うちのかわいい愛猫が、満月の夜にイケメンに!? 主従関係になるなんて聞いてません!

 レンゲの能力を、もっと生かしてあげたい。
 パートナーのわたしが、レンゲにしてあげられること、ないのかな。

 それからも、わたしとレンゲは、ヤクモとシロツメとの特訓を続けつつ、キノ・キランの保護活動をした。
 その日も、いつも通り学校終わりに十六夜堂の手伝いをしていると、天窓からナズナさまの使いのカラスがバサバサと飛びこんできた。
「通報だ。でも、緊急ではないみたいだな」
 クッキー生地をこねていた手を急いで洗いながら、ヤクモがいった。
 小鍋でミルクを温めていたシロツメも、コンロの火を消す。
「チカナ。レンゲは?」
「いるよ」
 窓際のソファから、外の人通りを眺めていたレンゲが、ぴくりと三角耳を動かした。
 わたしの声に反応し、こちらにやってくる。
「どうかしたのか」
「ああ。シロツメ、セセリはなんていってるんだ?」
 ヤクモがたずねると、シロツメは使いのカラスの言葉を聞き取りながら、翻訳してくれる。
「アネモネっていうコチカ・キノが今夜、キノ・キランになるってさ」
「えっ、アネモネが?」
 わたしは思わず、目を丸くしているレンゲと視線を合わせた。
「……保護するのか?」
 冷静にレンゲがいうと、ヤクモがうなずいた。
「ああ。実は、アネモネの飼い主には、もう許可を取っているんだ。アネモネがキノ・キランになるだろうことは、以前から観測されていたからな」
「……飼い主さんは、なんて?」
 つい、不安たっぷりに聞いてしまう。
 すると、ヤクモは案の定、表情を暗くしていった。
「……人になる動物は、怖くてお世話しきれないってな。だから、キノキランになるとはっきりわかった今夜、彼女を保護する」
 アネモネは、レンゲがキノ・キランになる前からの知り合いだった。
 まさか、こんなことになるなんて。
 ふと、モクレンが面白くなさそうに、ふてくれされた顔をしていた。
「そういえば、モクレン。アネモネのこと、知ってるかんじだったよね」
 すると、モクレンは「ああ」と長く息を吐いた。
「あいつとは……下弦の森からの腐れ縁やな」
「アネモネって、ずっと家猫なんだとおもってた」
「あいつが下弦の森にいたのは、子猫のころだけや」
「もともと、野良猫だったんだ?」
「せや。人間に拾われて、可愛がられとったみたいやけどな。まあ、こんなことになるやなんて、あいつも思いもせんかったやろな」
 複雑そうに、眉根を寄せる、モクレンは納得いかなさそうに、頭をがしがしと、かき混ぜていた。

 そして、その日の夜。
 十六夜堂に集まるよりも効率がいいからと、ヤクモとシロツメ、そしてモクレンは、わたしたちの家の前に集合した。
 人型になっても、レンゲは足音を立てずに歩けるので、わたしごと抱きあげてもらい、うまく家からぬけだすことができた。
 ヤクモとシロツメにいたっては、脱走の常習犯なんだろうな。
 全員そろったところで、アネモネの家へと向かう。
 オシャレな外観の、アネモネ家の門の前。
 アネモネはいつも、二階の窓辺に置かれたバスケットの中で寝ているんだって。
 レンゲが、教えてくれた。
「チカナ。花かずらアパートのときみたいに、レンゲに二階のようすを見てきてほしいんだけど」
 ヤクモにいわれ、わたしは「わかった」とレンゲを見あげた。
「レンゲ、いいかな?」
 レンゲが黙ってうなずき、わたしをゆっくりと降ろした。
 そのまま、アネモネの家の屋根へ、ピョンと飛びあがる。
 屋根の下の窓をのぞきこみ、中のようすをうかがっているみたいだ。
 偵察が終わったのか、また身軽にピョンピョンと、屋根から飛び降り、戻ってきた。
「どうだった、レンゲ」
「アネモネは、窓のすぐ近くで寝ている。同じ部屋で、飼い主も寝ているみたいだったな。あと――」
 ためらうように、言葉を使えさせる、レンゲ。
 ちらりとわたしを見てから、ようやく詰まらせていた言葉を吐き出した。
「蓮の花のにおいがしたな」
 シロツメが「やれやれ」といったようすで、首をゆるく振った。
 さっそくモクレンが、あたりを警戒しはじめた。
 ヤクモが、てきぱきとシロツメに指示を出しはじめる。
「死角以外にも、気を配って。柴へのエネルギー充填も十分に」
「ええ、お腹すくのに~」
「食べたいだろ? 『あれ』」
「やったあ、黒毛和牛~!」
 シロツメの手に、手品のようにシュルリと柴が現れる。
 わたしはハッとして、ついモクレンに駆け寄った。
「モクレン、大丈夫? ナズナさまがいないけど」
「はあっ? ヤクモから、聞いたんか。ぼくのマスターがナズナさまだって」
「う、うん」
 モクレンは、苦々しげに顔をゆがめる。
「ぼくが、出がらしの花びらばっかり出すからって、見くびらんとってや。チカナちゃん」
「い、いや。見くびってるとかじゃないけど……」
「出がらしなんか、すぐに出しつくしたるわ」
 ギラリ、とモクレンのキツネの瞳が、正面を見すえた。
 そのとき、わたしとモクレンのあいだを、一陣の強い風が吹きぬけた。
 レンゲが、背中側からわたしを抱き寄せた。
「今の風――強い蓮の花のにおいがした」
「それって……今、わたしたちの目の前をおばけが通ったってことっ?」
 タルヒさんのことといい、霜月の宿が幽霊たちに、何かをさせているのは間違いない。
 それも、キノ・キランに関係すること。
 考えていると、しゅるん、とわたしの鼻先に、ピンボケみたいな影が通った。
 影は、アネモネ家の門をゆらりと登っていき、ふわふわとそこで浮遊している。
「キノ・キランだ。たくさんいる」
「ひゃ……?」
 ぼそりと呟いた『それ』は、向こう側が透けて見えている。
 タルヒさんよりも、存在感が薄い……みたいな。
 でも、見たい目はタルヒさんよりも若いことはわかる。
 二十代くらいの人ってイメージ。
 すかさずレンゲが、わたしを自分の後ろに押しこみ、前に飛んでくる。
「彼女の前に現れるな。何なんだ、おまえは」
「おれは、ツララ。霜月の宿に雇われた、あの世のもの……だな」
 ふわふわ浮かんでいるツララさんは、どこかダルそうにいった。
「金が必要だ。おまえたち、いっしょに霜月の宿に来てくれ」
 やっぱり、この幽霊もお金が必要なんだ。
 でも、どんな理由だってレンゲたちを渡すなんてこと、するはずがないよ。
「レンゲ、爪を研いで!」
「仰せのままに」
 ふっ、と鼻を鳴らして、レンゲは空中で爪を研ぐ。
 シロツメとの稽古を参考に、こんなこともあろうかと、うちに幽霊対策グッズをたくさん用意しておいたんだ。
 お札、あら塩、あとトウモロコシの成分たっぷりの消臭スプレー。
 光が苦手だって聞いたから、懐中電灯もまとめて置いておいた。
 モクレンの情報では、これが効かない幽霊はいないらしい。
「さっそく例のグッズの出番が来るとはね! レンゲ、やっちゃおう!」
「了解だ」
 レンゲは空間からお札を取り出し、扇状にする。
 流れるような放射線を描き、ツララさんに投げつけた。
 なのに、ツララさんにはまったく効いてないみたいだ。
「うそ、なんでっ? 情報と違うんだけど!」
 すると、ツララさんはキョトンとして、渋い顔をした。
「プリンに醤油をかけると、ウニの味がする。プリンにワサビをかけても、美味しくはない。そういうことなのかもしれないな」
 わけのわからないことをいい出す、ツララさん。
 けっきょく、あら塩、消臭スプレー、懐中電灯……どれもツララさんには効かなかった。
 シロツメの柴のムチも、ツララさんには、ひょいひょいとかわされちゃう。
 レンゲの爪攻撃もまったく届かなくて、まるで風と戦っているみたいだった。
 なのに――。
「ツララさん。ちっとも攻撃してこない。いったい、どういうこと?」
 たまりかねたように、立ち止まったレンゲが腕を組み、ツララさんを見すえる。
「あんまりない」
 ふわふわ浮かびながら、逆さに状態で、だらーんとしているツララさん。
「やる気ないなら、帰り!」
 モクレンが叫ぶと、ツララさんは「はあ」と息をついた。
「そりゃ、おれだって、こんなことしたくないけどさ……仕方ないだろ。金がいるんだ」
 ツララさんの手のひらから、シュウウウ、と冷気が出てくる。
 手元から、みるみる周りの空気を凍らせていき、あっという間に氷の剣を作り出してしまった。
 ツララさんが、剣を一振りすると、シロツメの柴のムチが、パキンと凍ってしまう。
「うわああ、なんなんだよ~。あの剣!」
 泣きながら、柴のムチを抱きしめる、シロツメ。
 ヤクモが、よしよしと慰めてやりながら、思案するようにあごを撫でる。
「ただの幽霊があんなことをできるようになるなんて……霜月の宿のちからか?」
「レンゲ、気をつけて!」
 わたしが叫ぶと、レンゲは深くうなずいた。
 ツララさんが、氷の剣をレンゲに向ける。
「レンゲ、『あれ』の出番だよ!」
「……正気か?」
「大丈夫だから。わたしを信じて!」
「……わかった」
 レンゲは迷うことなく、切るように空間を爪でなぞった。
 ツララさんが、目をぱちくりさせている。
 頭の上に、クエスチョンマークが浮かんでいるようだ。
「……何をするつもりなんだ?」
 レンゲがなかから出したのは、赤い筒に入ったお香だった。
「お香には、お清めの効果があるの。お香を炊くことによって、わるい霊を寄せつけなくするんだ」
「ああ……だが、許可できない」
 レンゲが不機嫌そうにいう。
「危険だ。おまえに、火を使わせるなんて」
「いや、もう子どもじゃないんだから」
「小学生のときに、花火で火傷をしたのを忘れたとはいわせない」
「もう、レンゲ! こんなときに、そんなこといってる場合じゃないってば!」
 たのみの綱は、もうこれしかないんだよ。
 ぎゃあぎゃあとレンゲといい合っていると、今までようすをうかがっていたモクレンが、「ん?」と声をあげた。
 レンゲから引きはがすように、わたしの肩を掴む、モクレン。
「おい。じゃれとる場合か。おまえら。あいつ、ようすがおかしいで」
 見ると、ツララさんの全体が、不自然なくらいに、ぶるぶると震えている。
 まるで、何かにおびえるように。
「レンゲがお香を出してから、あんな調子や」
「……まだ、お香炊いてないよ?」
「火は危険だ。どうしても付けるなら、おれがやる」
「もう、わかったってば。レンゲ」
 レンゲの言い分を聞き流しながら、わたしは両手をメガホンのようにして、ツララさんへ呼びかけた。
「どうしたんですかー。具合悪いんですかー」
 いまのところ出番がなく退屈そうなモクレンが、「幽霊に体調も何もあらへんやろ」とツッコんだ。
 すると、ツララさんが持っていた氷の剣を落としてしまった。
 剣はそのまま、蒸発するように消えてしまう。
「――あ、赤い……」
 ツララさんが、蚊が鳴くようにうめいた。
「赤……赤い……! うう、ヤドリギ……!」
 ツララさんは辛そうに、頭をおさえながら、その名前を呼んだ。
「――ヤドリギ?」
 赤いヤドリギ、なら私は知ってる。
 十六夜堂に行くための、三日月通りにある三番目の電柱。
 裏道の入口に立っている、赤いポスト――ならぬ、赤いヤギ。
 シェーヴル・キノのヤドリギさん。
 でも、どうしてツララさんが、あの赤いヤギさんの名前を呼んだんだろう?