隣にいる理由を、毎日選びたい

 二月中旬。
  「Re:frain」プロジェクト、全行程完了。
 社内のローンチミーティングが終わり、チーム解散が正式に決まったその日、
  会議室を出た瞬間、凛は深く息をついた。
 「……終わった、ね」
 「はい。ほんとうに」
 「お疲れさま、相棒」
 「こちらこそ、“恋愛をしない相棒”として、全うできたと思ってます」
 いつものように冗談を交えたその言い方に、凛はうっすらと笑った。
 でも、その笑みには、終わりが宿っていた。

 夕方、外は少し冷たい風。
  プロジェクト打ち上げの誘いを辞退して、ふたりはオフィス近くのカフェに立ち寄っていた。
 「じゃあ、これで……お別れ、ってわけじゃないけど、一区切りだね」
 「そうですね。業務的には完全に終了です」
 「でも、ここから先、私たちは“何の理由もなく隣にいる”ってことになる」
 「理由がないと、いけませんか?」
 「いけなくないけど、説明が難しい。“どうして一緒にいるの?”って、聞かれたら答えられない」
 「“好きだから”とは言えない、ですか?」
 その言葉が、空気を震わせた。
 一拍、遅れて。
 「……それ、今言ったらダメでしょ」
 「すみません。つい」
 「ずるいよ、そういうの」
 凛は小さく笑った。けれどその笑顔は、泣きそうな笑顔だった。
 「ねえ、一之瀬さん。私、あなたに最初に言ったこと覚えてる?」
 「“恋愛する気、ゼロなんで”……ですよね」
 「うん。あれ、わざとだった。“好きにならないで”って意味も、少しだけ含んでた」
 「……そうだったんですね」
 「それでも、あなたはずっと距離を守ってくれてた。ありがたかったよ」
 「じゃあ、今こうして、距離が近くなったのは……僕の責任ですか?」
 「違う。私のせい。“好きにならない”って決めたのに、あなたの優しさが、ちゃんと心に届いてしまったから」
 言ってしまった。
  その瞬間、何かが静かに崩れる音がした。
 「でも──それでも、“好きだ”とは言わない」
 「どうして?」
 「だってそれを言ったら、今のこの“曖昧で心地いい関係”が壊れるから」
 「壊れても、前に進めるかもしれませんよ」
 「進んだ先で、もしあなたが振り返ったら、私はすごく後悔すると思う」
 「有栖川さん」
 「ごめん。わたし……まだ、そこまで強くない」
 目を伏せた凛に、悠人は何も言わなかった。
 代わりに、そっとテーブルの上に置かれた彼女のカップを、自分の方へ引き寄せた。
 ふたりの距離は、0.3メートル。
  手を伸ばせば触れられる、けれど──触れなかった。
 感情を自覚したとき、
  ふたりはそれを口にしないことで、“守ること”を選んだ。
 ──第13章・了──