「おい、おまえ」
レンゲが、低く唸るように呼ぶ。
「お前が今いったのは……赤いヤギの名前か?」
するとツララさんは、目玉が飛び出るくらいにギョッとむき出しにした。
「なぜ知っている……おれの赤いヤギを」
モクレンが、浮かんでいるツララさんへと説明する。
「ここにいる全員、あの赤いヤギには世話になっとるからなあ」
「……どういうことだ?」
「まずは、おまえのことを教えてくれないか。どうして、霜月の宿のいうことに従っているのか」
ヤクモの真剣なまなざしに、ツララさんはふよふよと降りて来て、わたしたちの前でゆらゆらと揺れだした。
完全に、戦意は喪失しているみたい。
「ヤドリギは……おれが飼っていたヤギだ」
「ツララさんのヤギだった……? それって、ヤドリギがキノ・キランになる前のことか?」
ヤクモの質問に、ツララさんは「ああ」と短く答えた。
「白いヤギじゃないヤドリギは、仲間のヤギから気味悪がられていた。最終的には、仲間はずれにされ……ヤドリギはいつも、さみしそうな顔をしていた」
ヤドリギさんに、そんな過去があったなんて、知らなかった。
いつも、あんなに元気そうなヤドリギさんだから、驚いてしまう。
「おれはヤドリギが、どうにかして仲間のヤギと打ち解けられないか、考えた。そして、金さえあれば――ヤドリギの体毛を白くしてくれる誰かが見つかるかもしれないと思ったんだ」
ツララさんは、自分の手を固く握りしめていた。
そのときのことを思い出している顔は、とても辛そうだった。
「色んなところへ金を貸してくれ、と頼みに回っているうちに、おれは事故にあい、死んでしまったらしい。でも、未練があるまま死んだから、成仏もできないでいた。そこへ、霜月の宿のキノ・キランから、声をかけられたんだ。キノ・キランの情報を集めろ、と」
ツララさんは、わたしたちをぐるりと見渡し、まなざしを強くする。
「キノ・キランの情報を集めれば、金がもらえる。捕まえれば、もっと貰えるだろう。そうすれば、ヤドリギは……」
「そんな金で仲間ができたって、ヤドリギは嬉しいと思うんか?」
モクレンが冷たくいい放つ。
だけど、ツララさんは動じない。
「金がいるんだ」
「ツララさん!」
わたしは目いっぱい、叫んだ。
「亡くなってから、ヤドリギさんに会いましたか?」
「……いや。こんなすがたを見せたら、悲しむんじゃないかと思って、まだ……」
「ヤドリギさんはいま、十六夜堂で、ポストマンとして元気に働いています」
「ヤドリギが……ポストマン?」
いぶかしげに、顔をしかめるツララさん。
「そうなんです。だから……」
「チカナちゃん。いうよりも、見せたほうがええ。こういうときの、ぼくやろ?」
待ってましたといわんばかりに、モクレンがキセルを吹かす。
さわやかなヨモギのかおりが、あたりに立ちこめていく。
だけど、わたしは首を傾げた。
「モクレン。幻術で、なにをするの?」
「ぼくの幻術だって、ちょっとは成長してんねんで。さっき見くびらんとって、いうたやろ?」
ヨモギの煙が、もくもくと立ちこめ、霧のように視界にあふれていく。
少し不安に思っていると、レンゲのぬくもりを背後に感じた。
「レンゲ。これって……どんな幻覚なのかな」
「さあな。だが、アカギツネの幻術が、前のものとは明らかに変わっているのはわかる。花の出がらしが、降っていない」
何かが足りないと思っていたら、そういえばそうだ。
それじゃあ、モクレンの幻術は、完成したってこと?
そのとき、カツンという音がした。
女の人のヒールとは違う、少し鈍い低音。
ツララさんが、ハッと息を飲む。
「この音は……ヤギのヒヅメの音だ」
「さすが、ヤドリギのパートナー。誰よりも、この音を聞き分けとるね」
凛とした、鈴を転がしたようなきれいな声――ナズナさまだ。
そして隣に、赤いヤギが寄り添っている。
「ヤドリギ!」
ツララさんが信じられないとばかりに、よろよろとヤドリギさんに近づいていく。
「わあ! ツララだ! わあ!」
ヤドリギさんのびっくりしつつも、前回の嬉しそうなようす。
それに、ツララさんが驚きと、嬉しさが混じった表情で笑う。
「や、ヤドリギが、しゃべってる……? おまえ、キノ・キランに……っ?」
「おん。やから、うちで引き取って、十六夜堂への案内係をしてもらってるんよ」
ナズナさまが、さらりという。
「赤く生まれてきたこの子をむりやり白くしなくたって、こんなに幸せそうやで?」
目に涙を浮かべながら、ツララさんはヤドリギさんを抱きしめようとした。
しかし幻のように、するりと通り抜けてしまう。
「ああ~。ごめんな。これ、ナズナさまにチャンネルをあわせて、幻術の霧にヤドリギをただ投影しとるだけなんよ。話をするなら、てっとり早いほうが、ええと思ってな」
モクレンが、頭をぽりぽりと掻きながら、申し訳なさそうにいう。
「でも、もちろんあとで、ゆっくり会えばええんや。そうやろ?」
「……ああ、もちろん」
ツララさんが、目に涙を浮かべながら、満足そうに微笑む。
「待っていてくれるか? ヤドリギ」
「もちろん! また、あなたに会えるなんて、嬉しいです! ツララ!」
「ははは。キノ・キランになっても、元気だな。お前」
ヤドリギさんはやっぱり、昔からあのテンションなんだね。
でも、よかった。
ツララさんとヤドリギさんが、またこうして会うことができて。
「……さて。アネモネを保護しに行かないと」
「ほう。覚えていたか」
ばかにしたようにいうレンゲに、わたしはムッとする。
「忘れてるとおもってたの? 失礼な!」
ぽかりとレンゲの肩を小突いてやると、レンゲはくすくすと笑う。
「早く迎えに行ってやれ。そろそろ待ちくたびれているころかもな」
「――待ってくれ」
ツララさんの呼び止められ、わたしたちは振り返る。
すると、ツララさんは神妙な表情でいった。
「ウキネ……あいつは危険だ。気をつけろ」
「おまえ、ウキネのことを何か知ってるのか」
ヤクモがたずねると、ツララさんは少し考え、意を決したように口を開いた。
「彼女は、不老不死なんだ――うわさでは、『三日月祭のはじまりの猫』は彼女なんじゃないかといわれている」
ウキネが、不老不死……?
わたしたちは、驚きで顔を見あわせた。
もしそれが、ほんとうだったんなら、わたしたちに勝ち目はないってこと――?
■
猫すがたのままのアネモネを十六夜堂に連れ帰り、さっそく店のメニュー表を彼女に差し出した。
いっしょに食事をすれば、アネモネにリラックスしてもらえると思ったんだ。
ソファテーブルにアネモネを座らせ、わたしはパラパラとメニュー表をめくってやる。
「さあ、アネモネ。何でも選んでね。ヤクモの焼くクッキーはおすすめだよ」
しかし、どれも選んでくれない。
というか、アネモネからの反応がない。
キッチンでは、すでにヤクモが手際よく、クッキーの生地を練りはじめていた。
「どれを選べばいいのか、決めかねているのかもな。まずはわかりやすく、こちらからおもてなしすればいい」
「そうだね。さすが、ヤクモ!」
あっというまに、ヤクモは十品ほどのメニューを用意してくれた。
どれも、猫が食べられる自然食のメニュー。
なのに、人間のわたしから見ても、どれもおいしそうに見えちゃう出来ばえ。
アネモネの前に、きれいに並べられたお皿たち。
「さあ。すきなものがあれば、遠慮せず召しあがれ」
キッチンで、ヤクモが調理器具を洗いながら、いう。
しかし、アネモネは食事のにおいを嗅いだだけで、プイッとそっぽを向いてしまった。
それを見たシロツメは、さっそく不機嫌丸出しになってしまう。
「ちょっと! その態度、作ったヤクモに失礼だと思わないのっ? 強制はしてないんだから、いらないならそういえばいいでしょ!」
「まあまあ、シロツメ。気分じゃないときもあるさ」
すると、レンゲがアネモネのつむじを見おろすようにして、腕を組んだ。
「アネモネ。よだれが垂れているぞ」
「――うそっ!」
あわてて、口元をぬぐうアネモネ。
だけど、よだれなんて垂れてなかったように見えたけど。
アネモネもそれに気づいたようで、不快感を隠さないままに、レンゲを睨みつけた。
レンゲはアネモネの態度をいなすように、「ふん」と鼻をならす。
「猫は嬉しいだけで、よだれを垂らしてしまうやつもいる。おれは決して、そんなことはしないがな?」
「何を得意げにいってるの。あんたのことなんて、誰も聞いてないんだから」
「おまえのその、不躾な態度――どうせ、キノ・キランの仲間になんて、なりたくないとかそんな理由だろう」
レンゲの言葉に、アネモネは答えなかった。
アネモネは、それっきりソファにからだを沈め、口を開いてくれなかった。
「ちょっと、レンゲ。なんでそんなふうにいうの?」
叱るように、レンゲに問い詰める。
すると、レンゲは少しだけ落ちこんでいるように見えた。
「……反省してる?」
「別に」
もう、猫ってどうしてこう、素直じゃないんだろう?
レンゲが、低く唸るように呼ぶ。
「お前が今いったのは……赤いヤギの名前か?」
するとツララさんは、目玉が飛び出るくらいにギョッとむき出しにした。
「なぜ知っている……おれの赤いヤギを」
モクレンが、浮かんでいるツララさんへと説明する。
「ここにいる全員、あの赤いヤギには世話になっとるからなあ」
「……どういうことだ?」
「まずは、おまえのことを教えてくれないか。どうして、霜月の宿のいうことに従っているのか」
ヤクモの真剣なまなざしに、ツララさんはふよふよと降りて来て、わたしたちの前でゆらゆらと揺れだした。
完全に、戦意は喪失しているみたい。
「ヤドリギは……おれが飼っていたヤギだ」
「ツララさんのヤギだった……? それって、ヤドリギがキノ・キランになる前のことか?」
ヤクモの質問に、ツララさんは「ああ」と短く答えた。
「白いヤギじゃないヤドリギは、仲間のヤギから気味悪がられていた。最終的には、仲間はずれにされ……ヤドリギはいつも、さみしそうな顔をしていた」
ヤドリギさんに、そんな過去があったなんて、知らなかった。
いつも、あんなに元気そうなヤドリギさんだから、驚いてしまう。
「おれはヤドリギが、どうにかして仲間のヤギと打ち解けられないか、考えた。そして、金さえあれば――ヤドリギの体毛を白くしてくれる誰かが見つかるかもしれないと思ったんだ」
ツララさんは、自分の手を固く握りしめていた。
そのときのことを思い出している顔は、とても辛そうだった。
「色んなところへ金を貸してくれ、と頼みに回っているうちに、おれは事故にあい、死んでしまったらしい。でも、未練があるまま死んだから、成仏もできないでいた。そこへ、霜月の宿のキノ・キランから、声をかけられたんだ。キノ・キランの情報を集めろ、と」
ツララさんは、わたしたちをぐるりと見渡し、まなざしを強くする。
「キノ・キランの情報を集めれば、金がもらえる。捕まえれば、もっと貰えるだろう。そうすれば、ヤドリギは……」
「そんな金で仲間ができたって、ヤドリギは嬉しいと思うんか?」
モクレンが冷たくいい放つ。
だけど、ツララさんは動じない。
「金がいるんだ」
「ツララさん!」
わたしは目いっぱい、叫んだ。
「亡くなってから、ヤドリギさんに会いましたか?」
「……いや。こんなすがたを見せたら、悲しむんじゃないかと思って、まだ……」
「ヤドリギさんはいま、十六夜堂で、ポストマンとして元気に働いています」
「ヤドリギが……ポストマン?」
いぶかしげに、顔をしかめるツララさん。
「そうなんです。だから……」
「チカナちゃん。いうよりも、見せたほうがええ。こういうときの、ぼくやろ?」
待ってましたといわんばかりに、モクレンがキセルを吹かす。
さわやかなヨモギのかおりが、あたりに立ちこめていく。
だけど、わたしは首を傾げた。
「モクレン。幻術で、なにをするの?」
「ぼくの幻術だって、ちょっとは成長してんねんで。さっき見くびらんとって、いうたやろ?」
ヨモギの煙が、もくもくと立ちこめ、霧のように視界にあふれていく。
少し不安に思っていると、レンゲのぬくもりを背後に感じた。
「レンゲ。これって……どんな幻覚なのかな」
「さあな。だが、アカギツネの幻術が、前のものとは明らかに変わっているのはわかる。花の出がらしが、降っていない」
何かが足りないと思っていたら、そういえばそうだ。
それじゃあ、モクレンの幻術は、完成したってこと?
そのとき、カツンという音がした。
女の人のヒールとは違う、少し鈍い低音。
ツララさんが、ハッと息を飲む。
「この音は……ヤギのヒヅメの音だ」
「さすが、ヤドリギのパートナー。誰よりも、この音を聞き分けとるね」
凛とした、鈴を転がしたようなきれいな声――ナズナさまだ。
そして隣に、赤いヤギが寄り添っている。
「ヤドリギ!」
ツララさんが信じられないとばかりに、よろよろとヤドリギさんに近づいていく。
「わあ! ツララだ! わあ!」
ヤドリギさんのびっくりしつつも、前回の嬉しそうなようす。
それに、ツララさんが驚きと、嬉しさが混じった表情で笑う。
「や、ヤドリギが、しゃべってる……? おまえ、キノ・キランに……っ?」
「おん。やから、うちで引き取って、十六夜堂への案内係をしてもらってるんよ」
ナズナさまが、さらりという。
「赤く生まれてきたこの子をむりやり白くしなくたって、こんなに幸せそうやで?」
目に涙を浮かべながら、ツララさんはヤドリギさんを抱きしめようとした。
しかし幻のように、するりと通り抜けてしまう。
「ああ~。ごめんな。これ、ナズナさまにチャンネルをあわせて、幻術の霧にヤドリギをただ投影しとるだけなんよ。話をするなら、てっとり早いほうが、ええと思ってな」
モクレンが、頭をぽりぽりと掻きながら、申し訳なさそうにいう。
「でも、もちろんあとで、ゆっくり会えばええんや。そうやろ?」
「……ああ、もちろん」
ツララさんが、目に涙を浮かべながら、満足そうに微笑む。
「待っていてくれるか? ヤドリギ」
「もちろん! また、あなたに会えるなんて、嬉しいです! ツララ!」
「ははは。キノ・キランになっても、元気だな。お前」
ヤドリギさんはやっぱり、昔からあのテンションなんだね。
でも、よかった。
ツララさんとヤドリギさんが、またこうして会うことができて。
「……さて。アネモネを保護しに行かないと」
「ほう。覚えていたか」
ばかにしたようにいうレンゲに、わたしはムッとする。
「忘れてるとおもってたの? 失礼な!」
ぽかりとレンゲの肩を小突いてやると、レンゲはくすくすと笑う。
「早く迎えに行ってやれ。そろそろ待ちくたびれているころかもな」
「――待ってくれ」
ツララさんの呼び止められ、わたしたちは振り返る。
すると、ツララさんは神妙な表情でいった。
「ウキネ……あいつは危険だ。気をつけろ」
「おまえ、ウキネのことを何か知ってるのか」
ヤクモがたずねると、ツララさんは少し考え、意を決したように口を開いた。
「彼女は、不老不死なんだ――うわさでは、『三日月祭のはじまりの猫』は彼女なんじゃないかといわれている」
ウキネが、不老不死……?
わたしたちは、驚きで顔を見あわせた。
もしそれが、ほんとうだったんなら、わたしたちに勝ち目はないってこと――?
■
猫すがたのままのアネモネを十六夜堂に連れ帰り、さっそく店のメニュー表を彼女に差し出した。
いっしょに食事をすれば、アネモネにリラックスしてもらえると思ったんだ。
ソファテーブルにアネモネを座らせ、わたしはパラパラとメニュー表をめくってやる。
「さあ、アネモネ。何でも選んでね。ヤクモの焼くクッキーはおすすめだよ」
しかし、どれも選んでくれない。
というか、アネモネからの反応がない。
キッチンでは、すでにヤクモが手際よく、クッキーの生地を練りはじめていた。
「どれを選べばいいのか、決めかねているのかもな。まずはわかりやすく、こちらからおもてなしすればいい」
「そうだね。さすが、ヤクモ!」
あっというまに、ヤクモは十品ほどのメニューを用意してくれた。
どれも、猫が食べられる自然食のメニュー。
なのに、人間のわたしから見ても、どれもおいしそうに見えちゃう出来ばえ。
アネモネの前に、きれいに並べられたお皿たち。
「さあ。すきなものがあれば、遠慮せず召しあがれ」
キッチンで、ヤクモが調理器具を洗いながら、いう。
しかし、アネモネは食事のにおいを嗅いだだけで、プイッとそっぽを向いてしまった。
それを見たシロツメは、さっそく不機嫌丸出しになってしまう。
「ちょっと! その態度、作ったヤクモに失礼だと思わないのっ? 強制はしてないんだから、いらないならそういえばいいでしょ!」
「まあまあ、シロツメ。気分じゃないときもあるさ」
すると、レンゲがアネモネのつむじを見おろすようにして、腕を組んだ。
「アネモネ。よだれが垂れているぞ」
「――うそっ!」
あわてて、口元をぬぐうアネモネ。
だけど、よだれなんて垂れてなかったように見えたけど。
アネモネもそれに気づいたようで、不快感を隠さないままに、レンゲを睨みつけた。
レンゲはアネモネの態度をいなすように、「ふん」と鼻をならす。
「猫は嬉しいだけで、よだれを垂らしてしまうやつもいる。おれは決して、そんなことはしないがな?」
「何を得意げにいってるの。あんたのことなんて、誰も聞いてないんだから」
「おまえのその、不躾な態度――どうせ、キノ・キランの仲間になんて、なりたくないとかそんな理由だろう」
レンゲの言葉に、アネモネは答えなかった。
アネモネは、それっきりソファにからだを沈め、口を開いてくれなかった。
「ちょっと、レンゲ。なんでそんなふうにいうの?」
叱るように、レンゲに問い詰める。
すると、レンゲは少しだけ落ちこんでいるように見えた。
「……反省してる?」
「別に」
もう、猫ってどうしてこう、素直じゃないんだろう?



