翌日から、本格的なキックオフミーティングが始まった。
プロジェクト名は『Re:frain』──「恋愛を refrain(自制)する」ことをテーマにした、若者向けのSNS啓発アプリの再設計。
企業コンセプトは、「恋愛しない勇気も肯定されるべき」という逆張り型ブランディング。
「──というわけで、一之瀬くんと有栖川さんには、“恋愛感情を抱かずに協働できる男女ペア”の象徴として、アプリ内のモデル事例コンテンツにも出演してもらいます」
「……出、出演?」
悠人は思わず口を開けた。
「ちょっと待ってください、それ、聞いてません」
「私も聞いてない。仕事は“設計”と“戦略”って契約だったはず」
凛も同時に抗議する。
だが、プロデューサーである真壁はニコニコしたまま、資料をめくった。
「いやいや、これはね、実証実験の一環。仕事としての関係を“疑似恋愛なし”でどこまで構築できるか、それを実際にコンテンツにして見せてほしいのよ。いわば、擬似夫婦じゃなくて、擬似“非恋人”」
「擬似非恋人って、なかなかの造語ですね……」
悠人は思わずつぶやいた。
「まぁ、報酬はその分、追加支給されるから」
その一言で、凛がぱちりと瞬きをした。
「いくら?」
「1コンテンツにつき、撮影協力費として3万円。週一更新で8週分予定」
「やります」
即答だった。
「意外とフットワーク軽いですね……」
「合理的な判断でしょ。報酬が高ければやる、低ければやらない。それだけ」
その割り切りの良さに、悠人は少しだけ口の端を上げた。
(なるほど、“恋愛しない派”にも色んなタイプがいるってわけか)
撮影は来週から。まずは二人の“自然な関係性”を伝えるために、平日の働き方や雑談の風景を動画に収めるという。
いわば、ちょっとしたドキュメンタリー仕立ての職場バディ特集だ。
「ナチュラルな関係が重要だからね! “恋愛感情ゼロ”を演出するんじゃなくて、本当にゼロであること。それがこのプロジェクトの信頼性につながるから!」
真壁の言葉に、凛はきっぱり言い切った。
「演出の必要ありません。ガチでゼロなんで」
「僕も、同じく」
本気で“好きにならない”ことが、仕事になるとは──。
皮肉な話だった。
昼休み。
二人は同じフロアの社食で、隣に座って昼食を取っていた。
カメラはまだ回っていない。が、周囲の社員の視線は若干気になる。
「やっぱり見られてますね、私たち」
「噂になるのは早いね。“恋愛しないコンビ”ってだけで」
「世の中って、そんなに恋愛が当たり前なんでしょうかね」
「“してない人”より、“してる風な人”のほうが安心するんだよ、たぶん」
そう言いながら悠人は、箸でサバの味噌煮をほぐす。
凛は野菜たっぷりのチキン南蛮弁当を選んでいた。
「人間関係って、もっと多様でいいはずなのにね」
「分かります。私は“恋愛至上主義”ってやつが苦手なんです。『恋してるから頑張れる』っていう考え、信用してないので」
「同感。感情って、不安定すぎる」
「恋愛は、時間と労力とお金の分散装置ですよ。無駄が多すぎる」
「はは……。そこまで言うと、逆に説得力あるな」
ふと、二人のあいだに沈黙が訪れた。
それは不快ではない。むしろ、居心地のよい沈黙だった。
言葉を詰めなくても成立する関係性──
どこか、それが“恋人”よりも強い絆のようにすら思えた。
(けれど、それを“絆”と呼んでいいのかどうか)
悠人は自問する。
「……ところで、一之瀬さんって、今まで誰かに“好きだ”って言われたこと、あります?」
「ありますよ。けど全部、“すみません”で終わらせてきました」
「そっか。私もです。“そんなつもりじゃなかったんです”って、何回言ったかな」
「でも、それが正解だったんでしょうね。だって、今ここにこうしているんですから」
「そうですね。“好きにならない”って、実はけっこうな努力なんですよ」
凛はそう言って、箸を置いた。
その笑顔は、少しだけ、寂しそうだった。
プロジェクト名は『Re:frain』──「恋愛を refrain(自制)する」ことをテーマにした、若者向けのSNS啓発アプリの再設計。
企業コンセプトは、「恋愛しない勇気も肯定されるべき」という逆張り型ブランディング。
「──というわけで、一之瀬くんと有栖川さんには、“恋愛感情を抱かずに協働できる男女ペア”の象徴として、アプリ内のモデル事例コンテンツにも出演してもらいます」
「……出、出演?」
悠人は思わず口を開けた。
「ちょっと待ってください、それ、聞いてません」
「私も聞いてない。仕事は“設計”と“戦略”って契約だったはず」
凛も同時に抗議する。
だが、プロデューサーである真壁はニコニコしたまま、資料をめくった。
「いやいや、これはね、実証実験の一環。仕事としての関係を“疑似恋愛なし”でどこまで構築できるか、それを実際にコンテンツにして見せてほしいのよ。いわば、擬似夫婦じゃなくて、擬似“非恋人”」
「擬似非恋人って、なかなかの造語ですね……」
悠人は思わずつぶやいた。
「まぁ、報酬はその分、追加支給されるから」
その一言で、凛がぱちりと瞬きをした。
「いくら?」
「1コンテンツにつき、撮影協力費として3万円。週一更新で8週分予定」
「やります」
即答だった。
「意外とフットワーク軽いですね……」
「合理的な判断でしょ。報酬が高ければやる、低ければやらない。それだけ」
その割り切りの良さに、悠人は少しだけ口の端を上げた。
(なるほど、“恋愛しない派”にも色んなタイプがいるってわけか)
撮影は来週から。まずは二人の“自然な関係性”を伝えるために、平日の働き方や雑談の風景を動画に収めるという。
いわば、ちょっとしたドキュメンタリー仕立ての職場バディ特集だ。
「ナチュラルな関係が重要だからね! “恋愛感情ゼロ”を演出するんじゃなくて、本当にゼロであること。それがこのプロジェクトの信頼性につながるから!」
真壁の言葉に、凛はきっぱり言い切った。
「演出の必要ありません。ガチでゼロなんで」
「僕も、同じく」
本気で“好きにならない”ことが、仕事になるとは──。
皮肉な話だった。
昼休み。
二人は同じフロアの社食で、隣に座って昼食を取っていた。
カメラはまだ回っていない。が、周囲の社員の視線は若干気になる。
「やっぱり見られてますね、私たち」
「噂になるのは早いね。“恋愛しないコンビ”ってだけで」
「世の中って、そんなに恋愛が当たり前なんでしょうかね」
「“してない人”より、“してる風な人”のほうが安心するんだよ、たぶん」
そう言いながら悠人は、箸でサバの味噌煮をほぐす。
凛は野菜たっぷりのチキン南蛮弁当を選んでいた。
「人間関係って、もっと多様でいいはずなのにね」
「分かります。私は“恋愛至上主義”ってやつが苦手なんです。『恋してるから頑張れる』っていう考え、信用してないので」
「同感。感情って、不安定すぎる」
「恋愛は、時間と労力とお金の分散装置ですよ。無駄が多すぎる」
「はは……。そこまで言うと、逆に説得力あるな」
ふと、二人のあいだに沈黙が訪れた。
それは不快ではない。むしろ、居心地のよい沈黙だった。
言葉を詰めなくても成立する関係性──
どこか、それが“恋人”よりも強い絆のようにすら思えた。
(けれど、それを“絆”と呼んでいいのかどうか)
悠人は自問する。
「……ところで、一之瀬さんって、今まで誰かに“好きだ”って言われたこと、あります?」
「ありますよ。けど全部、“すみません”で終わらせてきました」
「そっか。私もです。“そんなつもりじゃなかったんです”って、何回言ったかな」
「でも、それが正解だったんでしょうね。だって、今ここにこうしているんですから」
「そうですね。“好きにならない”って、実はけっこうな努力なんですよ」
凛はそう言って、箸を置いた。
その笑顔は、少しだけ、寂しそうだった。


