魔法使い時々王子

その夜――。

夕食を終え、アリスが部屋で落ち着かないまま時を過ごしていると、扉が控えめに叩かれた。

コンコン。

「アリス、準備はいい?」

入ってきたローズは、頭からすっぽりとローブを被っている。

その姿を見て、アリスの胸はどくりと高鳴った。

「さぁ、行くわよ。これを羽織って」

ローズはもう一着のローブを差し出す。

アリスは小さく息を吸い、それを受け取った。

ローブを身にまとい、二人は静かに部屋を後にする。

廊下には人影もなく、足音だけが小さく響いていた。

やがて王宮の裏門へ辿り着くと、一台の馬車が待っていた。

「ローズ様、お待ちしておりました」

御者が静かに頭を下げる。

「お願いね」

ローズがそう言うと、二人は馬車へ乗り込んだ。

扉が閉まり、馬車は静かに王宮を後にする。

アリスは窓の外を見つめながら、膝の上でそっと手を握りしめていた。

(本当に来てしまった……)

王宮を抜け出すことへの罪悪感が胸を締めつける。

けれど、馬車が石畳の街並みへ近づくにつれ、その気持ちは少しずつ別の感情へと変わっていった。

窓の向こうには、灯りのともる店々。

楽しげに歩く人々。

王宮の高い壁の中からは決して見ることのできない、ミロの夜の街。

アリスの胸は、自然と高鳴っていた。

(これが……街……)

そのまましばらく走ると、馬車は一軒の大きな屋敷の前で止まった。

立派な門構えに、美しく手入れされた庭園。

どうやら、どこかの貴族の邸宅らしい。

屋敷の中からは音楽と人々の笑い声が漏れ聞こえ、既に大勢の客で賑わっていることが分かった。

「着いたわ」

ローズはそう言うと、馬車の中で一枚の仮面を取り出し、アリスへ差し出した。

「はい、アリス」

「え……ええ」

アリスは少し緊張した面持ちでそれを受け取る。

黒いドレスに合わせた、飾りの少ない黒い仮面。

そっと顔に当てると、不思議と胸の鼓動が早くなる。

今夜だけは、誰も自分を王太子妃とは知らない。

そんな小さな秘密に、アリスはほんの少しだけ心を躍らせていた。