イベント初日。
リゾート旅館の一室で行われた座談会には、大学生から社会人まで幅広い年齢層の参加者が集まっていた。
テーマは「恋愛に代わる人間関係の選択肢」。
進行役のコーディネーターが言う。
「では今回のモデルケース、Re:frainプロジェクトからお越しの“非恋愛パートナー”のお二人にご登壇いただきましょう。一之瀬悠人さん、有栖川凛さんです!」
拍手と共に立ち上がった二人は、隣同士の椅子に腰を下ろした。
「こんにちは。恋愛をしない人の代表みたいな扱いを受けて、内心ドキドキしています」
凛の開口一番に、場が和む。
悠人も微笑んで続けた。
「本日も、しっかり恋愛しておりません。一之瀬です」
軽い笑いが起きた。
「お二人は、お互いのことを“どういう存在”として認識されていますか?」
「信頼できる仕事仲間です。役割分担と尊重が成り立っていて、無駄な期待や失望がない」
「同感です。“好き”や“嫌い”を越えたところで成立している関係だと思っています」
「それって、ちょっと羨ましいです」
「感情で動くと、逆に相手が怖くなることがある」
「“無理に愛されようとしなくていい関係”って、安心しますね」
参加者たちの声が、少しずつあたたかくなっていく。
それはまるで、「好きじゃない」ことで築ける絆の価値を、そっと肯定してもらったようだった。
夜。
イベントが終わったあと、二人は館内の中庭に立っていた。
星がよく見える、静かな夜。
露天風呂から上がったばかりの悠人は、タオルを肩にかけ、少しだけ髪が湿っていた。
「……温泉、意外とリラックスできました」
「でしょ。たまには、効率無視も悪くないでしょ」
凛も同じように軽装で、白い浴衣の上からカーディガンを羽織っていた。
「なんかさ」
ふいに凛が言った。
「今日の会場の空気、ちょっと居心地よかった」
「ですね。あそこにいた人たちは、皆それぞれの“選ばなかった恋”を抱えている感じでした」
「“選ばなかった恋”か……うまい言い方するね」
「有栖川さんにも、ありますか?」
「……一つだけ。昔、一人だけ、“好きにならなかったこと”を後悔した人がいる」
「それは、どうして?」
「好きになってたら、違う未来もあったのかもしれないって……一瞬だけ思ったから。でも、やっぱり無理だった。私はやっぱり、恋愛じゃなくて、“理解されること”の方が大事だった」
「……その考え方、僕は嫌いじゃない」
「ありがと。……でもね」
凛は、星空を仰いだまま、静かに続ける。
「いま、こうやって誰かと話してて、ちゃんと安心できてるのって、何年ぶりなんだろうって考えちゃうの」
「……それ、恋愛じゃなくても起こる感情だと思います」
「うん。だから、私はいま、恋をしてるわけじゃない。けど──」
その先の言葉は、夜の風に流された。
沈黙のなかで、お互いの距離は手を伸ばせば触れられるほど近く、それでも何も起こらない、絶妙な“ゼロ距離”だった。
ただひとつだけ、確かなのは――
“ルールの範囲”であればあるほど、例外は静かに、深く入り込んでくるということだった。
──第3章・了──
リゾート旅館の一室で行われた座談会には、大学生から社会人まで幅広い年齢層の参加者が集まっていた。
テーマは「恋愛に代わる人間関係の選択肢」。
進行役のコーディネーターが言う。
「では今回のモデルケース、Re:frainプロジェクトからお越しの“非恋愛パートナー”のお二人にご登壇いただきましょう。一之瀬悠人さん、有栖川凛さんです!」
拍手と共に立ち上がった二人は、隣同士の椅子に腰を下ろした。
「こんにちは。恋愛をしない人の代表みたいな扱いを受けて、内心ドキドキしています」
凛の開口一番に、場が和む。
悠人も微笑んで続けた。
「本日も、しっかり恋愛しておりません。一之瀬です」
軽い笑いが起きた。
「お二人は、お互いのことを“どういう存在”として認識されていますか?」
「信頼できる仕事仲間です。役割分担と尊重が成り立っていて、無駄な期待や失望がない」
「同感です。“好き”や“嫌い”を越えたところで成立している関係だと思っています」
「それって、ちょっと羨ましいです」
「感情で動くと、逆に相手が怖くなることがある」
「“無理に愛されようとしなくていい関係”って、安心しますね」
参加者たちの声が、少しずつあたたかくなっていく。
それはまるで、「好きじゃない」ことで築ける絆の価値を、そっと肯定してもらったようだった。
夜。
イベントが終わったあと、二人は館内の中庭に立っていた。
星がよく見える、静かな夜。
露天風呂から上がったばかりの悠人は、タオルを肩にかけ、少しだけ髪が湿っていた。
「……温泉、意外とリラックスできました」
「でしょ。たまには、効率無視も悪くないでしょ」
凛も同じように軽装で、白い浴衣の上からカーディガンを羽織っていた。
「なんかさ」
ふいに凛が言った。
「今日の会場の空気、ちょっと居心地よかった」
「ですね。あそこにいた人たちは、皆それぞれの“選ばなかった恋”を抱えている感じでした」
「“選ばなかった恋”か……うまい言い方するね」
「有栖川さんにも、ありますか?」
「……一つだけ。昔、一人だけ、“好きにならなかったこと”を後悔した人がいる」
「それは、どうして?」
「好きになってたら、違う未来もあったのかもしれないって……一瞬だけ思ったから。でも、やっぱり無理だった。私はやっぱり、恋愛じゃなくて、“理解されること”の方が大事だった」
「……その考え方、僕は嫌いじゃない」
「ありがと。……でもね」
凛は、星空を仰いだまま、静かに続ける。
「いま、こうやって誰かと話してて、ちゃんと安心できてるのって、何年ぶりなんだろうって考えちゃうの」
「……それ、恋愛じゃなくても起こる感情だと思います」
「うん。だから、私はいま、恋をしてるわけじゃない。けど──」
その先の言葉は、夜の風に流された。
沈黙のなかで、お互いの距離は手を伸ばせば触れられるほど近く、それでも何も起こらない、絶妙な“ゼロ距離”だった。
ただひとつだけ、確かなのは――
“ルールの範囲”であればあるほど、例外は静かに、深く入り込んでくるということだった。
──第3章・了──


