雨と妖精に導かれて ──御曹司CEOからの溺愛ラビリンス

 5月5日、こどもの日。
  銀座の朝は、いつもよりも静かだった。
  だがその静寂は、まるで何かが“始まる予感”を含んでいるように、鼓動のような熱を帯びていた。
 「……んっ、……っ」
 美里は、額に汗を滲ませながら、ベッドの縁に手を添えていた。
  陣痛。
  予兆は、夜明けと同時にやってきた。
  最初は鈍い痛み、やがて波のように規則的な痙攣となって、確実に彼女の身体の内側から“命の扉”を叩いていた。
 「……きた、今度こそ本格的に……」
 スマートフォンを手に取り、画面を開く。
 【タイガ】
 わずかな迷いもなく、彼にコールする。
 「……美里?」
 電話の向こう、眠そうな声が一瞬で鋭くなる。
 「……いま、来て、お願い……」
 その一言で、彼はすべてを理解した。
 わずか数分後、銀座上空にヘリのプロペラ音が響いた。



 ヘリの扉が開くと、泰雅が全速力で駆け寄ってきた。
  額には汗、手には母子手帳と緊急キット、そしてその表情には、ただひたすらな焦りと愛しさが滲んでいた。
 「美里、乗って。もう準備は全部整ってるから」
 「……うん……っ」
 彼女を両腕で抱き上げ、ヘリに乗り込むと、すぐに扉が閉まり、プロペラの風が銀座の空を舞い上げた。
 機内では、美里の手を強く握ったまま、泰雅が何度も呼吸を整えさせてくれる。
 「吸って、吐いて。……そう、それでいい。大丈夫。俺がそばにいる」
 視界が霞む中、彼の声だけが、美里の意識を支えていた。
 やがて、産院の屋上に到着すると、医師団が待ち受けていた。
  そのなかには、かつて泰雅が会長の手術を任せた外科医もいた。
 「安全にお預かりします。ご主人、立ち会いも可能です」
 「……当然だ」
 病室の天井の白さが、まるで光の世界へ導くゲートのように感じられる。
 そして──
 産声。
 「おぎゃあ、……おぎゃあ!」
 その瞬間、時間が止まった。
 医師が赤ん坊を高く抱き上げ、「男児です」と告げる。
  そしてその目を開いた赤ん坊が、美里の胸に抱かれると──ふわりと、小さく笑ったように見えた。
 「……この子、“光”みたいな子だね」
 美里が呟いたその声に、泰雅はそっと頷く。
 「名前は、もう決めてある。“光希(こうき)”。光に、希望の“希”。君が運んできてくれたすべてに、感謝して」
 彼の声に、光希はまるで応えるように、小さく指を動かした。
 【第39章『あの日の笑顔を超えて』 終】