隣にいる理由を、毎日選びたい

 プロジェクトも三週目に入り、作業は順調だった。
  UX設計とプロモーション導線の組み立てが終わり、次はユーザーインタビューと、それを反映したテスト版UIの作成。
 有栖川凛と一之瀬悠人は、完全に仕事のリズムを共有していた。
 「ここ、ユーザーからの声で“おせっかい度が高い”って出てた部分です。ナビゲーションが自動的に恋愛傾向を測ってしまう仕様が、不快だと」
 「じゃあ、提案時に選択制へ変更します。“匿名評価”という選択肢も付けましょう」
 「了解。あと、モーション減らしたら動作が軽くなったので、それも加点ポイントかと」
 「的確ですね。……すみません、コーヒー淹れますが?」
 「飲む。砂糖なし、ミルクだけ」
 「了解」
 二人のやり取りは、ほとんど無駄がなかった。
  業務時間内の雑談はゼロ。私的な連絡もなく、すべてがドライで、効率的。
  いわば、“完璧に保たれた業務関係”だった。
 だが──
  そんなバランスが崩れるのは、いつだって予想外から始まる。

 金曜の夕方、プロジェクトチームの全体会議後、真壁部長がひょっこり顔を出した。
 「おーい、来週さ、地方でのユーザーイベントあるだろ? あれ、現地同行お願いできる?」
 「……同行?」
 悠人が顔を上げると、真壁はパンフレットを手にしていた。
 「うん。長野のリゾート型カンファレンス施設で、“恋愛に悩む若者たちの座談会”って企画があるんだよ。それに『Re:frain』のコンセプトモデルとして、君ら二人が登壇予定」
 「聞いてないです」
 凛はすかさず返した。
 「昨日、決まったばかり。現地は温泉宿つき、二泊三日」
 「……温泉?」
 「個室あるし、部屋は別々。もちろん男女別フロア。でもまあ、一緒に移動だし、現地ではほぼ行動を共にしてもらうことになるね」
 「業務外労働感がすごい」
 「手当は倍。それと、交通費・食費込み」
 「……検討します」
 凛は渋い顔をしながらも、無言で資料を受け取った。

 帰り道。
  会社近くのエレベーターを待ちながら、凛がぽつりと漏らす。
 「……温泉地って、どうしてああも“恋愛前提”の空気をまとってるのかね」
 「確かに、ペアで行くと無駄に“カップル”と思われがちです」
 「だから嫌なのよ。“男と女が一緒に行動する=そういう関係”っていう前提が、気持ち悪い」
 「今回は、“そういう関係ではないモデル”として参加するわけですから、むしろ真逆ですよ」
 「……でも、旅先って“例外”が起こりやすい場所でもある。非日常って、緩むでしょ? 感情も、ルールも」
 「そのために、いつもより一層慎重になります。抜かりなく」
 「……一之瀬さん、あれでけっこう真面目なんだよね」
 「褒め言葉ですか?」
 「たぶん」
 その会話が終わるころには、エレベーターのドアが開いた。

 一週間後。
  長野、木造建築の温泉旅館。
  静かな山あいの地に建つその施設は、洒落た看板に“Re:frainトークナイト”の文字を掲げていた。
 悠人と凛は、別々の部屋にチェックイン後、館内ロビーで合流。
  二人とも、少しだけ、いつもよりカジュアルな服装だった。
 「……なんか、変な感じ。会社の外で会うと」
 「仕事の延長なので問題ありません」
 「そっか。私は少し、緊張してるかも」
 「え?」
 「この場所、空気が違うから。……自分の感情が、少し見えにくくなる」
 その言葉に、悠人はふと目を細めた。
 「それでも、“好きにならない”というルールは守りますか?」
 「うん。もちろん。けど──」
 凛は微笑んだ。
 「“例外”が起きたら、そのとき考える」
 その笑顔が、今まで見たどんな表情より柔らかく見えて、悠人は一瞬、呼吸の仕方を忘れた。