隣にいる理由を、毎日選びたい

 12月24日、金曜日。
 オフィスの空気は、浮き足立っていた。
  部署をまたいだあちこちで“早退”という名の退出が相次ぎ、会議室はがらんとしていた。
 「……今日って、定時まで働くの、私たちだけなんじゃない?」
 「かもしれません。クリスマスイブですから」
 悠人は画面に目を向けたまま、事もなげに答える。
 「私、毎年こうなんだよね。恋人いないのが当たり前すぎて、逆に予定入れる理由がないっていう」
 「僕もです。毎年、自主研修日みたいになってます」
 「でも……去年までは、それが一人だったのに、今年は隣に誰かいるんだなって思うと、不思議な感じ」
 「僕も、そう感じてます」
 静かな会話。
  周囲の賑わいとはまるで別世界のような、透明な時間が流れていた。

 夕方五時、ようやく業務を締めて、ふたりはオフィスを出た。
 「このまま帰るのも味気ないですね」
 「たしかに。コンビニ飯で年末気分っていうのも、どうかと思うし」
 「じゃあ、軽く食べて帰りますか。店、混んでるでしょうけど」
 「クリスマスに、恋愛否定者が二人で外食か……なんか、ジャンルがわからなくなってきた」
 冗談のようなその言葉に、悠人は苦笑した。
 「“ジャンル不明の関係”って、むしろ今の僕らにぴったりじゃないですか?」
 「それもそうか」
 ふたりは街へ出た。
 煌びやかなイルミネーション、響き渡るジングル。
  そのすべてが、“恋人たちのための演出”に見えてしまう日。
 だが、その夜、ふたりが入ったのは人の少ない古びた洋食屋だった。
 キャンドルも、音楽もない。
  けれど、落ち着いた照明の下で、二人の表情はどこか穏やかだった。
 「……今日ってさ、キスをする日なのかな」
 凛が言った。
  冗談とも、本音ともつかない声で。
 「たしかに、世間的にはそういう空気かもしれません」
 「でも、私はたぶん、今日も明日も、しないままでいたい」
 「それは……“僕だから”ですか?」
 「違う。“あなたとだから、しないでいられる”っていう方が、近いかも」
 「……それって、褒め言葉ですか?」
 「多分、最大級のやつ」
 笑い合いながら、ふたりはビーフシチューを口に運ぶ。
 目を見て、笑って、心を許しているのに、
  そこに“触れたい”という感情がないことが、
  むしろ“何かを超えている”ような気がした。

 帰り道。
  駅のホームで、電車を待つあいだ。
 「一之瀬さん」
 「はい?」
 「私たち、“恋愛じゃない関係”って言い続けてるけど……これってもう、別の言葉で呼んだ方がいい気がする」
 「たとえば?」
 「わからない。まだ名前がない。でも、もし言葉にするなら──」
 「“あなたの隣が落ち着く”って、それだけのこと、かもしれません」
 悠人の言葉に、凛はゆっくり頷いた。
 「……うん、それ、すごくいい」
 電車が来て、ドアが開く。
  ふたりは隣同士の席に座る。
 この関係に、キスはない。
  けれど、そこには確かに“つながり”があった。
 ──第9章・了──