカナは、レンゲが大好きなんだな」
「うん。大切な家族だもん」
それを聞いたヤクモは、わたしに向かって、なぜか頭を下げた。
「ごめんな」
「や、ヤクモ。どうしたの?」
「おまえの家に、シロツメを偵察に行かせていたこと。おまえのレンゲが、キノ・キランになろうとしているとわかったとき、おれは……心配だったんだ。キノ・キランになったレンゲのことを、おまえが怖がるかもしれないって。そういう人間が、これまでにもたくさんいたから。そうなったら、おれたちは、おまえに見つからないよう、すぐにレンゲを保護するつもりだった」
「そういう、ことだったんだ……」
ヤクモとシロツメの目的がわかって、わたしは全部が腑に落ちた。
たしかに、キノ・キランになった動物を見たら、怖がる人もいるのかもしれない。
でも、わたしには、そんな考え、一ミリも浮かばなかった。
ヤクモも、口元をゆるめて、そのときのことを思い出すようにいった。
「まあ、心配にはおよばなかったみたいだけどな。試すような真似をして、本当にごめん。チカナ、レンゲ」
「どんなすがたになっても、レンゲはレンゲだもん。怖がるなんて、ありえないよ」
わたしが笑ってそういうと、ヤクモの目がキランと光る。
真面目な顔をして、ぐいっと、こちらにつめよってきた。
「安心した。やっぱりチカナは、キノ・キランの『マスター』にふさわしいよ」
「ま、マスターって、どういうこと?」
「キノ・キランには、パートナーがいることが多い。パートナーがいることで、キノ・キランのちからは、より増すといわれている。おれは、シロツメのマスター。チカナは、レンゲのマスターだ」
ニコッとほほ笑む、ヤクモ。
するとレンゲが、わたしの肩を抱き、ヤクモに向かって「フシャー」と威嚇の声をあげている。
だが、そんなことはお構いなしに、ヤクモはわたしに、やわらかな仕草で手を差し伸べてきた。
「チカナ。おれといっしょに、十六夜堂に来てくれないか?」
「……いざよい、どう?」
「ああ。おれたちの、仲間になってほしい」



