隣にいる理由を、毎日選びたい

 「──で、その案件、誰と組むんですか?」
 午前9時。都内の広告代理店「ハートワークス」本社、プロジェクトルームC。
  デスク上のモニターを横目に、一之瀬悠人は抑揚のない声で尋ねた。
 「有栖川 凛さんって人。別会社からの出向で、二ヶ月間限定。広報と戦略設計、両方の担当だってさ」
 答えたのは部長の真壁だ。いつもコーヒー片手に「この案件、燃えてるから」と言いながら人を放り込むタイプの中間管理職で、今日も例に漏れず軽快だ。
 「恋愛市場向けアプリのリブランディングだから、男女のバディ制ってことらしいよ。“リアル恋愛感情禁止”ってコンセプトがポイントで、下手に感情入ると台無しになるから」
 「……“恋愛禁止”って、本当にそんなもんで訴求力あります?」
 「いま、Z世代以下で“あえて恋愛しない”“恋愛が面倒”って層がじわじわ増えてるんだよ。“恋愛疲れ”ってやつな。そこに向けた啓発型SNSアプリなんだから、逆手に取るわけ」
 「企画は理解しました。でも、それに乗るって人、いるんですかね」
 「だから君に白羽の矢が立ったのよ」
 悠人は、ぴたりとタイピングの手を止めた。
 「……俺に?」
 「君、社内でも有名でしょ。“恋愛否定派”って」
 「否定派じゃありません。“慎重派”です」
 「慎重どころか“鉄壁”でしょ? 飲み会で誘われても“帰ります”の一点張り、社内の可愛い子からのLINEも既読スルー、なのに仕事は完璧。まさに“恋愛しない優秀な男”って象徴」
 「言い方に悪意ありませんか」
 「いやいや、褒めてる。だからこそ、適任ってこと。君と、同じく“恋愛興味なし”の女性広報を組ませることで、リアルな非恋愛モデルを提示したいんだとさ」
 (非恋愛モデル……。それが世の中に求められているのか)
 悠人は少しだけ眉をしかめたが、口には出さなかった。
  上司の話は基本的に右から左に流すのが、社内処世の鉄則である。
 「で、その……有栖川さん、ですか。どんな人なんです?」
 「ほら、もう来てるよ。君の席の隣」
 「え、隣──」
 振り向いた先、そこには既に一人の女性が腰掛けていた。
  ストレートの黒髪に、グレーのジャケット。ノートパソコンを開きながら、無駄のない動きで画面をチェックしている。
 こちらに気づくと、彼女はゆっくりと顔を上げた。
 「あなたが、一之瀬さん?」
 「はい。一之瀬悠人です。本日から二ヶ月、よろしくお願いします」
 「有栖川凛です。恋愛する気、ゼロなんで、安心してください」
 いきなりの宣言だった。
 思わず周囲の社員が数人、ちらりとこちらを見た。
 だが凛は、意に介した様子もなく、さらりと続けた。
 「共同作業とはいえ、私は仕事と感情を切り分ける派なので。そちらも、感情には振り回されないタイプでしょ?」
 「まあ……自認している範囲では」
 「よかった。なら、“業務パートナー”としては最高の関係が築けそう。お互い、無駄な勘違いも発生しないしね」
 その言い方は、どこか淡白で、けれど的を射ていた。
 悠人は小さく頷いた。
 「期待してます。業務効率、重視しますので」
 「こちらこそ」
 名刺交換もなく、握手もなく、会釈だけで二人のバディが始まった。
 だが──その日の夕方。
  会議室を出る瞬間、凛はふと、悠人の耳元に小声で言った。
 「ちなみに、“絶対に恋愛しない”って、いつ決めた?」
 「……?」
 「私は、中学のとき。理由は、長くなるから今は言わないけど」
 言葉を残して、さっさと去っていく後ろ姿に、悠人は無意識に目を奪われた。
 (あれは、ただの興味か。それとも──)
 理屈では割り切れない小さな違和感が、胸の奥でひっそりと動いた。
 ──第1章:続く